
第36回天草パールラインマラソンが開催された。加地正隆実行委員長の挨拶はこの大会の呼び物、しかし今年は短かかった。この大会が日本での健康マラソンの草分けであることに誇りを持とう!には同感。

「いぶすき菜の花マラソン」で42.195㌔をそろって完走した阿蘇市波野の阿南重継さん(83)とミヨ子さん(78)夫妻による選手宣誓。合わせて161歳の最高齢ペアでのフルマラソン完走で2人の記録はギネスブックに申請しているという。阿南重継さんは第1回から連続出場。50回まではと気合が入る。8年前、阿蘇でのてれっと練習会で、私がついていけなかったことを思い出す。

10年以上前、私に健康マラソンの素晴しさを教えてくれた池○先生と記念写真。随分走ることから遠ざかっていたというが、今日の参加を再出発にしたい・・と言われていた。

20kmスタート5分前。雨が降ってきた。東京マラソンで貰った、簡易レインコートを着た。これなら冷たい雨風を防ぐことができる。今日の目標はブログ用の写真を撮りながら、キロ6分以内で2時間を切ること。
そして、日医ジョガーズのシャツを着ているので、何人かに声をかけること。

てれっとウルトラマラソンクラブの3名とスタート場所がほぼ同じ。余裕の表情だ。結果であるが、三○さんは、速かった!途中3号橋付近で折り返しの三○さんを写したが、背中しか写らなかった。4号橋で出あった土○さんは、せっかくの近接だったのに、誰かが間に入って写真は台無しだった(でも写っているが)・・・ 赤シャツさんの写真はよく撮れたので、後で送ってあげます・・・

パールラインマラソンの応援は熱い。ドラや鐘を鳴らして応援してくれる。子どもたちが道路沿いに並んでハイタッチを求めてくれる。10kmコースでは大漁旗をなびかせた漁船が並走してくれる。10数年前、この大会の10kmを初めって走った時、知らない間に涙が出ていたことを思い出す。

てれっとクラブの岩○会長は盲人のランナーの伴走をされていた。毎年だ。頭が下がる。伴走はかなりの走力がないと無理という。60歳代のランナーだが、私より体力・気力・記録・その他ずっとすごい。

阿蘇スーパーカルデラ100kmマラソン9連覇の記録を持つ、坂本明子さんとはスタート地点で話した。足の故障のため、練習できていないと言う。今日は痛み止めをしてもらっての参加と言う。「無理しないようにね。折り返し地点で飲むと良いよ。」と言って鎮痛剤を渡した。
この人のすごさは、不本意なコンディションで本来の走りよりずっと遅いのに笑顔を絶やさず、参加者に元気を与えてくれながら走ること。さすが世界の坂本だっ!

14km地点だろうか、お腹がすいてきた・・と思ったら、お汁粉を準備され配っていた。手がかじかんできていたが、温かさが戻ってきた。でも2時間以内を目標にしていたので、一杯だけご馳走になった。

ゴールの係りの生徒さんは、選手が入ってくる度に、ゴールの布を張ってくれた。ゴールして少し行くと、番号札(ゴール順)と飲み物をくれた。時間は1時間56分。目標の2時間を切った。坂本さんの他に、足が攣ってきつそうな人に、エアーサロンパスを勧めた。昼食のうどんをいただき、自衛隊の方々が準備して下さった風呂に入った。
このような歴史ある天草パールラインマラソンに毎年のように走ることのできる幸せをかみしめた。
帰りに、今から7年前くらいに私が診ていた患者さんの家にお見舞いに寄った。彼女は治療の結果が悪かったのだが、リハビリでかなり改善している。天草パールラインの日に私が立ち寄るので、カレンダーには○印がつけてあり、田○Drと書いてあった。
来年も元気で会おうねと約束して別れた。