2011年10月17日月曜日

創立32周年第23回日韓YMCA医師蹴球親善交流

10月15日釜山で開催された。同日は早朝4時43分の始発で都立家政駅を出発、乗継も順調で5時50分には羽田空港についた。東京からの参加者7名が揃った。写真はT医大麻酔科の3人衆。

福岡国際空港で熊本からの13名と合流し結団式を行った。急遽発熱でチームの大黒柱の本〇先生がキャンセルとなり、13名の男性大人のうちプレーヤーとしてピッチに立てるのはギリギリ11名ではあったが、「親善だから・・・」と思っていた。写真は熊本からの二人と。
会場近くのレストランで韓国料理を昼食にいただいた。レストランが高台にあるので眺めがよく、3,4面あるサッカー場が見えた。一際鮮やかな緑のグランドは人工芝のようで、既に練習を始めているようだった。
会場に行き、朴名誉団長、張前団長、權団長らと再会を喜び合った。開会式での挨拶は、予め準備した韓国語の原稿を通訳のムンヒョに渡していたので上手くできた。人工芝はふわふわしてやや長く感じた。皆で記念写真んを撮り、キックオフ(前半30分-10分休憩-後半30分)が始まった。

開始5分右足が人工芝に引っ掛かり、足首を捻った。「プッチ」と音がした。激痛が走ったので靭帯が切れたのかなと思ったが、足首はどの方向にも動いた。開始5分なので試合続行、小走りではあるがピッチを上げると速く走れた。サイドキックではあるがシュートも右足でうった。前半終了後、張前団長から「良く走るね」と褒められた。しかし次第に痛みが増し、後半は痛々しくただピッチを走るだけのプレーに終始した。
後半何分だっただろうか?ゴール前の混戦から中〇先生が右足を振りぬきゴール!!俄然韓国チームは激しく攻めてきた。宮〇先生の好セーブの連発、熊本YMCAの徳〇さんの冷静沈着なボールさばきでゴールは死守した。


試合終了のホイッスル、優勝旗は1年振りに熊本(日本)に戻ることになった。写真は試合終了後の集合写真。

 土曜日の釜山は交通渋滞がひどく、宿泊ホテルには寄らず懇親会上に向かった。シャワーを浴びたが、右足の腫れはひどく内出血していた。
 權会長の交流の歴史を振り返りながら先輩方への敬意と感謝に満ちた
歓迎の挨拶には感激した。自分は、世代交代を意識しつつも、今後の交流の継続と発展を呼びかけた。団長を務めたのでテーブルには大邱市医師会長や両国の団長経験者が座り、思い出などの話しに花が咲いた。
韓国の民族楽器の演奏や、金管楽器の演奏などが交流会を飾った。




韓国のりをお土産に頂いたが、日本からはストール(東北大震災にあった子どもたちへのYMCA支援プログラムの基金にするために販売している)を贈った。その際、特訓した韓国語で説明したが70%は通じていたらしかった。ピッチでの悲劇とは打って変わった一面を披露した。
しかし朴東〇先生と一緒に踊った後から、歩き方におかしくなってきた。二次会はカラオケへ。平〇先生は英語で熱唱したが、もっと歌いたがっていたので、ここでは特にリクエストがない限りひとり一曲までと、羽交い絞めをしていた。
 16日は、早朝成田行き帰宅組の3名を送り出したのち、釜山観光「太宗台(テジョンデ)」に出発。木の葉のように揺れる観光船を体験した。トラムに乗って展望台や灯台での階段上り下りに精力的に動きまわった。
展望台では丁度チェ・ジウ(冬のソナタのヒロイン)の写真展をしていた。チェ・ジウと見つめ合う写真を撮ったつもりだったが、遠近法に失敗してまるで小さなたーさんと大きなチェ・ジウの見つめ合う写真になった。




昼食は太宗台近くのレストランで焼き肉食べ放題ビール飲み放題となったが、結構安く済んだ。街中の大型スーパーで買い物をした後、空港に向かった。空港までキム・ヒーハンさん一家とムンヒョが送ってくれた。彼らがいなかったらこのような密度の濃い交流や旅行はできない。
福岡国際空港で解団式をした。羽田からは乗り継ぎに急いで歩いたので、かなり辛く17日深夜帰宅となった。
17日月曜日右足首は腫れがますます強くなったので整形外科を受診、右腓骨剥離骨折の診断で右足はギプスに収容となった。1,2ヶ月は安静(走らない)が必要と思われる。松葉づえは4日間は使ったが、かえって動きづらいのでギプス足底にポッチをつけてもらって歩いている。

2 件のコメント:

ももゆき さんのコメント...

遅くなりましたが、お大事に。

たーさん さんのコメント...

ももゆきさま
初めてギプスを付けました。ずいぶんゆるくなってきたので明日(今日)まき直しです。一日10000歩以上歩かないように節制しています??ご心配いただきありがとうございます。