2012年11月26日月曜日

第一回富士山マラソンとその後のお楽しみ

富士山を世界文化遺産にしようと、旧河口湖日刊スポーツマラソンを富士山マラソンに名称変更と規模拡大した第一回富士山マラソン大会が11月25日に開催されました。自分は申し込んでいなかっが、友人(心臓外科医でサブスリーの快速エリートランナー)が予定が入り参加できないので代わりに参加しませんか?と勧められ急遽参加。・・・ただしこれは勧められません・・・
 山梨県側からの裏富士を見たことがなかったので、二つ返事で快諾しました。前日は休みの土曜日だったので、前泊にしましたが、富士山の頂上付近は雲で覆われていました。昼食後、早速フルマラソンコースをドライブしてみました。紅葉が真っ盛りで青空に浮かぶ富士山があればどんなにキレイだろうかと楽しみになりました。夕食は炉辺焼きの店に行き、炉辺焼きと富士山麓の味噌と山菜で風味を添えた鍋料理「ほうとう」を楽しみました。宿舎はリゾートホテル(6)に泊まったのですが、夕食に出る前にかすかに揺れる気配を感じました。千葉県震源の深度4の地震があったようです。家人から大丈夫か?とのメールが来ましたが、河口湖周辺の揺れはほとんどありませんでした。
 日曜は朝から快晴、5時過ぎに朝食を食べて指定駐車場に向かいました。かなりの渋滞でスタート地点までのシャトルバス出発時間の5分前に、しかも指定駐車場が満杯で臨時駐車場に到着しました。しかし、5合目付近まで雪を被った富士山の美しいこと、心が洗われていくようでした。
 スタートはAグループで先頭近くからできるはずでしたが、スタート地点への到着が遅れたので最後尾からのスタートになりました。スターターは菅原文太氏で、司会者が仁義あるレースを呼びかけていました。スタートからスタートラインまで5分、走り出すまでに10分要しました。それもそのはずで、制限時間内にスタートした人がフルマラソン13,000人弱(エントリーは16,000人以上)、18km(河口湖一周)が5,000人強(エントリーは6,500名)だったようです。それから少しずつ前のほうに進みましたが、携帯の電池が切れて電池を買いにコンビニに寄ったり、河口湖から望む富士山を写真で写したり、寒くてトイレに二回寄ったりと、マラソンに専念できる環境ではありませんでした。ちなみにきつそうな人やうずくまっている人
 には「大丈夫ですか?」と声をかけていました。33キロ過ぎた頃に、足がよろけてばったり転んでしまいました。左ひざをすりむきリングタイツは破れ出血、左肩をしたたかアスファルト道路に打ちつけました。周りの人が5,6名大丈夫ですかと寄ってきました。なんと恥ずかしかったことか・・・
 無事に完走しましたが、記録は5時間20分ちょっと。これが今の自分の実力でしょうか。この後、駐車場までのシャトルバスに並び、見失った車をやっと探し当て帰途に着きました。しかしこのままでは終わりません。中央道事故のために渋滞です。大月インタから上野原インタまでは一般道に降り、八王子インタでまた降りてJR八王子駅近くの駐車場に車を停めて、特急電車で新宿に向かったのです。実は東京セントラルクラブの谷治ワイズと、目黒クラブの福島ワイズ一家が私の誕生日と還暦祝いを企画してくれていたのです。
かなり遅れて新宿西口のサンマルクに到着しましたが、皆さんパンを魚にワインを飲みながら待っていてくれました。それから本格的な会食の始まりです。ケーキやプレゼントまで準備していただき、感激でした。次の機会に皆さんを「さつき」にご招待することに致しました。
八王子駅に置いた車は後でちゃんと取りに行きましたが、首都圏近くの人気のあるマラソン大会の恐ろしさ、いや楽しさを満喫しました。

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