俳句の師匠の復活で、改めて俳句心で物事を見るようになった・・・と思う。
季語の無い川柳でも、俳句以上に心に訴えるものがある。師匠が数ヶ月の入院を経て退院し、自宅に戻って自宅だな・・と感じられたのが熱い味噌汁をいただいた時だったそうだ。病院でも温かい味噌汁が提供されるが、熱い味噌汁には及ばない。その状況を師匠からいただき、
「久しぶり 熱き味噌汁 我が家かな」とひねった。師匠からお褒めの言葉をいただいた。
そう言えば、最近作った川柳2句。
「無理せずに 皆に言われて 何もせず」・・しないで済むなら休みたい
「前向きに なろうと思い 下を向き」・・・結構このような経験をする
依頼原稿を受けていたが催促が来た。GWで仕上げようと決心するが、また 走りたい。
月末なので、提出書類が山ほど来た。やっと半分ほど書き上げ、ブログに移った。今日来られた患者さん数名からブログの話題で話が盛り上がった。私のブログのファンも増えてきつつあるのかなと思った。一人の患者さんから、蓮華の蜂蜜をいただいた。緩和ケア病棟に持って行き、カキ氷にかけたりお茶に入れて飲んでもらった。明日は自分での作って飲もう。患者さんもボランティアさんも、とても喜んでくれた。感謝。
2009年4月30日木曜日
熊本新港往復30km
4月29日昭和の日(祝日)は麻酔科当番日。クリニカルクラークシップの学生さんと8時半の緩和ケア病棟(PCU)カンファレンスから参加。麻酔科で診ている患者さん全員をしっかり回診した。12時過ぎに終わった。ダメモトで休日の回診に誘ったが、しっかり出てきてくれた。感心した。学生さんを返した後、カルテ書きをしたり、PCU入院中の患者さんのご家族と話しをしていたら14時半を過ぎてしまった。カップラーメンとおにぎりで昼食を済ませ、15時半過ぎから白川沿いに熊本新港まで走った。これは至福の時間。
白川沿いの野の花を写真に写しながらゆっくり走る。昼咲月見草の群生にも出会う。
沖新(熊本市の西端)に入ると野アザミが咲いていた.
「白川の 涼風揺らす アザミかな」
小島橋(最下流にかかる)から新港までがまた長い。流石に引き返そうかとの誘惑に駆られた。



熊本港大橋を渡ると人工島があり、天草ラインと島原ラインの待合室・物産館がある。レストランも覗いたが、ボリュームがありおいしそうだった。

行きも長かったが、帰りも長い。道を変えて帰途についた。途中蓮華畑を写したが、日が落ちてきておりきれいには写らなかった。19時20分に携帯での病院から呼び出しがあった。あと3kmだったので急いだ。疲れていたのだろう、病院到着まで20分かかった。仕事を済ませて帰ったのは22時だった。
「白川の 涼風揺らす アザミかな」
小島橋(最下流にかかる)から新港までがまた長い。流石に引き返そうかとの誘惑に駆られた。
熊本港大橋を渡ると人工島があり、天草ラインと島原ラインの待合室・物産館がある。レストランも覗いたが、ボリュームがありおいしそうだった。
行きも長かったが、帰りも長い。道を変えて帰途についた。途中蓮華畑を写したが、日が落ちてきておりきれいには写らなかった。19時20分に携帯での病院から呼び出しがあった。あと3kmだったので急いだ。疲れていたのだろう、病院到着まで20分かかった。仕事を済ませて帰ったのは22時だった。
2009年4月27日月曜日
熊本にしクラブチャーターと聖日礼拝
熊本にしワイズメンズクラブの国際協会加盟認証状伝達式(チャーターナイト:CN)が全日空熊本ニュースカイホテルで盛大に行われた。

これに先だち入院患者さんの希望に応えてルーテル熊本神水教会の礼拝に参加した。患者さんは信徒さんではないが同教会と関連した合唱団の団員。団員の皆さんも礼拝に参加してくださり合唱で花を添えてくださった。私は患者さんが無事に合唱に加わって歌われたことを確認して次の会に移動した。

CNには130人余りが遠くは東京から参加された。スポンサークラブの熊本むさしクラブの影響か、格調高く、時にはずっこけてCNは進行した。M会長の決意表明では熊本にしクラブに参加されたきっかけから多くの皆さんが参集された逸話をまじえ、楽しい話しでまとめていただいた。写真は国際協会加盟認証状を高々と掲げる水〇会長。

チャーターメンバー25名中、24名と奥さんや子どもさんたちも参加した。1名は東京転勤で本日は欠席だが、広義会員としてこれからも機会を作っては参加してくれるだろう。写真はにしクラブの集合写真。
日本にある、西ゆかりのクラブが5つとなり、ペンタゴンの契りが結ばれる。写真は左から、神戸西クラブ、大阪西クラブ、熊本にしクラブ、京都WESTクラブ、東京西クラブの会長さん。
記念ミニコンサートではソプラノ歌手で高校の先輩の坂〇さんとYMCAの役員でピアニストのSさんに奉仕いただいた。また懇親会ではSalaさんの歌の熱唱があった。坂〇さんとSalaさんのお父様は高校の先輩で同級生だそうだ。人の繋がりを思う。写真は坂〇さん、Sさん、Salaさん、水〇会長と堤熊本YMCA総主事。
恒例のワイズ劇団ではフランシスコ・タノエルを演じた。この一年熊本にしクラブの設立にむけ大変忙しい思いをしたが、今日でその苦労が報われた。暫くは平穏な日々を過ごしたいがその様には行かないだろう。
最後に、熊本にしクラブ設立の最大の功労者である岩〇CN実行委員長を忘れてはならない。こんなに働く人は見たことが無い。
これに先だち入院患者さんの希望に応えてルーテル熊本神水教会の礼拝に参加した。患者さんは信徒さんではないが同教会と関連した合唱団の団員。団員の皆さんも礼拝に参加してくださり合唱で花を添えてくださった。私は患者さんが無事に合唱に加わって歌われたことを確認して次の会に移動した。
CNには130人余りが遠くは東京から参加された。スポンサークラブの熊本むさしクラブの影響か、格調高く、時にはずっこけてCNは進行した。M会長の決意表明では熊本にしクラブに参加されたきっかけから多くの皆さんが参集された逸話をまじえ、楽しい話しでまとめていただいた。写真は国際協会加盟認証状を高々と掲げる水〇会長。
チャーターメンバー25名中、24名と奥さんや子どもさんたちも参加した。1名は東京転勤で本日は欠席だが、広義会員としてこれからも機会を作っては参加してくれるだろう。写真はにしクラブの集合写真。
2009年4月25日土曜日
Cancer Pain Forum
4月24日19時から138名の参加者を集め、熊本地域医療センターホールで第13回Cancer Pain Forumを開催した。現役バリバリの、がん診療拠点病院の薬剤師,医師からの報告があり、緩和医療への配慮をもった化学療法が進んできている印象をもった。
和歌山からT先生をお迎えして「がん疼痛マネジメントにおける薬物療法の役割」と題しての特別講演は、かなり内容が濃くボリュームのある話しであったが、T先生の歯切れがよく話し振りと、ユーモア、聴衆に語りかける口調など集中して拝聴することができた。あっという間の1時間という感じがした。
数件寄り道して病院に戻ったが・・・緩和ケア病棟に泊り込みになってしまった・・・。土曜日の午前中は外来、先日もう無理をしないで入院しようねと説得した患者さんが入院。夕方には慢性痛の患者さんが来られたので、良く仕事をしたと思う。
2009年4月22日水曜日
2009年4月21日火曜日
宴会の次の日が検診日
4階南病棟(脳神経外科・混合病棟)と緩和ケア病棟の合同歓迎会が開催された。両病棟をO師長が兼務するので、合同になったのだが、2回の出席が1回で済むので助かる。二つの病棟の性格は異なるので、興味深く参加した。新人看護師さんが4名で皆さん若々しく抱負を語ってくれた。次の日が検診で上部・下部消化管精査も受ける予定なので、良く噛んでビールと焼酎の水割りで水分を補給した。終了時にはしっかり下剤をたくさん飲んだ。
さて、朝起きたら雨だったが、傘を差してK高の周りを元気良く歩いた。検診では身長と腹囲が0.5cm増え、体重が1kg増えていた。激務だったのに・・・菊池養生園際で焼き芋と焼きそばを食べ過ぎたこと、昨夜の宴会の影響だろう。
2009年4月19日日曜日
週末の気合
Y先生が復帰し、気分的に楽になった。土曜日は先ず新しい緩和ケア病棟スタッフの集合写真撮影をした。この写真が緩和ケア病棟のパンフレットに掲載される。
15時30分のリレーつばめ・つばめで鹿児島に行き、鹿児島YMCAの講演会に参加した。私の役割は本間立夫氏の紹介をすること。私の人生に大きなインパクトを与えてくれた人生の師。既に喜寿を迎えられているが、万年青年だ。懇親会では鹿児島のプロバスケットボールチームに属するジョーさんと親しくなった。近い将来熊本・鹿児島YMCAのバスケットボール交流をしようと約束した。 最終新幹線で熊本に帰った。緩和ケア病棟に寄った。山〇さんが眠れないという。山〇さんを誘って焼酎を飲んだ。30分くらいお話しをした。残された時間を思うように使って欲しい。そのための手伝いをしたい。山〇さんはこれでよく眠れそうですと言ってくださった。
2009年4月17日金曜日
頑張った学生さん二つの出版
ツツジがきれいだったが、記念写真はハナミズキの前で撮影した。
人生の師・・・3名の大先輩が頭に浮かぶ。私の麻酔科の師森岡熊本大学名誉教授、私の医師としての師元熊本市医師会・県医師会会長柏木先生、そして私にもう一つの生き方を教えてくださった元東京・フロストバレーYMCAパートナーシップ創設者本間立夫さんだ.
本間さんが「当たって砕けよ!」と題した本を出版された。日米のYMCA交流に書けた半世紀を本間さんの生き様を通して語りかける。何も無い場所で、プログラムを起こし開発・発展させていく想像を絶する努力。家族の絆。
本間さんご夫妻の努力の軌跡。御夫妻にとっても思いでの数々が詰まっている。
本間さんご夫妻の努力の軌跡。御夫妻にとっても思いでの数々が詰まっている。
夫妻にはYMCAの魅力を教えていただき、40歳過ぎた私にYMCAを通して仕事中心ではないもう一つの生き方への入り口を示してくださった。20年前米国留学から帰国し、すんなりとYMCAを通した奉仕の世界に入ることができた。自分の価値観はそこで育てられた。私の恩人といっても過言ではない。
患者さんのTさんが出版された本を謹呈してくださった。Tさんは40年位、シモウケダムの建設に新聞記者として取材に当たった。「信念に生きる」にはTさんの思いが伝わる。
2009年4月15日水曜日
久しぶりの失敗
日本酒、はしご酒、医局のソファーはどうも奇妙に繋がる。頭の片隅に残さなきゃ・・と思う。
8時前に病院着。事情を知らないと、きっと家から走ってきたと思うことだろう。ICUカンファレンスに突入し、緩和ケア病棟カンファ、外来診療と一日が始った。娘が病院に来ていたようだが、弁当は届かなかった・・・
2009年4月13日月曜日
お花の勉強
一週間の始まりだが、体がきつい。朝は花探しの旅に出た。桜だけに気を奪われていたが、近所にはきれいな花々が・・・人脈を駆使して、とは言っても花師匠に写真つきメールを送った。回答を得たら、ネットで確かめた。なるほど。
先ずは浪花茨 (なにわいばら)。白い花で一見椿風。5月から6月の花で薔薇科とのこと。
次は通勤途中で見かけた花。ピンクの雪柳・・・ではなく、花蘇芳(はなずおう)が正解。葉が出てくる前にピンク色の小さい蝶形の花がたくさんかたまって咲く。木全体が花で埋まって見事な眺め。白花もときどき見かける。 4月18日の誕生花で花言葉は「豊かな生涯」 。明日は娘に教えてあげよう。
最後は、木香薔薇(もっこうばら)・4月から5月頃に咲く。八重咲き。江戸時代から庭で栽培されている。枝には、薔薇特有のとげがない。かすかないい香り。 白い花は黄色い花より香りが良い。
今日は医師会の西部会があるので、仕事で遅れたが会場に行った。しかし、申し込みがないと受付の人から言われた。医局秘書は私のサインを確認できなかったらしい。淋しかった。しかし向かいの会場でジェーンズワイズの例会をしていたので仲間に入れてもらった。嬉しかった。例会が済んで病院に戻り、今日のカルテ書きをしてブログをアップした。充実!
14日医局秘書から幹事の先生に送った出席者名簿を見せてもらった。どうやら先方の転記漏れのようだった。そしてお詫びの手紙が届いた。
最後は、木香薔薇(もっこうばら)・4月から5月頃に咲く。八重咲き。江戸時代から庭で栽培されている。枝には、薔薇特有のとげがない。かすかないい香り。 白い花は黄色い花より香りが良い。
今日は医師会の西部会があるので、仕事で遅れたが会場に行った。しかし、申し込みがないと受付の人から言われた。医局秘書は私のサインを確認できなかったらしい。淋しかった。しかし向かいの会場でジェーンズワイズの例会をしていたので仲間に入れてもらった。嬉しかった。例会が済んで病院に戻り、今日のカルテ書きをしてブログをアップした。充実!
14日医局秘書から幹事の先生に送った出席者名簿を見せてもらった。どうやら先方の転記漏れのようだった。そしてお詫びの手紙が届いた。
2009年4月12日日曜日
折角の日曜日
今日の日曜日はいくつか予定をしていた。先ず、イースター礼拝。しかし西日本区EMC合同研修会がこの日に大阪で開催されることが決まったので、大阪に行くことにしていた。その後、市医師会館と看護学校の建設設計業者の選考委員会の開催が12日に決まったので、午後からの会議に備え熊本に残り麻酔科当番の日とした。12時から18時までは別のスタッフに当番を替わってもらったが、土日連続麻酔科当番になった。
朝から病棟の患者さんを診ていたが、担当している二人の緩和ケア病棟の患者さんが急変された。バタバタしたが、必要な書類作成を済ませて会議に向かった。会議では6つの設計のプレゼンテーションを受けて、選考委員の投票で設計業者を決定した。質問も活発でなかなか面白かった。
18時半からカルテを書いて入院患者さんをもう一度診てまわったら21時を過ぎていた。走る時間があるかなと思って準備をしていったが、結局走れなかった。外来には小児科の患者さんとご家族が大勢いた。イレウスの患者さんが来ていた。緊急手術にならないことを祈りながら帰った。明日の朝は走りたいが、夜中に呼び出されたら諦めよう。
朝から病棟の患者さんを診ていたが、担当している二人の緩和ケア病棟の患者さんが急変された。バタバタしたが、必要な書類作成を済ませて会議に向かった。会議では6つの設計のプレゼンテーションを受けて、選考委員の投票で設計業者を決定した。質問も活発でなかなか面白かった。
18時半からカルテを書いて入院患者さんをもう一度診てまわったら21時を過ぎていた。走る時間があるかなと思って準備をしていったが、結局走れなかった。外来には小児科の患者さんとご家族が大勢いた。イレウスの患者さんが来ていた。緊急手術にならないことを祈りながら帰った。明日の朝は走りたいが、夜中に呼び出されたら諦めよう。
ロコモコとハナミズキ
2009年4月8日水曜日
2009年4月6日月曜日
大阪の桜・熊本の激務
金曜日の夜、Y先生とM先生と白川縁を走った。気持ちよかった。シャワーを浴び、書類書きをしていたらY先生から電話があった。CRPS(Complex Regional Pain Syndrome)になった!との報告。直ぐに来てもらったら、右上半身(右手・上肢・肩・右前胸部)が腫れー筋骨隆々とし表在の静脈が浮き上がっていた。痛みは無いという。血流障害を疑い今夜の安静と明朝の精査を指示して、帰した。12時前まで気になる患者さんを診てまわった。 
土曜日は前回の失態に懲り、家から直接空港に行った。その前にK高の周りを走ったが、桜は既に散っていた。
土曜日は前回の失態に懲り、家から直接空港に行った。その前にK高の周りを走ったが、桜は既に散っていた。
近所のハナニラの白い花、うちのチューリップも咲き誇っていた。
新大阪駅の1階にあるお好み焼き屋で昼食をとり、ワイズ役員会のあるクライトンホテルに向かった。Y先生からメールが入っていた。血栓症etcで入院治療が始ったという。昨夜のうちに治療を始めておけば良かった・・・と反省し、直ぐに月曜日からの応援の手配を行った。
今回の役員会は次期役員の第1回準備役員会と合同で開催される。自分は特別委員会に属しているので両者を兼ねる。1年間の役目を終えようとする現役員の表情とこれから厳しい運営を担う次期役員の表情は異なる。今期の活動報告と西日本区大会の聖日礼拝の準備状況の報告を行った。
自宅に帰り、夕食後病院に行った。2日丸々休むと付いていけない。Y先生は寝ていたが起こして話した。緩和ケア病棟の患者さんが1名亡くなられていた。ICU入室患者さんと麻酔科で診ている患者さんを全て診てまわったら、2時間以上かかった。自宅に帰り寝たのが1時過ぎていた。
月曜は、8時からのカンファレンスで始る。今日は当直だ・・・と思いながら、激務の自分を見た。患者さんたちから無理をしないように・・とアドバイスしてくれた。この時は自分が患者になって素直にハイと応えた。数ヶ月ぶりに俳句の師匠が受診された。ケガでよその病院に入院・リハビリを受けておられたという。帯状後神経痛が痛くなったので来週から毎週受診されると言う。俳句も作らなきゃ。
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