6時に大野さんが来られたので、二人で走り出した。
目的地は普通になっているJR豊肥線をこの目で確かめること。確かにミルクロードから車帰に降りてきた道と国道57号線を結ぶ道路を交差する豊肥線は土の下に埋まっていた。
途中にある橋は地震のために1mずれたという跡があった。
堤さんを始め、司会の福島さん、献金感謝の宮崎さん、奏楽の平山さんお世話になりました。
役員会二日目は喧々諤々の議論もあったが全てはワイズダムの発展のためにベクトルを合わせると収拾がつく。と思う。役員会が終了し、昼食が済み、記念写真を写した後、バスで1月31日に避難所が閉鎖になった益城町総合体育館に移動した。
ここでは熊本地震後に昼夜を問わず支援奉仕をしておられた宮崎さんが当時の模様やその後の支援活動の状況を説明して下さった。これまで報告されたことを東京で、様々な会や学生講義の時に紹介してきたが、大きな決断がいくつかあったことを知ることができた。
その後、熊本YMCAが委託管理者になっている木山の仮設住宅に寄って見学した。丁度日曜日で責任者の日野さんにお会いできなかったが、拠点にしている家を覗くことができた。
阿蘇熊本空港17時25分発の飛行機には余裕をもって間に合った。京都の大槻さんや船木さんと待合の間いろいろお話しすることができた。
2日から今日まで失敗を含めていろいろなことがあったが、全て神様のご計画なのだろうと納得した。
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