
一日目の自分の役割は開講の祈りと、キリスト教理解A(初心者向け)。開講の祈りには、「N瀬理事がこの研修会をきっと見守ってくださっているだろう」ことを入れた。



二日目は聖日早天礼拝の司会を務めた。説教をご奉仕くださった西村先生は前チャプレンで今でも説教や講義のお手伝いをお願いしている。「われらの国籍は天にあり」というタイトルでフィリピの信徒への手紙3章20-21節を引用されお話をされた。この中で、「いのち」の話しになった時おもしろい逸話を紹介された。作家のマーク・トエインが牧師に「自分が死んだら天国に行くのか、地獄に行くのか」と尋ねた時、牧師は「天国は良いところです。先ず気候が良い。地獄も良いところですよ。何といても仲間が沢山いる。」と答えたという話しは機知に富んでいると思った。残された時間が少ないと一日の重みが増す。これが老いの恵みなのでしょうと。紹介くださった、元上智大学学長ヘルマン・ホイベルス氏の「最上のわざ」という詩も心に残った。気持ちが少し豊かになった。
最上のわざ |
この世の最上のわざは何? 楽しい心で年をとり、 働きたいけれども休み、 しゃべりたいけれども黙り、 失望しそうなときに希望し、 従順に、平静に、おのれの十字架をになう--。 若者が元気いっぱいで神の道をあゆむのを見ても、ねたまず、 人のために働くよりも、けんきょに人の世話になり、 弱って、もはや人のために役だたずとも、親切で柔和であること--。 老いの重荷は神の賜物。 古びた心に、これで最後のみがきをかける。まことのふるさとへ行くために--。 おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、真にえらい仕事--。 こうして何もできなくなれば、それをけんそんに承諾するのだ。 神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。それは祈りだ--。 手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。 愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために--。 すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声をきくだろう。 「来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と--。 |
午後からは九州部の次期役員が集まっての話し合いがあった。久々に九州人になった。
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