昨日サッカー部の先輩が急逝された。通夜に出席するようにしていたが、もう終わっていることだろう。しかし斎場が病院の直ぐ近くなので挨拶に行った。奥様やご家族とゆっくりお話しすることができた。37年間のお付き合いで常に指導を受けお世話になってきた。余りにも悲しい。あと9年で先輩の年になる。奥様から、くれぐれも無理をしないようにとお願いされた。
「こいのぼり 家族の絆を 思い出し」
5日朝7時前に呼び出し。緩和ケア病棟で担当させていただいていたTさんの呼吸が止まりそうと言う。急いで病院に行った。ご家族が皆さん集まられ、立派に看取りをされていた。Tさんは鹿児島市立西田小学校の22年先輩。小学校の校歌を歌ったら喜んで下さった。家族同様にひと月の間お付き合いさせていただいた。死亡診断書や退院時サマリーを書きながら思い出をたどった。
サッカー部の先輩の葬儀に家人と出席した。先輩の人徳に感銘し心にポッカリと穴が開いた気がした。息子さんには、これから大変でしょうが、頑張ってこの試練を乗り越えてくださいと励ました。
5月4,5日は連続麻酔科当番。朝8時半からの緩和ケア病棟カンファレンスから始る。麻酔科入院 昨日手術をした患者さんは、経過も良く既にベッドサイドに立ったりされていた。久しぶりに花岡山に走っていった。往復約8kmだ。途中工事中の新幹線熊本を花岡山中腹から写真に撮った。
19時過ぎ小学校の先輩Tさんの通夜に行った。改めてご家族の皆さんとお話できた。ご親戚の中に、中高の同級生と高校の同級生がいた。また小学校の1年後輩もいた。話しが盛り上がり、ご家族や集まられたご親族からTさんが入院されていた時のお礼をご丁寧に何回も言っていただき、恐縮した。しかしこのことはスタッフに伝えたいと思う。このような感謝の言葉が医療スタッフを力づけ育ててくれる。
家に帰り、夕食の続きをはじめた。病院から電話。Hさんの呼吸が止まったと言う。当直医に確認をお願いし病院に向かった。死亡診断書をはじめ書類を書いて帰宅した。6日になっていたが菖蒲湯が準備されていた。感謝。
1 件のコメント:
「いのち」について・・
すももが帰郷した折、母から「実は言ってなかったけど、真○美(母の姪)が亡くなったの・・」と告げられました。
まだ49歳という若さで、余りにも早すぎる!
彼女は、香川医大病院の総師長を務めてましたが、子宮頚癌だったそうです。院長先生の補佐役を務めていたこともあり、私服で毎日お見舞いに来て下さった事をとても感謝していました。
母がすももの実家に嫁いでからも、姉のように慕っていたので、母の悲しみは余りにも大きかったようです・・しばらく言葉が出ませんでした。
独身で仕事人間。親思いの優しい人でした。
10年程前、高松のマンションを購入する時「まだ結婚もしてないのに・・婚期が遅れるやろ?!結婚する気ないん?」と母が電話で話していた事を思い出し・・思わず涙が流れていました。
花嫁姿を見たかった!可愛い子供の顔も見たかった!素敵な旦那さまの顔も見たかった!
と、母は言いたかったのでしょう・・
そして・・ぽつりと「女の幸せよりも仕事を選んだ子やから、きっと満足してるわ。そう言う運命だったんやねぇ・・」と囁いた母の顔が憂いに満ちていました。
これで、何人の身内を見送ったんだろう?
女性ばかり・・どの人も社会で活躍し、周りから惜しまれる人でした。
すももが代わってあげたい!(T_T)
何の役にも立たない自分が、未だ生きてる事が申し訳ない気持ちで一杯になり・・
これからの人生を思い残すことなく、先立った人の分も精一杯生きよう!と、心に誓った故郷のある日でした。
たーさんの悲しみが、早く癒えますように!
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