2009年5月6日水曜日

いのち

 患者さんや他の科からコンサルテーションを受けた患者さんを含めると15,6名おられるので全ての患者さんを回診してそれぞれ話していると2時間半は要する。昼過ぎに緊急手術の申し込みがあった。今を逃すとますます重症化する急性腹症の患者さんだ。手術室スタッフを呼び出し緊急手術の準備を始めた。かなりの貧血がある。いつもは患者さんには99.9%は大丈夫ですよ。と言うのだが、今日は99%大丈夫ですよと話し、通常の手術・麻酔の10倍危険性があることを伝えた。プロフェッショナルとして麻酔計画をたて準備薬品などの指示を出す。14時半手術室入室。硬膜外チュービングを速やかに行い、フルストマック(胃が空っぽではない)と想定してクラッシュインダクションで気管挿管を行う。麻酔維持は完全静脈麻酔に途中まで揮発性麻酔薬を低濃度加え、閉創から人工肛門造設時には硬膜外麻酔を併用した。・・・ここまでは医療従事者向け。手術は無事終了し、麻酔からもしっかり覚醒して抜管もできた。3日間持続硬膜外麻酔を続けるので明日には歩き始めるかもしれない。終わって帰室させたのが20時30分だった。
 昨日サッカー部の先輩が急逝された。通夜に出席するようにしていたが、もう終わっていることだろう。しかし斎場が病院の直ぐ近くなので挨拶に行った。奥様やご家族とゆっくりお話しすることができた。37年間のお付き合いで常に指導を受けお世話になってきた。余りにも悲しい。あと9年で先輩の年になる。奥様から、くれぐれも無理をしないようにとお願いされた。
 帰宅し、家人と話しながら当番なのにビールを飲んでいた。そして家族について考えていた。
「こいのぼり 家族の絆を 思い出し」
 5日朝7時前に呼び出し。緩和ケア病棟で担当させていただいていたTさんの呼吸が止まりそうと言う。急いで病院に行った。ご家族が皆さん集まられ、立派に看取りをされていた。Tさんは鹿児島市立西田小学校の22年先輩。小学校の校歌を歌ったら喜んで下さった。家族同様にひと月の間お付き合いさせていただいた。死亡診断書や退院時サマリーを書きながら思い出をたどった。
 サッカー部の先輩の葬儀に家人と出席した。先輩の人徳に感銘し心にポッカリと穴が開いた気がした。息子さんには、これから大変でしょうが、頑張ってこの試練を乗り越えてくださいと励ました。

 5月4,5日は連続麻酔科当番。朝8時半からの緩和ケア病棟カンファレンスから始る。麻酔科入院 昨日手術をした患者さんは、経過も良く既にベッドサイドに立ったりされていた。久しぶりに花岡山に走っていった。往復約8kmだ。途中工事中の新幹線熊本を花岡山中腹から写真に撮った。
 19時過ぎ小学校の先輩Tさんの通夜に行った。改めてご家族の皆さんとお話できた。ご親戚の中に、中高の同級生と高校の同級生がいた。また小学校の1年後輩もいた。話しが盛り上がり、ご家族や集まられたご親族からTさんが入院されていた時のお礼をご丁寧に何回も言っていただき、恐縮した。しかしこのことはスタッフに伝えたいと思う。このような感謝の言葉が医療スタッフを力づけ育ててくれる。

 家に帰り、夕食の続きをはじめた。病院から電話。Hさんの呼吸が止まったと言う。当直医に確認をお願いし病院に向かった。死亡診断書をはじめ書類を書いて帰宅した。6日になっていたが菖蒲湯が準備されていた。感謝。

1 件のコメント:

すもも さんのコメント...

「いのち」について・・
すももが帰郷した折、母から「実は言ってなかったけど、真○美(母の姪)が亡くなったの・・」と告げられました。
まだ49歳という若さで、余りにも早すぎる!
彼女は、香川医大病院の総師長を務めてましたが、子宮頚癌だったそうです。院長先生の補佐役を務めていたこともあり、私服で毎日お見舞いに来て下さった事をとても感謝していました。
母がすももの実家に嫁いでからも、姉のように慕っていたので、母の悲しみは余りにも大きかったようです・・しばらく言葉が出ませんでした。
独身で仕事人間。親思いの優しい人でした。
10年程前、高松のマンションを購入する時「まだ結婚もしてないのに・・婚期が遅れるやろ?!結婚する気ないん?」と母が電話で話していた事を思い出し・・思わず涙が流れていました。
花嫁姿を見たかった!可愛い子供の顔も見たかった!素敵な旦那さまの顔も見たかった!
と、母は言いたかったのでしょう・・
そして・・ぽつりと「女の幸せよりも仕事を選んだ子やから、きっと満足してるわ。そう言う運命だったんやねぇ・・」と囁いた母の顔が憂いに満ちていました。
これで、何人の身内を見送ったんだろう?
女性ばかり・・どの人も社会で活躍し、周りから惜しまれる人でした。
すももが代わってあげたい!(T_T)
何の役にも立たない自分が、未だ生きてる事が申し訳ない気持ちで一杯になり・・
これからの人生を思い残すことなく、先立った人の分も精一杯生きよう!と、心に誓った故郷のある日でした。
たーさんの悲しみが、早く癒えますように!