2012年6月5日火曜日

闘い済んで

6月2日の闘いは済んだ。翌3日まだ引越し後片付けが済まず未だ闘い途中の娘の家に寄った。ひなちゃんがラッパを吹けるようになっていた。がその芸を見せてくれるまでに時間がかかった。ジージが良い人で優しいことを思い出すのに時間がかかるのだろう。
病院に寄って、M永さんに完走報告をした。自分のことのように喜んでくれた。
教会に行き、心を静めて平安になった。完走感謝献金を忘れず、姉や牧師さんたちにも報告した。
12時半には、てれっとウルトラマラソンクラブの打ち上げ会会場「さくら」についた。もう数名が開始時間を待ちきれずに来ていた。皆さん自分が完走、それも最終ランナー近くで、を知っておられ大変喜んでくれた。生ビールが運ばれ、一足先に会が始まった。定刻の1時には大半が集まった。岩〇会長挨拶、70を超えておられるのに私より速く強い鉄人だ。遠来の参加者ということで自分が乾杯の発声をとることになった。「やっと」「もう」「まだ」をそれぞれの走行した距離に当てはめると面白いことを紹介し、コースの途中で応援してくれた仲間や家族あっての完走、練習会でエイド班でサポートしてくださった仲間への感謝、を述べて乾杯とした。
周りには、サポートしてくださった方、一緒に参加した方、総勢50名弱だろうか。昨年今年と連続二位だったH手さんは毎日4時起きで25km(山道コースを含む)を走るという。84Kmで救いの声をかけてくれたM村さんが隣に座った。そのときの写真を現像してきてくれた。Y松さんにはK林先生を鍛えてくれたお礼を言った。K本さんには、仲間たちが初心者に気配りしながら走っていたと大そう褒められたので、自分のことのようにうれしかったと言った。
一人ひとり挨拶していったが、自分はもう一度挨拶の時間をもらった。クリス・ムーンの「Anything is posible, I never give up. Keep going on.」を紹介した。音楽を聴く余裕もなく走ったが、頭に浮かんだ曲はAKB48の「ヘビーローテーション」だったことと。
鹿児島から参加のYさんは、鶴丸高校の後輩。走力はずっと強いが、後輩は後輩。酔っ払いになりかけている時、迎えあり。「飛行機に遅れますよ・・」・と。皆に別れを告げていたら、O田事務局長から「待って!」との指示。今年還暦の4名に「一生青春」と書かれた赤シャツ(女性はピンク)が贈呈された。ありがとうございました。

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