2012年4月9日月曜日

相馬市訪問

4月7日Mさんの紹介で、相馬市のNさん宅を訪れた。満月が大きく西の空に輝き、Nさん宅に近づくと右手に広大な空き地?が見えた。昨年の3.11黒い大きな津波が押し寄せその空き地を埋め尽くしたという。Nさん宅の玄関先まで海水が来たとのこと。空き地側の道路には車や瓦礫が流れ着いたそうだ。熊本の松〇さんから送っていただいたナスとキャベツの御すそ分けと新潟で入手した日本酒・お菓子を手土産に持って行ったが、結局日本酒は自分の胃袋に消えて行った。
Nさんの手料理はまさに相馬のおふくろさんの味がした。相馬は漁業と観光(小松島)の地だそうだが、津波と原発事故の影響で漁ができなくなったとのこと、「本当は地元の魚を出してあげたかったんだけど・・・」と言われて、恐縮した。
8日は5時過ぎに起き、海岸の方に歩いた。恐らく津波が到達したであろうあたりのガードレールが曲がっていた。朝食後、Mさんの案内で相馬の海岸線に向かった。
堤防が壊れ一面の更地に家屋の土台だけが集落があったことをうかがわせる。Mさんは大きくため息をつき涙ぐんでおられた。子どもの時遊んだ砂浜や住んでいた集落は変わり果てていたから。


写真は破壊された堤防。





南相馬に向かった。途中検問所があり進入禁止になっていた。


広大な更地の中に瓦礫の山が幾つもあった。

多数の車が置いてある場所があった。その多くが激しい衝撃を受けた痕があった。あの日から車には〇や×の印しが付いていたことを教えてもらった。

相馬港の堤防に打ち上げられたら漁船があった。漁港や水産加工業の復興には大きなエネルギーと時間を要する。

相馬市会議員のKさんを紹介していただいた。kさんは昨年11月延期されていた選挙で当選した一年生議員。相馬の子ども達に負の遺産だけを残せない!と立候補を決意したという。地域起こしのアイデアを提案し実現に向け動き出したプロジェクトをいくつも持つ。信じられないような行動力と頭の回転があり、語る言葉に情熱と愛情を感じた。名刺を交換した。イメージキャラクターはウルトラマンいやウーマン。「3分では帰りません」と但し書きがあった。

まだ自分たちには住める土地や家がある。元に戻すより発展させたいと夢をを語り実現せようとする。津波の被害を受けた東北四県の海岸沿い八十八箇所の名所を巡る東北お遍路構想は動き出している。このようなリーダーを育てて欲しい。 
東北自動車を走り安達太良山パーキングに入った。福島の人々の中にはこの山を見ると帰って着たと実感する人もいるという。日が沈み薄暗くなってきたが写真に収めた。

2 件のコメント:

新妻香織 さんのコメント...

先生、先日は相馬までありがとうございました。さて、公立相馬病院は3月5日から産科医がいなくなり、閉鎖されています。妊産婦はたらいまわし状態。ますます福島から子供がいなくなります。半年単位でもいいですので、全国の産科医の先生、相馬にいらしてくださらないでしょうか?どうぞよろしくお願いいたします。

たーさん さんのコメント...

香織さん
コメントありがとうございます。原発避難区域から同じ福島県の相馬市周辺にも大勢の方々が避難されていること、医療が手厚く行われるべきであることを思います。
亡くなった父は産婦人科医でしたが・・・