2009年2月8日日曜日

研究会・研修会・会議・講習会

 この土日、研究会・研修会・会議・講習会が続いた。7日は熊本救急・集中治療研究会、研修医A先生の発表デビューだ。こんにちは・・・から始った発表に初々しさを感じる。なかなか堂々としたものだった。
 世話人会や昼食時間を利用して。県のがん診療連携拠点病院である大学病院での緩和ケア研修会を企画責任者のG先生に許可をもらって見学させてもらった。2日間の研修会で13時間のプログラムがびっしり入っている。残念ながら7日、8日の予定が既に入っていたので、フルタイムでの参加ができない。6名のファシリテーターと29名の参加者が熱心に講習・ディスカッション・ロールプレイに取り組んでいた。
 夕からは熊本ドクターズ理事会へ。来期からは30年間務めた事務幹事を退任し副会長になることになった。日韓ドクターサッカーは引き続き担当することにもなった。終わって20数名で夕食へ。T先生お勧めの3500円で飲み放題・食べ放題という中華の店に行った。ビールはビンビールのサントリーモルツ(熊本の九州工場でつくられたのだろう)ついつい飲みすぎ、転寝をしていたようだ。しかし終了と共に目覚め、学生さん2名を連れてショットバー、鮨屋とまわって代行で帰った。
 日曜日、小川町で開催される県サッカー協会審判講習会へ4級審判資格更新の為に行った。会場が寒く、頭痛がした。途中携帯が鳴った(マナーモードにしてて良かった)。入院患者さんが、同室者の処置の音で眠れないから退院すると言い出したようだ。直ぐには戻れないので、A先生に連絡し対応してもらった。病院に戻り、退院時サマリーなどの書類を準備した。14時半になった。
これから大学病院にいって研修会の見学「コミュニケーション講義」「地域連携と治療・療養の場の選択」を聴講してくる。
 今日は姉一家とうちの家族とで会食。母の命日に近い日曜日に会食の日を設定した。久々に大勢で集まる。写真が撮れたら後で載せよう。そして近日中に仕上げなければならない原稿を確認した。
 充実した土日は教養にはなるが、休養にならない。

2009年2月6日金曜日

久々の集団走

昨夜から今朝方のタフな仕事に加え、外来も15時過ぎまで続いた。入院患者さんを外来に下ろして治療をし、机の上に置かれている書類の整理をしているうちに17時になった。今日は時間通りに手術も終わったので、クリニカルクラークシップの学生堀○さんや救急救命士の森○さんに呼びかけ久々の集団走を行った。麻酔科のY先生や外科の本○先生も駆けつけ、5名でにぎやかに走った。研修医はN病院の新年会に行くという。その方がよっぽどきついのに・・やっぱり彼女はタフだと思った。


夕日が沈み始めた。今日はよっぽど早いランニングだ。孤独走では計画をたてたり、思いをめぐらしながら走る。集団走では色んな話が聞けるので楽しい。




さて、走りながら判ったこと。堀○さんは私の末の子とどうやら同級生ではないか?ということだった。世の中は狭い。

真夜中の緊急手術

 5日21時過ぎに自宅に帰える途中携帯がなった。停車して受けたら緊急手術の連絡だった。急性腹症でかなりリスクの悪い患者さんだった。御家族に50%の可能性(50%の確率で手術室で亡くなる可能性があること)を説明した。手術をしなければ助からないことも説明した。
 手術は2時間以内に無事に終わった。全身麻酔を一旦は醒ましたが、バイタルサインが落ち着かないので集中治療室ICUで鎮静を保ち人工呼吸のまま観察することにした。ICUでひとまず落ち着いたのが6日の午前3時だった。2日連続麻酔科当番なので帰らずに病院に泊まることにした。指導している研修医も頑張って最後まで残った。凄い根性だと思い、「タフだね。」と誉めたら、「先生ほどではありません・・」と返事がきた。そうかも知れない。今朝は何処で走ろうか??
 「真夜中に 節分残りの 豆を食べ」
 
 

2009年2月3日火曜日

花の訂正と最終講義

「ニラの花は、よ~くみると姿形がかわいらしい。しばらくすると花は黒々とした種になり、また一面にニラの葉を繁らせてくれる。」




というニラ博士?のブログを見ながら、葉っぱの形でニラと判断した花オンチを反省。



この白い花がニラなら、2月2日に見た花は?葉っぱがニラみたいで、しかも水仙ではなかったのでニラとしたが、どうやら正解はキルサンタス。原産地は南アフリカで海岸などに自生している。冬、花の少ない時期に咲くので嬉しい花。株分けでよく増える。そうだ。




もう一つのタンポポの正式名称は、シロバナタンポポ在来種(日本原産)で白い色が特徴。シロバナタンポポは空気のきれいなところでないと育たないと思い込んでいるのは私だけか?
今日は熊本総合医療福祉学院の生体機能代行学・人工呼吸の最終講義。例年試験問題を一部解説する。学生さんの反応によって、適切でない質問をチェックできる。最後に全員で記念撮影をした。ブログに小さくしか写らないよと言ったが、結構喜んで写ってくれた。素直な青年たちだ。これで試験の出来が良かったら申し分ない。再試験も出すほうが辛い。

2009年2月2日月曜日

2月1日種子島日帰り帰省

 昨年は一回も故郷に帰省しなかった。今年も予定を見る限り自信が無い。昨日の熊本麻酔学会のあとの懇親会では参加いただいた皆さんとできるだけ酌み交わしながらお話ししたが、二次会には行かずに帰った。1日は早起きしなければならないからだ。
 さて、2月1日は5時起き、5時半自宅出発6時16分熊本駅初リレーつばめに乗り込み、8時鹿児島南埠頭発種子島西之表港行きの高速船ロケットに間に合った。
桜島の右側から朝日が昇る。フェリーや高速艇が行きかう。数年前に種子島・屋久島航路の発着場は北埠頭から南埠頭に移動したようだ。





西之表港について実家に歩き始めた。市会議員と市長選のポスターが張ってあった。幼馴染のM君が立候補していた(夜に当選の連絡があった。当選おめでとう)今日が投票日だという。自宅近くの民家にニラが植えてあったが、これがニラの花なのだろうか?

家の窓を開け放ち、空気を入れ替えた。玄関には義理の妹が母のために画いてくれた聖句の書道が飾ってある。西之表教会の礼拝に参加した。亡き母の母教会で私も時々礼拝に付いて行ったことを思い出す。池田牧師先生ご夫妻や皆さんと楽しいひと時を持った。礼拝後親戚の挨拶やお世話になっている方々への挨拶に回った。去年は1回も帰省していない。


墓参りにいく。両親が納骨堂にしてくれた。句碑も建立している。色花を飾り柏手を打つ(実家は神道)。

自宅の庭はシルバーさんが入って草刈をしていてくれたのできれいだった。遠鳴りの雑木林にはバナナの木が数本育っている。今年も実を稔らせる。庭には白いタンポポが咲いていた。
種子島は暖かかった。コートは要らなかった。種子島の町並みをしっかり目に焼き付けておこう。船が島から離れていくと、少しさびしくなる。
佐多岬から錦江湾に入った。この辺で数年前高速艇が流木にぶつかり多くのけが人が出た。丁度桜島の昭和火口の噴火にであった。タクシーの運転手さんによるとこの数日、毎日のように噴煙を上げているという。


高速艇にあった、皆既日蝕を種子島で観察しようというポスター。種子島弁がわからないと、意味不明か?



一年に2回ほど一泊2日または二泊3日で帰りたいなと思うが、最大の贅沢かもしれない。昔は日帰りなど考えられなかったが、乗り継ぎが良いと3時間半で熊本から種子島に行ける。熊本駅についたのが20時前、病院に寄って患者さんを回診し、かえって薩摩焼酎「きばらんか」を飲んだ。

1月31日熊本麻酔学会

 1月31日は熊本麻酔学会。30日の夜は麻酔専門医会役員会・拡大部長会の議案資料などを12時過ぎまで病院で準備ししていた。朝は気合を入れ、赤の勝負ネクタイとゆるめの勝負パンツをはいた。自分の病院のホールが会場なので、朝のICUカンファレンスと麻酔科カンファレンスはこなした。会場作りを手伝い、9時半からの役員会に臨んだ。この2年は麻酔科入局者が増えてきたので、今は未だマンパワー不足で苦しいのだが希望がある。粘り強く後期研修医セミナーを麻酔専門医会が実施してきた効果が現れてきた。

学会会長は同級のO2先生だ。これまで何回となく打ち合わせを続けてきた。学会の最初の挨拶は私が、締めの挨拶はO2先生が担当した。
 発表・質疑応答に熱が入り始めると時間がおしてくる。うちで研修したE先生が座長デビューを果たしたのでこっそり写真を写した。

 恩師M先生の発表は対外式肺補助の研究の揺籃について。少し紹介事項に間違いもあったが、1950年代の日米の国力の差に驚く、西海岸の病院に揃う鉄の肺(陰圧式人工呼吸器)は圧巻だった。

懇親会は、メルパルクに会場を移した。ここに至るとほっとする。なるべく多くの皆さんと酌み交わし近況を語り合った。

 明日は日帰りで種子島に墓参り、親戚への挨拶に行くので、二次会には行かずに21時代に帰宅した。家人が驚いていた。

2009年1月30日金曜日

熊本バンド133周年記念早天祈祷会

熊本バンド133周年記念早天祈祷会が花岡山山頂で開催された。この10年以上毎年参加している。一頃は病院から走って上り、終了後は走って帰った。凍てつくような寒い日もあったが、一回も雨で中止を経験していない。失敗もあった。焚き火の勢いが強く、一張羅のコートに無数の焦げ穴を作ったこと。さて昨夜からの雨も開始数時間前にぴたりとやんだ。そして今までで一番暖かい1月30日午前6時30分を迎えた。
 熊本草葉町教会の山下先生が実行委員長のご奉仕をされている。この会には全ての宗派のキリスト教会のかたが参加される。事務局、会場整備、駐車場整理は熊本YMCAのスタッフが全面協力してくれる。


 奨励は福田稠氏が担当された。福田氏は熊本いのちの電話の理事長としても奉仕されている。年間約3万人の自殺者がいる現状を紹介し、金融危機に発した世界的な政治、経済の混乱は、政治の力や経済の回復に伴いいずれは克服されるであろうが、心に根をもつ危機には精神的霊的な支えが必要であり、宗教の果たす役割は大きいことを話された。福田氏は中学生の時に芋粥に誘われてこの祈祷会に始めて参加されたそうだ。今日ボランティアの皆さんが豚汁を振舞ってくださる。今日はマイ箸とマイお椀を持参した。


祈祷会が終了する頃は大分明るくなってきた。早天祈祷会の時は雨は降らないというジンクスは生きていたその日の夕刊に早天祈祷会の模様が紹介されていた。写真を良く見たら、一番右下にしっかり写っていた。ロマンスグレーは目立ってしまう。





そして夕方クリニカルクラークシップの学生と7kmゆっくり走る。19時から会議が続き20時過ぎから明日の役員会の準備を始めた。