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2011年4月24日日曜日

おめでた続き

4月23日昨夜から陣痛が始まった娘が、婿のU太君とF病院に行った。自分は部屋の片づけと講演準備で病院に行き、家人がF病院に行った。昼過ぎ家人に電話を入れた。「今、オギャーと泣き声がしたよ!たった今生まれたよ!」の返事。急いで着替えてF病院に行った。
U太君が分娩室から出てきた。一晩中娘を励まし続けてくれた。ありがとう。分娩後の処置の後、部屋に案内された。娘は目を真っ赤にしていた。横には「陽太(ひなた)」ちゃんが目を開けていた。隣にいるのが、君のお母さんだよ。そしてずっと励まし続けてくれたのがお父さんだよ。
二人目の孫が授かり感謝。
病院に戻り再び片付け。結局25箱段ボールを送った。
KKRホテルでの祝賀会に向かった。116名の熊大麻酔科関係の皆様と医師会関係の皆様にご参加いただいた。自分と家人が真ん中に座っての記念写真では、ずっと緊張していた。Y教授のご挨拶は、昨日から種子島に講演で行かれたこと、そこでは自分の親戚や知り合いの方々とお話しできたこと・・・などで、和やかな雰囲気になった。恩師のM先生、T先生、K先生からは心温まる応援エールをいただいた。KA熊本市医師会副会長発声の乾杯の後、皆さんと少しずつお話ができた。自分の挨拶は、これまでの仕事をパワーポイントで紹介しながら、皆さんに支えられてこれまでやってこれたことに感謝を申し上げた。
思い返せば、全てに家族の理解と支えがあった。
H先生やMI先生のテーブルスピーチは、それぞれ職場や仕事以外のことにも言及していただいた。4月23日は陽太ちゃんのお誕生日だし、忘れられない日となった。写真は後で。

2010年8月18日水曜日

無理は禁物

 8月14,15日麻酔科当番を引き受けたのはよかったのだが、重症患者さん3名とバックライトが切れたPCを抱え、PCからのデータ移しや新しいPCの立ち上げ、おまけにゴミ屋敷と化した病院の自室の掃除に追われた。
 16日の当直では、熊本市医師会第10次米国医療研修団の結団式に参加するという離れ業(医師会館と病院が隣同士だからできたのだが)もやってのけた。17日はY歯科受診し数か月前にとれた冠の治療に行ったが、奥の歯にもぽっかり穴が開いていた。応急処置をお願いし、本格的治療は帰国後になった。
 この1週間帰宅が23時以降夕食が0時以降が続いているので、今日はこれから帰る!…と強い決意をした。しかし帰り道でノンアルコールビールを買って帰ろう!睡眠不足、仕事のし過ぎ、アルコールの入ったビールの飲みすぎなど、無理は禁物!と言い聞かせるのだが、守れない。夕方土砂降りだったので、久しぶりに娘を乗っけて帰ろうかと電話したが、既に新居に帰っていた。

2010年7月10日土曜日

1週間を思い出して

大阪伊丹空港から新大阪に向かうリムジンバス内で、一週間を思い出しながら携帯のメモ帳に日記の下書きを?した。出来たと思い終了したが登録するのを忘れたので消えてしまった。がっかり・・・
月曜は麻酔科当番で医療機器安全管理委員会と医局会が終わったところで手術室での居残り手術にまわった。月曜日に医局会以外の会議が入ると時間に追われる。しかも今日は当番、明日は当直なので夜中の呼び出しがあれば最悪。
火曜日、夜中の呼び出しなく大学病院手術室へ。うちの病院にはない医療機器や診療科の麻酔につく。実習の医学生が来ていたので、丁寧に教えてあげた。午後の麻酔につくので自院に戻り当直に突入する。急性腹症の患者さんを一次救急外来出動協力医から引き継ぐ。以前の既往と腹部CTから十二指腸潰瘍穿孔と診断、外科、麻酔科、手術室スタッフを呼び出し、緊急手術が23時過ぎから始まった。
水曜日は、朝のカンファレンス直前に院内PHSで起こされた。まだボーツとするが、しっかり朝食を摂り(当直以外ではほとんど摂らないが・・)勤務へはいった。18時過ぎからプレギャバリンの勉強会、19時から国立熊本医療センターで日本医療マネジメント学会熊本県支部の世話人会に代理出席。終了後吉○先生と駐車場であう。彼はリュックを背負い、通勤ランで帰るところという。ランナーの本能が目覚めそうになる。
木曜日、緩和ケア外来のキャンセル枠の時間に、緩和ケアコンサルテーションが提出された入院患者さんのとこに面談に行った。しかし既に遅く、看取りの時期を迎えておられた。患者さんのお母様とお話し、これまでのご苦労をねぎらった。医療安全委員会、ICU運営委員会があり、19時からは病院将来検討委員会に出席した。今日の委員会は1時間半ですべてが終了した。このぐらいの時間だと疲れない。
金曜日、朝K高周遊コース3km、夕には今日まで実習だった救急救命科の学生3名と花岡山往復8kmコースを走った。家に帰ると長男一家と長女の婿が来ていたので一緒に会食した。あとで長女も加わった。桃ちゃんはまた大きくなっていたが、ジージが抱っこしてあやすと泣いた。家人の時はニコニコ笑っていた・・・ 息子から、「僕も慣れるまで時間がかかった・・」と慰められた。翌土曜日に「昨日は泣いてごめんよ。ジージノコトスキダヨ。」とメールが桃ちゃんからきた(長男代筆)。
この一週間でワールドカップサッカーのベスト4が揃った。スペインがこんなに強いとは予想していなかった。日本の目標とするサッカーに重ねて観ようと思う。

2010年6月20日日曜日

週末から父の日へ

6月18,19日は日本緩和医療学会で東京へ。緩和医療・ケアが次第に学問的になり、深みと広がりが実感できるようになってきた。今回の理事会で大阪大学の恒○先生が学会の理事長になられた。若い先生たちが生き生きと活躍できる良い学会に育っている。懇親会夕食を済ませて渋谷の息子のとこに行った。
 桃ちゃんにオレンジのお洋服を届けるように家人から託された。桃ちゃんは起きて待っててくれたが、ジージの声が大きいのでびっくりして泣き出した。クマのプーさんが音楽を聞きながらご機嫌になった。テレビではワールドカップサッカードイツ対セルビアが放映されていたが、ドイツのクローゼが退場になり、先制されていた。歩いてホテルに向かいコンビニでつまみと蕎麦を買った。
 土曜日は11時30分のJALで熊本へ。熊本麻酔フォーラム前に開催された役員会に10分遅れて参加できた。若手がエコーガイド下の星状神経節ブロックと帝王切開時の脊椎麻酔+硬膜外麻酔について発表し、広島大学から見えられた讃○先生がナンバと麻酔に関わる体の動きについて講演下さった。一旦病院に戻り患者さんを回診し、懇親会会場のオーデンに向かった。

 
二次会はプラス1でワールドカップ日本対オランダを観戦、日本の応援をしながら・・残念ながら0対1で敗れたが、まだチャンスはある!ラーメンで締めて帰った。
 写真は讃○先生を囲んで
日曜日は父の日。緩和ケア病棟には4名のお父さん方がおられる。今日は子どもさんたちもきっとお見舞いに来られることだろう。  東京の息子一家から向日葵の花束がわらび餅と一緒に送ってきた。嫁いだ娘が婿と訪ねてきてくれた。野菜を沢山持って帰った・・・。夕食には得意の?ゴーや料理で一品花を添えた。末の息子は夕食の時に「お父さん父の日ありがとう・・」と言ってくれた。お土産に買っていた黒のTシャツを最近着てくれている。嬉しい。
 写真は娘夫婦がプレゼントしてくれたポロシャツを着て向日葵の花束を持っているところ
 たまった書類作成をしているうちに、龍馬伝が始り、いつの間にかワールドカップサッカーイタリア対ニュージーランドが始った。

2010年5月31日月曜日

一週間の出来事

火曜大学病院手術室へ、水曜市医師会の勤務医部会、木曜20時半から経営企画会議、金曜大学4年生の講義と夜はペインクリニック研究会、土曜日は福岡市で日本ホスピス緩和ケア協議会九州支部会となかなか充実していた。 ペインクリニック研究会では愛媛大学からN教授に講演をお願いした。N教授は温厚で来年の全国学会を主催される。

土曜日は福岡で開催された日本ホスピス緩和ケア協議会九州支部会に参加し、医師部門の分団討議の司会進行と発表を担当した。 写真は発表するG先生と私。熊本に帰り、サッカー部の新入生歓迎コンパに参加。もう飲まない・・・と誓う。
そして日曜日、病院で入院患者さんの回診後教会礼拝へ。13時には床屋さんで髪きり。15時ごろ知り合いのSOSで某病院に行き何とかその場を収めた
17時に家人と散歩に出たのだが、15分ほど歩いたところで目の前で自転車の女子高生と乗用車が衝突。手当てをして救急車に引継ぎ、警察の事情聴取。驚くほど覚えていなかった。
写真はきれいに咲いたよその家のバラ。。

2010年5月16日日曜日

熊本麻酔学会と同門会

 5月15日は熊本麻酔学会と同門会が開催された。特別講演に指名されていたので今の病院に赴任して以来「痛みとの戦い」で実践してきたことをまとめて発表した。時間は30分もらっていたが、A先生から丁度30分でしたね、と誉められた。U先生の特別講演は格調高く、研究の最先端に言及する内容だった。
 同門会に先立ち、記念写真撮影があった。ホテルの方に自分のデジカメを預け、写すようにお願いした。あとで医局長から写真を送ってください。HPに載せますのでと頼まれた。多くの出席者と旧交を温めることができた。
 懇親会が終わり、U先生とY先生と二次会へ。ここでO先生たちとあった。そしてU先生とY先生と別れ?O先生とラーメンを食べた。かなり美味しかったが、店の名前は失念した。O先生とも別れ、行きつけのショットバーに寄った。気がついたら3時。端っこのカウンターにうち伏して寝ていたようだ。まだお客さんもいたので、迷惑をかけたわけではなさそうだった。代行を呼んで帰宅。
 そして日曜日、入院患者さんも回診し、時間をかけて患者さんやご家族とも話した。14時過てから金峰山と花岡山コース挑戦した。夜は娘夫婦が訪問、新婚旅行の土産話で花が咲いた。

2010年4月28日水曜日

延期したノーマイカーデイ

 4月22日が豪雨のためノーマイカーデイを勝手に延期し、昨日帰宅ラン(23時自宅着)本日朝通勤ランを決行した。信号待ちも含めて、病院まで1時間10分もかかった。3,4年前は1時間かからなかったのに。今日は今から車で帰宅。PCを持って帰って、少しでも仕事を済ませようと思う。今夜病院当直のA先生の手伝いを少しした。救急外来が込み合っている。寝とけるうちに寝るようにアドバイスをしたが・・・
 明日は一日麻酔科当番日。たまった仕事を少しずつ片付けているのだが、急がねばならない仕事が次々に舞い込んでくる。

2010年4月14日水曜日

通勤ランはいつから始る?

 今日から通勤ランを始めようと計画していたが、早朝病院呼び出しがあり断念した。帰りは走ろうかなと思ったが、会議が21時30分まであって、その後報告書をまとめ、患者さんの証明書書きなどをしていたら23時を過ぎてしまった。大人しくブログをチェックして車で帰ることにした。
 することが多い。優先順位をつけるのなら、あれとあれなのだが、いつもこれやそれをせざる得なくなる。これもまた人生が、帰って早く夕食を食べよう!
 明日寒かったらまた延ばそう。通勤の車で、娘と昔話をしよう。

2010年2月13日土曜日

つかの間のジョッギング

 土曜日なのに外来患者さんが多かった。高〇先生と一緒に診療をしたので、13時前には終了した。病院レストランのランチメニューはカレーうどんご飯付き。カーボンローディングで、まるで今から走りましょうメニューだ。15時過ぎアクアドーム方面(往復20kmくらい)を目指して走り始めた。2.5kmほど行った所で、携帯呼び出し。「Sさんの息が止まりそうです・・」と。引き返し看取りをさせていただいた。患者さんはご家族はもちろん、親族やご近所の皆さんに愛されていた。沢山の方々が看取りに来てくださった。
 Sさんは、昨年12月在宅を希望され退院された。年末の夜にお宅を訪問した時、「よく来たね、お茶でも飲んでいきなさい」とおっしゃってくださった。2月になり、前日までデイケアに通っておられたが、とうとう動けなくなり緩和ケア病棟に戻ってこられた。悲しみにの中にも手厚い看取りをされた満足感をご家族に感じた。緩和ケア病棟のスタッフと手を合わせ見送った。
 毎日の臨床を心を込めて行っている。自分の知らないところで自分の将来が決まっていくのだろうか。神様は見守って下さることを信じて。
写真は、白川沿いで引き返した地点で金峰山、熊本朝日放送社屋、東横インを望む

2010年1月13日水曜日

雪景色

「いつの間に 朝目覚めれば 雪景色」 目覚めたら寒かった。外を見たら雪景色だった。K高の周りを走りながら写真を写したが明るさが足らず、上手く撮れなかった。家人が雪景色をバックに写真を撮ってくれた。









 朝は早めに家を出た。京町に上がる瀬戸坂は雪がなく問題なかったが、落とし穴があった。何と白川に架かる世継橋が凍結し、辛島交差点から世継橋を渡るのに20分もかかった。

 緩和ケア病棟のベランダのテーブルには雪だるまが作られていた。

今日は、入院患者さん、緩和ケア病棟への転棟患者さんがありその入院時サマリ作成、また昨日亡くなられた患者さんの退院時サマリ作成をしていたら22時になった。

 火曜からうちに来ているクリニカルクラークシップの学生寺〇さんは、よく頑張っている。彼女は世継橋を渡らないで来れたので、遅刻は無かった。麻酔科の病棟・外来を勉強して興味を持って欲しいと思う。 今日は麻酔科当番。呼び出されたらそのまま病院に泊まるつもり。だから早く寝よう・・と時計を見たら0時を過ぎていた。
「いつの間に 時は流れ 明日になり」

2009年3月26日木曜日

緩和ケア病棟送別会・激励会



 朝通勤する時、K高の横を通って桜を写した。満開だった。今日は21時以降の運勢に気をつけるようにと何かに書いてあったらしい。
 今日は二回目の緩和ケア外来担当。4名の患者さんのご家族と面接した。4名共に入院予約となった。
 G先生が8年間の緩和ケア病棟医長としての勤務を終え、在宅診療を専門に開業することになった。今夜のG先生の送別会・激励会には、現在のスタッフの他に、ボランティアの皆さん、元スタッフ、在宅支援の皆さんの参加があった。場所は緩和ケア病棟の忘年会などでよく利用させていただいているちゃんこ久光。

 参加した皆さんに一人一人から激励の言葉、思い出話などが披露された。G先生は、これからは経営者としての仕事もあるが、在宅医療・緩和ケアの先駆者として頑張って欲しい。うちの緩和ケア病棟の患者さんが在宅に移られるときには、是非在宅担当医としてお願いしたいと思っている。
写真は会場の模様。記念品(高級壁掛け時計)と花束はボランティアさんから手渡された。

2009年3月19日木曜日

リラックスした夜と仕事に生きる夜

3月18日は佐○さんの送別会。にしクラブとむさしクラブの有志が集まり、新土河原の「さくら」一大送別会になった。ITプロフェッショナルの佐〇さんが東京に行ってしまうのは寂しいが、ひかりちゃんや奥さんとの新しい生活を先ず祝ってあげたいと思う。
皆で32Gのメモリーを記念品として贈った。ビール、日本酒、焼酎と飲んでいたら、ずい分気が大きくなって資産運用の話しで盛り上がった。翌朝意気揚々と家人に話したら、 現実を見るように諭された・・・


 
 3月19日手術室での仕事、緩和ケア外来での仕事、大学にいって県のがん緩和医療部会での会議、緩和ケア病棟入院患者さん御家族との話し合い・・を済ませ、19時過ぎに熊本YMCAの会議に行った。予め電話をして弁当を確保してもらった。協議事項が済み報告事項に移ったところで携帯のバイブ(マナーモード)が着信を伝えた。外科のM先生からで緊急手術をしたいと言う。再び仕事モードに切り替えて、会議を中途退席し病院に向かった。
 患者さん診察と麻酔の説明をし、手術室で看護師さんと打ち合わせをする。麻酔科研修医も気合を入れて準備。21時50分手術室に迎えた。そして翌朝2時前に手術終了。手術室から集中治療室に戻ったのが3時前だった。患者さんはしっかり目覚めご家族と会話ができた。プロの仕事ができた。

終わってM先生が飲み物を差し入れしてくれた。サッカー部の後輩はすばらしい!
も少し手術が早く済むと良かったのだが・・

帰宅して4時過ぎに寝たが、8時に起きて病院へ。研修医は病院に泊まって既に患者さんを診ていた。凄い研修医だ。指導医は私だが・・