2012年3月7日水曜日

明日に向かって走る

寒さも一旦緩み、昨日今日と暖かくなった。昨日の新潟三条は雨が降っており気温は5-6℃ぐらいだった。昨日の帰りと今日の通勤(行き帰り)は走った。久しぶりなので随分疲れた。
今日は今日はなでしこジャパンの決勝戦。10 時までには帰って応援しなけらばならない。決勝のドイツ戦、前半まさかの二失点。コンパクトな守備が間延びしている。いつもよりボールへの寄りが遅いようだ。しかし川澄のゴールで1点差になって後半へ。合い間に風呂に入り残り湯で洗濯をした。

後半は点の取り合いで終了間際に3対3になったが、ロスタイムに一瞬のすきを突かれて3対4で準優勝となった。しかし「なでしこジャパン」の凄さ底力を感じた。
写真は得点シーンと佐々木監督のインタビューいずれもフジテレビ画像より

2012年3月4日日曜日

結婚式・同郷の恩師・デコポン

日曜日は早起きし、12㎞走った。朝風呂で身も心も清め、車の定期点検にも行き済ませた。今日は医局員の結婚式、披露宴会場の椿山荘(ちんざんそう と読むことを知った)Fホテルは有楽町線の江戸川駅から長い坂を上ったところにあった。
U先生の主賓挨拶は、格調高く日本国の原点に迫る内容もあった。最後の「二人には『秘密』も必要」との言葉には、自分も大いに賛成するものがあった。


二人のケーキカットの写真を撮り、後は食事に専念したが確実にオーバーカロリーになっている。今朝走ったのは焼け石に水かもしれないと思った。




CテーブルにはU先生をはじめT医科大の医局員(男性だけ5名)が座ったが、ただ一人新婦(T医科大学麻酔科の医局員)の小学校時代の恩師(女性)も加わった。早速挨拶をして、テーブルの雰囲気が和気藹々となるように努めた。
新婦の恩師の先生とお話しした。お母様が鹿児島の出身という。途端に親しみを覚えた。

新婦から両親へのお礼の言葉を聞きながら涙を流した。やはり涙腺が弱くなっている。披露宴終了後、タクシーで目白駅に行き目白駅からJR,西武新宿線を乗り継いで帰宅した。

20時ごろ熊本の中〇さんからデコポンが届いた。ありがとうございます。美味しくいただきます。
充実した日曜だった。ももちゃん、ひなちゃんのママから最新の写真も届いた。全部ありがとう!

2012年3月3日土曜日

卒業式・謝恩会

T医科大学第60回卒業式の良き日、91名の卒業生が旅立つ。麻酔科を代表して卒業式に列席した。国歌斉唱に引き続き、臼〇学長の式辞があった。医師としての心構えについて話された。石原忍先生(東大第3代眼科教授)の本からの引用ではあるが、80年前から今日までぶれることのない内容を持つ。良い話は式を格調高くする。


卒業生一人一人に卒業証書と学位記が手渡された。約1/3は女子学生でほとんどが和装(袴または振袖)一人がチマチョゴリを着ていた。皆良く似合っていた。男子は半数が羽織袴で半数はスーツだった。





目立った?のは応援団の紋付を着た卒業生で、名前を呼ばれ「おーっす」と堂々の返事、またほとんど坊主だがモヒカン刈りの卒業生は極めて真面目に記念品贈呈の担当を務めた。




自分が担当指導教官だった藤〇君は卒業証書贈呈時のシャッターチャンスを逃したが、席について隣の学生と証書を見せ合っていたようだ。
卒業式終了後に大学・同窓会・父母会主催の歓送迎会があった。卒業証書授与の時、出身県も読み上げる。熊本県出身の学生さんに声を掛けた。彼女の伯父さんは自分は存じ上げていた。あとでご両親が挨拶に来られたので恐縮した。藤〇君にも声を掛けたが、笑顔がまぶしく実際よりイケメンに見えた…失礼。
会場外には大勢の在校生がいた。卒業生が今から出てくるが、涙と笑いのシーンが弾け出す。夕からの謝恩会に備えて、一旦病院に戻った。
謝恩会は病院近くのKプラザホテル。15分前に到着し受付をする。出席のハガキは確かに出したはずなのに、自分のネームカードがないようだ。が、受付の学生さんは笑顔で来賓用の赤いバラをくださった。控室にいると幹部の先生方が続々みえた。会場には卒業生や家族の拍手の中入場。感心なことに、自分のような出席者のために、名前のない席が作ってあった。
謝恩会実行委員長の挨拶は、卒業生と過ごした思い出とともにこれからのT医科大を担い発展させるという決意を示してくれた。乾杯の前に鏡開き、出席者全員に枡酒が配られた。
テーブルの周囲の席は名札はあるが誰も来ていない。向かい側に座った寺〇先生などと話しながら少し食事をした。カクテルドレスで披露宴の花嫁さんのように着飾っている女子の卒業生が多い。参加しておられるお母さん方は顔なじみの方が多いのだろう、あちこちで話の輪が広がっていた。
熊本の忽〇さんのお父さんを見つけたのでお話しした。自分より2学年先輩で、共通の知り合いが多く話題に事欠かなかった。
娘さんとそのお友達とも記念撮影。お父さんは少し遠慮がちに後ろに移動し娘を引き立たせた。
藤〇君とも記念写真を撮った。藤〇くんも忽〇さんもT医科大で初期研修を受ける。麻酔科でも研修するので楽しみにしたい。
夜風で酔いを醒ましながら西武新宿駅に歩いた。

2012年3月2日金曜日

フリーダ送別会

3月1日は学会場はホテルとは目と鼻の先なので、ゆっくり朝食を取った。マラソンも済んだので体重コントロールを忘れてちょっと食べすぎたか?
教育講演(凝固線溶系の知識)を拝聴し、T医科大の奈〇先生が発表するポスター会場に行った。予演会とは打って変った堂々とした発表だった。質問にもはきはき?答えていた。写真は発表が済んでほっとした奈〇先生を囲んで。
午後2時半に面会の約束があったので、帰途についた。田〇さんや近〇さんが医療機器展示会場におられたので、しばらくお話しすることができた。
京葉線で東京駅に行き、ラーメンストリートで塩ラーメンを食べた。病院に戻って緩和ケアチームと回診し、部屋にいたら面会の方が来られた。
夕から、手術室安全会議、医局会と続き、午後7時過ぎからフリーダの送別会が「さつき」であった。自分は熊本から送ってきもらったドイツ赤ワインを持参したが、フリーダはドイツ人ながら梅酒のソーダ割が好きなようで、ビールも赤ワインも飲まなかった。京都や東京周辺を観光してから帰国するそうだ。いつかまたどこかで会えるだろう。元気でねフリーダ。

日本集中治療医学会 in 幕張メッセ

2月28,29日,3月1日の三日間千葉市の幕張メッセで日本集中治療学会が開催された。自分は2日目と3日目に参加した。2月29日は前夜来の大雪で、 西武新宿線は遅れるわすべるので早く歩けないわで自宅から2時間半かかって海浜幕張に到着した。
4月からICU担当になる関〇先生とお互いに興味ある講演やポスター発表などを聴いた。丁度アジア太平洋Critical Care Medcineの大会が同時開催されており、その会場でICUにおける栄養管理の講演を拝聴できた。午後からは教育講演(血液浄化、肝臓、循環補助法)を一番前の席でメモを取りながら聴いていた。



懇親会は通りを挟んで向かい側のホテルで行われた。T医大から参加の先生たちの多くが帰る?中、関〇先生と自分は懇親会一番乗りを目指し、会場入り口近くで、恩師森〇先生とお話をしながら開場を待った。中に入ると軽快なジャズが聞こえた。T医大のパーティーなどによく出演してくださる方がおられ、関〇先生はステージに上がって挨拶をしていた。


ICU領域の重鎮には熊大やT医科大の関係の先生方も多い。また九州から参加されている教授や部長などの知り合いの先生に挨拶し、関〇先生を紹介した。





韓国ソウル大学麻酔科のL先生は24年前熊大に留学したが、その当時自分が教育係だった。20年以上たつのにいつも挨拶を欠かさずしてくれる。写真はL先生と勝〇先生と。L先生と鷺〇先生と。
外国から参加の先生方ともできるだけお話しした。皆さん気さくに応対してくださった。国際学会の雰囲気も味わえてよかった。

関〇先生から、Aホテルのシングルルームを予約したのにツインの部屋に泊まることになったので一緒に泊まりませんかお誘いがあった。ここから帰って明日の朝もう一度来る4,5時間をの浪費する時間のことを考え、言葉に甘えた。ホテルにお願いすると+5000円でOKだった。Aホテル内のコンビニで二次会の準備を整え部屋に行った。23時32分と7時32分に千葉東方沖地震があり震度2だったが、19階にいたにもかかわらず全く気付かなかった。免震構造なのだろう。着替えは持ってこなかったが、一日半位何でもない・・・

2012年2月26日日曜日

東京マラソン2012大会

8時前に日比谷公会堂2階に着くと、既にランニングドクター(RD)たちは集まっていた。すぐに赤い帽子、医師と書かれた赤いビブスとゼッケン、荷物を入れる袋が配られた。自分は34.40名中34番目の走力と言う意味か?写真は出発前の全員での記念写真。
荷物を袋に入れ、9時20分には日比谷公園沿いの道路に向かった。最初は車いすマラソンのランナーが通過して行った。日比谷公会堂の前にBMWの自転車が数台おいてあったが、それらはAED自転車班に利用されたようだ。
9時30分過ぎに外国の招待選手とペースメーカーの一団が通り過ぎた。日本人選手はだれもいない。100m以上遅れて日本人選手を含む第二集団が通り過ぎた。



熊本の松〇さんからメールが来た。日比谷駅に一家で来られたようだ。息子さんが首都圏の学校に入られたので、一家で東京を楽しみに来られたという。その中に自分の激励も加えていただいたのだから、感激以外の何物でもない。


また阿蘇スーパーカルデラの仲間である高〇さんも応援に来てくださった。自分は10㎞地点の日比谷公園から10時50分にスタートする。一緒にスタートするS先生やゴール地点で待ってくださるRD責任者のK先生とも記念写真を撮った。
東京の大通りを走るのは気持ちが良い。
17-18㎞地点で心停止患者発生、自分が現場に来たときは既にAEDで心室細動は改善し意識回復したようだった。先にスタートした仲間のRDが付き添い救急車の到着を待っていた。
浅草に向かう途中東京スカイツリーが良く見えた。

この辺で折り返してくる前任の病院からの走友の清〇さんと出会う頃だな・・と思っていたら、向こうから見つけてもらって声をかけてもらった、。お互いに写真を撮りあった。
RDらしく、きつそうな表情のランナーには「大丈夫ですか?」と声をかけた。大抵、「大丈夫です、ありがとうございます」の返事があった。外国人のランナーには。「Are you OK?」「I'm all right, thank you.」「Keep your pace, enjoy!」の会話で話しては別れた。沿道からは「ドクター頑張れ!」の声援が思いのほか多くかけられた。
30㎞過ぎで体温低下で震えて吐き気を訴えているランナーがいた。意識ははっきりしているので軽症と言ってよいのだが、数100m前の救護所で気分が改善したからと言って走り始めたらしい。しかし、今回はもう走れないと言う。救急車を要請したが、軽症患者は民間救急車、中等症以上(入院治療が必要)は消防局の救急車が原則対応することを知った。
豊洲駅近くで、ひかりちゃん一家に出会った。わざわざ応援に来てくれていた。寒かっただろうに、ありがとう。これでまた元気が出てきた。
ゴールには15時7分過ぎに到着した。32㎞を4時間17分で走ったことになる。ただし患者対応の時間も入れている。キロ8分ペースはまずますと納得した。
RDとしての対応の報告書を出し、着替えて打ち上げ会場に向かった。昨年の10月に会場予約を申し込んだそうだ。飲み放題だったが、ビールが美味しかった。写真は打ち上げが終わって会場玄関前にて。
りんかい線、JR山手線で新宿に行き、U先生とさらに夕食??となった。U先生は明日の午後から学会で出張なのでその間のことについての打ち合わせ。当然のことながら満腹で帰宅した。
東京マラソンから学ぶことは多い。熊本城マラソンも日本を代表する人気の高いマラソンマラソン大会に育てなければならない。それにしても、T医科大学の皆さんは寒いからだろうか?誰とも会わなかった・・・

2012年2月25日土曜日

ランニングドクター集合東京マラソン前夜

明日の東京マラソンを控え、日本ジョッギング医師連盟所属で東京マラソンで走る医療班を担う医師たちの説明会と懇親会が新宿で開催された。
皆さん確かな走力を持ち、BLSなどの救命研修を受けておられる。
熊本城マラソンを走られた方も自分の他に二人おられ、月数回のフルマラソンをこなしている強者も何人かおられた。真剣に愛するマラソン大会が無事故で行われることを願っている。近くに座られた皆さんと話しながら確信した。写真は会終了後の集合写真。
幹事長のS先生とは明日はペアを組んで中くらいのキロ7㎞ペースで走るが、S先生はろっ骨骨折の後とか骨折ブラザーズで走ることになる。会長のK先生はT医科大の整形外科のご出身で、何か縁の大きさを感じる。写真は集合写真とK会長とS幹事長。