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2013年5月31日金曜日

柴又100Kmウルトラマラソンの前日


柴又100kmウルトラマラソンの前日、晴れて気持ちの良い日で早起きしたが電車で通勤をした。すでに5月の走行距離は205Kmになっており、疲れがたまっている。
病院に着きビルの隙間に見る青空が美しい。明日は曇って小雨が降ってほしいが、晴れのち時々曇りとか、最高気温は26-27℃になるようだ。
夕食は初期研修医で麻酔科をラウンドしているF田先生と近くの焼き鳥屋に行った。彼は学生時代から担当教官としてつながりがある。麻酔科にいる間に色んな勉強をしてほしい。ここではビールは小ジョッキ(グラス)二杯までとして、家に戻った。二度目の夕食は天婦羅うどん定食(ごはん付)のカーボローディングで明日に備えた。

2012年12月12日水曜日

ラン・ラン・ラン

土日ランニングをサボったからではないが、月火と通勤ラン往復に挑戦した。朝は6時半出発なので、ギリギリ7時半前後に病院到着。部屋に入って直ぐに乾布摩擦をして、水洗いしてきつく絞ったタオルで体を拭く。着替えて朝カンファレンスに参加し、患者さん入室までのわずかな時間を利用して手術室のシャワーを浴びた。夜は遅くまで残る会議や話し合いがなかったので、20時までには病院を出た。青梅街道沿いの歩道では、さすがに若者が多い。ちょっと前までは都知事や衆議院選挙の選挙カーが必死になって通っていたはずだ。

火曜日、東京・関東は晴れ。富士山がくっきり見える。


新潟は雪。トンネルを抜けると雪国だった。特に浦佐付近は吹雪のようだ。
水曜日、手術室リーダーの日。15時半までは平和に経過している。今しがた学生クルズスを済ませた。皆元気良く、授業への反応も良かった。あとは試験結果だが。


12日間毎日7km走ると84kmになるが、まだ60 kmに満たない。忘年会の日も往復ランをする硬い決意が必要になった。若干顔が引き締まった感じがするが、下腹部はまだへこんでいない。 家人が今日熊本に帰ったので、明日からもっと早起きできる。

2012年2月26日日曜日

東京マラソン2012大会

8時前に日比谷公会堂2階に着くと、既にランニングドクター(RD)たちは集まっていた。すぐに赤い帽子、医師と書かれた赤いビブスとゼッケン、荷物を入れる袋が配られた。自分は34.40名中34番目の走力と言う意味か?写真は出発前の全員での記念写真。
荷物を袋に入れ、9時20分には日比谷公園沿いの道路に向かった。最初は車いすマラソンのランナーが通過して行った。日比谷公会堂の前にBMWの自転車が数台おいてあったが、それらはAED自転車班に利用されたようだ。
9時30分過ぎに外国の招待選手とペースメーカーの一団が通り過ぎた。日本人選手はだれもいない。100m以上遅れて日本人選手を含む第二集団が通り過ぎた。



熊本の松〇さんからメールが来た。日比谷駅に一家で来られたようだ。息子さんが首都圏の学校に入られたので、一家で東京を楽しみに来られたという。その中に自分の激励も加えていただいたのだから、感激以外の何物でもない。


また阿蘇スーパーカルデラの仲間である高〇さんも応援に来てくださった。自分は10㎞地点の日比谷公園から10時50分にスタートする。一緒にスタートするS先生やゴール地点で待ってくださるRD責任者のK先生とも記念写真を撮った。
東京の大通りを走るのは気持ちが良い。
17-18㎞地点で心停止患者発生、自分が現場に来たときは既にAEDで心室細動は改善し意識回復したようだった。先にスタートした仲間のRDが付き添い救急車の到着を待っていた。
浅草に向かう途中東京スカイツリーが良く見えた。

この辺で折り返してくる前任の病院からの走友の清〇さんと出会う頃だな・・と思っていたら、向こうから見つけてもらって声をかけてもらった、。お互いに写真を撮りあった。
RDらしく、きつそうな表情のランナーには「大丈夫ですか?」と声をかけた。大抵、「大丈夫です、ありがとうございます」の返事があった。外国人のランナーには。「Are you OK?」「I'm all right, thank you.」「Keep your pace, enjoy!」の会話で話しては別れた。沿道からは「ドクター頑張れ!」の声援が思いのほか多くかけられた。
30㎞過ぎで体温低下で震えて吐き気を訴えているランナーがいた。意識ははっきりしているので軽症と言ってよいのだが、数100m前の救護所で気分が改善したからと言って走り始めたらしい。しかし、今回はもう走れないと言う。救急車を要請したが、軽症患者は民間救急車、中等症以上(入院治療が必要)は消防局の救急車が原則対応することを知った。
豊洲駅近くで、ひかりちゃん一家に出会った。わざわざ応援に来てくれていた。寒かっただろうに、ありがとう。これでまた元気が出てきた。
ゴールには15時7分過ぎに到着した。32㎞を4時間17分で走ったことになる。ただし患者対応の時間も入れている。キロ8分ペースはまずますと納得した。
RDとしての対応の報告書を出し、着替えて打ち上げ会場に向かった。昨年の10月に会場予約を申し込んだそうだ。飲み放題だったが、ビールが美味しかった。写真は打ち上げが終わって会場玄関前にて。
りんかい線、JR山手線で新宿に行き、U先生とさらに夕食??となった。U先生は明日の午後から学会で出張なのでその間のことについての打ち合わせ。当然のことながら満腹で帰宅した。
東京マラソンから学ぶことは多い。熊本城マラソンも日本を代表する人気の高いマラソンマラソン大会に育てなければならない。それにしても、T医科大学の皆さんは寒いからだろうか?誰とも会わなかった・・・

2012年2月25日土曜日

ランニングドクター集合東京マラソン前夜

明日の東京マラソンを控え、日本ジョッギング医師連盟所属で東京マラソンで走る医療班を担う医師たちの説明会と懇親会が新宿で開催された。
皆さん確かな走力を持ち、BLSなどの救命研修を受けておられる。
熊本城マラソンを走られた方も自分の他に二人おられ、月数回のフルマラソンをこなしている強者も何人かおられた。真剣に愛するマラソン大会が無事故で行われることを願っている。近くに座られた皆さんと話しながら確信した。写真は会終了後の集合写真。
幹事長のS先生とは明日はペアを組んで中くらいのキロ7㎞ペースで走るが、S先生はろっ骨骨折の後とか骨折ブラザーズで走ることになる。会長のK先生はT医科大の整形外科のご出身で、何か縁の大きさを感じる。写真は集合写真とK会長とS幹事長。

2012年2月19日日曜日

第一回熊本城マラソン

第一回熊本城マラソンの目標は(エイド以外は歩かない)ずーっと走る、キロ7分(7x42.195)で約300分なので5時間前後でのゴールとしていた。トレーニング開始が1月スタートなので、これもハードルが高い。しかも2月26日は東京マラソンで走る医療班(10km地点からゴールまでの32kmを走る)が控えている。そのような理由で6時間は切りたいなと心密かに思っていた。
朝は-1℃まで冷え込んだが、スタート地点から約800m離れた場所で待機しているうちに日が射してきた。写真は控室で、てれっとウルトラマラソンクラブの仲間たち。





写真は自転車AED部隊の出発もよう。







9時過ぎのスタート時点では2.5℃まで気温が上がったが未だ寒い。Dブロックからのスタートだったので、スタート開始からスタート地点まで到達するのに6分要した。通町筋に1万人がそろい走りだすのは圧巻だ。大甲橋が人で埋め尽くされている。九品寺交差点に姉がいた。携帯で写真を撮ろうとしたが失敗したようだ。



熊本市医師会館の2階には横断幕田〇先生ファイト!とあった。手を振って応えた。






熊本地域経センター前の四つ角から、緩和ケア病棟のボランティア控室にいて応援してくれているMさんを確認。写真をとり手を振った。






平成大通りに入り、JRをまたぐ大橋はきついが歩かず走り続けた。頂上からMx2さんのマンションが見えた。けやき通りに入ると、右側にひまわり在宅クリニックが見えた。2階で二人旗を振っていた。院長のG先生は自分よりずっと先を走っていることだろう。それにしても、トイレ事情が悪く、大勢の人たちが並んでいる。15~20分は待ち時間がありそうだ。
蓮台寺の地下道を抜けると、岩〇さんの自宅の前に出る。息子さんと応援、約束の梅肉入りおにぎりを準備してくれていた。ここで、「岩ちゃんトイレ貸して!」とお願いし、お借りする。娘のSちゃんは出産で実家に帰省中。まだ一月にならないU君とも面会した。元気にね!
熊本西大橋を越え、アクアドームから上護藤公民館までは地元の方々が大勢沿道の集まり熱心に応援してくださった。この辺からキロ8分を越えるペースになっていた。
川尻地区に入ると応援が一層にぎやかになった。もともと団結の強い地区で、隙間がないほどの応援で力づけられた。



加勢川沿いから飽田にかけては田園地帯だが、集落のあるところを中心に人々が応援してくれていた。田んぼには応援の横断幕が立っていた。





飽田から県道熊本南港線に向かう途中、Mさんの1番目のお姉さん親子と会った。写真とってMちゃんに送るね。とお互いに写真をとりあった。
熊本港線を西に向かう。西風が冷たく体力を奪う。右足をかばって走るので、この付近ではキロ9分を越えるペースになっていた。Mさんの2番目のお姉さん親子はここで応援。写真を撮ってもらった。


本大会ではゆるキャラのクマモンの着ぐるみを着た人が多く走っていた。その中でも大きな着ぐるみを着たクマモンは、走るの止めて太鼓を叩いていた。この間前任病院の水〇さんや工〇さんい会った。麻酔科の後輩の定〇先生は故障が多いとゆっくり走っていた。しかし3人とも自分より先に行った。
再び岩〇さんに会い、元気をもらって市街地に入った。南熊本の山〇歯科の山〇先生がビルから顔を出していた。手を振って声をかけると気づいてくれた。熊本地域医療センターの角を左折した。てれっとの三〇さんが、手を振って走るようにアドバイスをくれた。白川沿いの道に入った。ここは自分のテリトリー(ジョギングコース)だったところだ。幾人かの友人(ボランティアで参加)と出会った。
中央郵便局、福田病院、熊本YMCA、熊本市立博物館への道は、通勤道路だった。熊本YMCAの前で、家人が釘〇さんの奥さんと応援。この坂を上り、さらに二の丸公園横の催し物広場に駆け上がった。遠くの電光掲示板は6時間を超していた。フィニッシュ手前でRさんが手を振っていた。挨拶して写真をとってゴールした。6時間11分38秒は予定よりも随分遅かったが、歩かずにゴールで来たので満足。途中出会いがあったり、写真を撮っていたので思い出の詰まった大会になり満足だ。

二の丸公園ではショーやで店でにぎわっていた。完走率は93%だったようだ。
家に戻りゆっくり風呂に入った。足首の腫れはなく、ふくらはぎが少し痛む程度だった。




打ち上げ会場の「鶴重」に行った。仲間が既に集まり乾杯も終わっていたが、乾杯は何度あっても良い。






千葉から参加の飯〇さん親子と自分は遠来なので、皆さんにとっても気遣ってもらった。
翌20日、足はそれほど痛まない。26日の東京マラソンに気持ちを切り替えた。



最後に、今大会のお世話をしてくださった皆さん、ボランティアとして支えてくださった皆さん、応援をしてくださった皆さんに心から感謝いたします。大成功の大会だったと思います。

2012年1月4日水曜日

皇居一周20km?

今日は土曜日扱いとのこと、昼過ぎに大学病院幹部の新年の挨拶が講堂で行われた。内〇先生と近所の定食屋で昼食をとった。ご飯とみそ汁はお替りし放題の店で若い男性客が多い。内〇先生の話では午後1時半を過ぎてから来店すると、混み合う時間帯を避けることができるという。
天気予報では18時頃は雨になっていたが、一度は西新宿からスタートして皇居を一周してみたいと思っていたので、ダウンを着込んでジョッギング&ウォークとしゃれ込んだ。
 新宿駅北側の地下道(西口から東口に通じる)を抜け、新宿通りに出た。新宿通りは新宿大ガード東交差点から四谷四丁目交差点までの通りのようだ。半蔵門のある国道20号線までの区間は大麹町通りと看板があったが、これも新宿通りと呼んでいるらしい。新宿3丁目のこの通り沿いには伊勢丹百貨店やOIOI(マルイ)、大韓民国大使館があったが、人が多くてジョッギングは不可能だった。
 四谷交差点は丁度四谷駅の横にあり、橋からJR四ツ谷駅総武中央線の線路が見える。この辺はYMCA日本同盟や上智大学などがある。
写真は交差点から新宿通りのほうを望むと、





橋から見た四ツ谷駅プラットフォーム





帰りに写した上智大学。







さらに半蔵門に行き、皇居の周りを反時計回りに走り始めた。「歩道はランナー専用道路ではありません。歩行者に気を付けてください。」の看板がいくつかあった。
半蔵門から数十m時計回りに行くと公衆トイレがあるのだが、反時計方向に走ったのでトイレがない。歩道に敷設してある県花の敷石の熊本県りんどうを撮影した
M新聞社社屋の地下はレストラン街になっており地下鉄東西線の駅に通じる。ここにはきれいなトイレがあり、安堵した。
風がかなり冷たく、ジョガーは多くなかったし、2名時計回りに走っていた以外皆さん反時計回りに行儀よく走っていた。
再び半蔵門に戻り、一路西新宿へ向かった。汗はかくし足は棒のようになっていたので、歩くのが8割以上になった。新宿御苑まで地下鉄で来て走ったほうが良いような印象を持った。この間、万歩計では約20kmの移動距離であったが本当であろうか?

2011年7月31日日曜日

都立家政の阿波踊りと折鶴ラン東北編(佐野・小金井30㎞)

7月30日思いがけず帰宅が早くなった。遠くで(いや近くで)鉦や太鼓のにぎやかな音が聞こえた。
都立家政商店街の夏祭りは阿波踊りとのこと、明日はほかの商店街の踊り連も駆けつけ大賑わいになるという。今日はその前夜祭?とでも言おうか、都立家政商店街の踊り連が商店街の中心で(自宅から50m)でパフォーマンスを披露してくれた。
明日は「東日本大震災チャリティーラン&ウオーク」に挑戦している、Oさんと走ることになった。夜のうちに足利駅に向かおうと準備していたらOさんから電話、明日の9時に佐野駅前で待ち合わせることになった。

7月31日4時50分起床、5時34分の電車で山手線・東北新幹線・両毛線を乗り継ぎ栃木県の佐野駅に向かった。乗り継ぎが良すぎて9時待ち合わせの時間前に到着したので、しばらく佐野駅周辺の散歩を楽しんだ。写真は佐野駅前のサルスベリ。


9時谷治さん乗用車にて駅へ。既に走る始めているOさんを追いかけた。今日の出発地点から5Km地点で追いつき小金井駅に向い走り始めた。写真はOさんと合流。




そして脚比べ。
以下はOさんのHPから借用。 http://www.hi-net.zaq.ne.jp/genkidesu/higashinihondaishinsai.html




本日のゴール小金井駅にて。



[④ 7月31日(日) 佐野市~東北線小金井駅 35km 曇り
昨夜の雷雨は通り過ぎ、雨はなく雲の多い朝を迎えました。7時50分に電話が鳴りました。
熊本むさしクラブのTさんが今日は一緒に走ってくださいます。「もう佐野の駅に着いたよ」
さすが、早起きの先輩ランナー。「もう少し待ってくださぁい!」
そういえば、早朝?3時54分に震度4の地震がありました。携帯の緊急地震速報で目が覚めました。みなさん大丈夫でしたでしょうか。睡眠不足になりながらも、ランナーは前へ進みます。
8時35分に走り始め、9時15分から先輩ランナーと合流。ひたすら田んぼに囲まれた道を小山へ向かいます。予定距離は、Yさんの話では38km?「でも、今日は二人だからつらさも半分!」とはいきません。それでも、二人で走ると、会話は少ないものの、互いに励まし合って休憩も少なめ。水分補給だけですぐに走り出します。
やっと4号線に入った小山が28km地点。後7km。がんばれ!国道の道標に励まされながら、ようやく小金井駅着。伴走のYさん、一緒に走ってくださったTさん、ありがとうございました。
さあ、Mさんの待つ、那須へ直行!温泉につかり、バーベキューのごちそう!ご家族みなさんで迎えていただき、感謝感激!ワイズライフ満喫の一日でした。今夜は、オートキャンプ場、トレーラーハウスでお休みなさい。]

Tさんと合流!よろしくお願いします!せんぱぁい!
写真が入ります
ウルトラマラソンランナーにペース配分を教わって…。

ようやく国道4号線に入りました。あと7km!もうひとがんばり!
小金井駅着!昨日との合計73kmでした。お疲れ様!

那須のご用邸?Mさん家のお庭です!ひろーい!

ご家族みなさんとバーベキューをいただいて、かんぱぁい!

写真は露天風呂とご家族の皆さんと。

Oさんの自宅は神戸市。昨年はワイズメンズクラブの西日本区大会開催地広島へ、またワイズメンズクラブ国際大会開催地横浜に向け土日を利用して走っておられる。横浜では、せっかくなら日本橋まで走りたいとのことで、距離を延ばされた。自分は川崎駅〜品川駅、品川駅〜日本橋の2日間お付き合いさせてもらった。今回は大震災の後相馬にボランティアで訪れ、「東日本大震災チャリティーラン&ウオーク」を決意されたという。全国のワイズの仲間たちが応援している。自分は走ることができるので一緒に30km走った。それにしてもOさんは強い!25km位までは一緒にはしれたが殘り5kmはついていくのがやっとだった。
 Yさんは明日から仕事?で台湾へ、Mさんは3日間車で伴走して下さる。熱い心に頭が下がる。

2011年4月18日月曜日

阿蘇カルデラ前半戦練習会

5時23分龍田口発の電車は、この日の練習会に参加する人で賑わっていた。U/Yさんの話を聞きながら、睡眠時間が4時間あったかな?と考えていた。
6時40分立野駅を出発しスタート地点の旧長陽村ヴィーナスへ約5㎞のウオームアップ。7時半スタート。22㎞地点まではキロ6分ペースを守りたいが、そうはいかない。風が強く寒いので、ポリ袋をかぶってのラン。清栄山続きの黒岩峠頂上まで3時間15分、30㎞地点まで3時間45分かかった。ここまでは本番での関門時間はクリアした。
赤羽根(土地の名前)から峠を越えではだらだらとした上り坂が続くが、ここで約1㎞のワープ。いつの間にか後ろを走っていたメンバーがリタイアして、自分が最後尾になっていたようだ。自分の前にいたMさんとしばらく走った。そして4㎞程の急なくだり。下り切った所が40㎞地点で、後はほぼ平坦または下りでゴールの瑠璃温泉に13時20分ごろ到着した。合計52.1㎞だった。
今回も、エイド担当のO/K/T/H/Kさんたちには大変お世話になった。食べて走る訓練も兼ねており、その目的は100%以上達成した。東京ではアップダウンのあるコースを見つけられるのかな?と心配している。月間走行距離は短いが、こまめに花岡山や金峰山に走っているので、何とか走れたのだろう。

2011年3月29日火曜日

花見

29日午後5時20分から6時45分まで、白川沿い堤防桜並木、花岡山、熊本城の3か所花見をした。入院患者さんに桜の名所を写真に撮って届ける。あいにく雨だったが、ひるまず帽子をかぶって出発した。この花見は、桜の名所3ヶ所をまわるジョッギングのこと。
白川沿いは未だ5分咲きか、体が温まるまでは寒さを我慢してのジョッギング。
花岡山は7分咲きの桜も多く、今週末には満開か。途中枝垂れ桜もあったが、まだ木自体が小さいのでパッとしない。
熊本城二の丸公園で雨の中花見?をしているグループが3グループいた。何という・・と思ったが、向こうも雨の中走っている自分を見て、呆れたことだろう。
病院でシャワーを浴び、午後7時からの会議に出席、済んでから病棟の患者さんに桜便りを早速してきた。とても喜んでくれた。
 その前日は、ジャズピアニストのNさんから、夫婦で会食に招待された。以前はサン・アントニオ市に住んでおられた。国際交流委員としてサン・アントニオに行き来するようになり、親しくさせていただいている。食事のあと、ピアノ演奏もしてくださった。感謝。

2011年3月1日火曜日

走然会送別会

未だ2ヶ月あるが、病院ジョッギングクラブ(走然会)」の送別会が2月28日「さくら」で開催された。15,6年前I先生の発案で創部し、活動してきた。懐かしいメンバーも参加してくれた。
このような仲間がいるから、ストレスの多い仕事も楽しくできた。一人ひとりと話しながら、今までの幸せを振り返った。
記念品はキーホルダー必需品だ。5月から使おう。

今日から3月。熊本日日新聞の読者の広場に、自分の投稿が採用された。丁度紙面の真ん中にあるので広報の役割もしてくれるだろう。3月5日午後2時から熊本地域医療センター新館6階ホールでの「緩和ケア病棟開設10周年記念講演会」にぜひ多くの方に来てもらいたい。学生さんたちが来てくれるのなら、全員合格にするのだが・・・
写真は後で

2011年2月26日土曜日

日本集中治療学会三日目

朝5時15分起床。片付けなどしていて、走り始めたのが5時45分だった。北風が強く寒い。昨日とは全く違う天気だった。再び桜田通り沿いに東京タワーへ。2回も往復すれば、道は間違えない。
途中の明治学院大学の校舎はきれいだった。途中覚林寺というお寺があり、清正公大神儀御鎮座の看板があったので、加藤清正公と関係があるのかと思い入った。が、違った。開運を祈願しに多くの方が来られるとのこと、家族や患者さん、友人たちが守られるようにお願いした。
  成人呼吸不全のECMO(体外循環・人工肺による治療)のシンポジウムを聴いた。我われは30年前に注目し、臨床応用を始めた。今にしてブレークしようとしている。12時前に会場を離れ、桜木町駅でそばの立ち食いで昼食を済ませた。京浜東北線で品川に行き、山手線に乗り換え恵比寿に行った。湘南新宿線なら乗り換えずに済んだようだが、これも学習。
 息子の家に行ったら、桃ちゃんは起き抜けでぐずっていた。いないないバーをしても効果なかった。家人が午前中に来ていたのだが、その時は上機嫌だったという。最近風を引いたらしく、鼻水が出て、声が少しかすれていた。少しやせたのだろうか?
息子と、家人と中野、新宿を回り再び恵比寿へ。恵比寿駅にある総菜屋さんに(デリカ フード)にグリルつばめのハンバーグがあった。
夕食は息子のお嫁さんの手作りをごちそうになった。桃ちゃんは少しずつ機嫌が直ってきた。ジージを見て笑ったり、帰る前にはお膝まで寄ってきた。品川駅横のコンビニでつまみとビール・酎ハイを購入。こんなにゆったりとした夜は久々で健康に良い。明日は東京医科歯科大学で集中治療学のリフレッシャーセミナーを受講するが、5時には起きて走ろう。今日の歩数は27000歩を超えていた。足が強張るはずだと思った。

2011年2月25日金曜日

日本集中治療学会二日目

朝5時起床し、5時半から東京タワーまで走った。約10㎞?があるだろう。風はあったが温っかだったのでコートは部屋残し学会場の横浜に行った。9時から17時までみっちり学会人となった。
夜は横浜中華街へ。ひょんな縁で北京という中華料理店に行った。善隣門から中華街大通りに入り中山路に右折そして電話は045-651-6383定休日日は水曜日という。美味しいことと予算はほどほど(決して高くない)は請け合いだった。おかみさんは宮崎の出身だった。
帰る頃から冷たい北風が吹いてきた。品川駅近くのラーメン屋に寄ったが期待したほどではなかった。明日は防寒着を着て走る。

2011年2月3日木曜日

最終講義と3週連続学生さんと走る

 2月1日は学院での最終講義、次週は試験となる。国家試験対策に作成した50問を解説しながら授業を進めた。途中ざわめき学習手法を取り入れたり質問をして、学生の参加意識を高める工夫をした。これらの問題はプールして試験に出すことがある。学院の方に平成20,21,22年度の国家試験問題を送ってもらった。ここまで言ってて試験ができなかったら、どのようにして救くおうか?やはり記述式も入れておこう!
 そして夕方、今週クリニカルクラークシップの山〇さんと白川沿い7kmラン。彼女はソフトテニスの部活をしているらしく、キロ7㎞ペースでは平気でついてきた。市外の出身なので、熊本市の常識をいろいろ教えてあげたら感心していた。