2012年1月2日月曜日

立田山山頂へ

昨夜娘から「朝一緒に走りたい」と電話があった。少し元気が出てきたようだ。朝7時に家に来たので準備をして7時20分スタートした。途中のポイントでは雲の合間から朝日の光が射しこんだ。
世継宮に参拝したが、巫女さんもまだ来ていなかった。





北展望所で記念撮影。ここまでは婿のU太君と同じコース。
ここから、山頂に向かって緩やかな坂をトボトボ走った。



山頂には自分たち以外には一人だけ。山麓の住宅地を抜けて再び上り坂。約10kmのコースだが、病み上がりの娘と自分なので2時間以上かかった。娘は「走った割には達成感がない・・」とか言っていたが、走るよりお話しすることを優先した「お楽しみジョッギング」なのでそれも仕方ないだろう。
12月19日自宅の火事で親戚の家に移っておられるOさんに連絡を取った。自宅にあったお茶やミカン、タオルなどを差し入れに行った。とても喜んでくださった。彼女はケーキ作りが得意で、時々差し入れをしてもらった。「また作れるように元気になってね」と言って別れた。
再び写真の整理をした。ひと部屋に自分の未整理書類や写真、記念品などが置いてある。今年の目標はこの部屋の荷物の断捨離だ。今日はここまでで、熊本空港に向かう。18時のANAで東京に行く。家人が来るまで単身が続くが、2月の中旬に鹿児島や熊本に行くので、東京には来ないかもしれない・・・

2012年1月1日日曜日

元日

5時45分起きし、6時40分家をスタート45分に麻生田交差点で娘婿のU太君と会って三社詣りに向かった。去年と違うのは雪がなく曇っておりさほど寒くないこと。
最初の世継宮は立田山その東峰天拝山の頂上に位置する。歴史は古く961年に遡るそうだ。以前は本荘にあった。現在地に移転したので自宅から3km程で到着する。途中日の出を拝むポイントがあるが今日は曇りで全く見えず。未だ早かったのだろう、参拝者はほとんどいなかった。紙幣を準備し賽銭箱へ入れた。家族の健康、仕事の充実を祈った。
しばらく立田山自然公園内を走った。北展望所は壊れて進入禁止になっていたが、U太君と記念写真を撮った。
山を下り、旧57号線沿いに子飼商店街に向かった。熊大には受験生らしい学生さんが集まっていた。正月早々模試?だろうか??子飼商店街はひっそりとしていた。今日は休みのようだ。
裏道沿いに藤崎宮に入った。さすがに参拝者は多くなった。記念撮影をしているカップルの写真を撮ってあげて、こっちの写真も撮ってもらった。参道には出店が沢山出ていたが、お客さんは未だ少なかった。
上通りに入る前に、ア・ラモートの新本さんを訪ねた。去年も同様に訪ねた。丁度初商いの準備をされていた。今日は加藤神社方面に行かれるようだ。
上通りではU太君の弟のH君に会った。早速記念写真を撮った。


下通りはパルコだけが初商い(福袋)のようで大勢人が並んでいた。新市街から県民百貨店、交通センターの前を通り、行幸坂を上った。
加藤神社には参拝者が並んでいた。無事に参拝を済ませ、巫女さんに記念写真を写してもらった。熊本城は入場無料となっていたが、時間がないので入らず京町台から池田町、津浦を通り、坪井川沿いに堀川に抜けた。U太君はそのまま自宅へ、自分は約2kmを走って風呂の沸く自宅に戻った。
走る方向の右側が低くなっていると右足首に負担が加わることが分かった。約23kmだったが4時間10分かけているので、走る時はキロ8分以上のペースだったろう。しかし走れたから良い。通勤ランを再開して2月の熊本城マラソンを目指そう。
昼過ぎに次男がお腹をすかせてリビングに来たので一緒に少し食べ始めた。しばらくして長男一家がきた。娘の体調が悪いようで、娘のとこからひなちゃんを連れてきた。写真は準備万端のおせち料理。
直ぐにお屠蘇を順番に飲んで記念写真を写した。

家人とあ〇ちゃんは交代で食事の準備と子守、長男も自分も子守に役立とうと努力をしたが、自分はお誕生席に座ってにこにこしているだけの方が存在感があったようだ。ももちゃんとひなちゃんは椅子を太鼓代わりにして遊んだりもした。兄弟みたいだった。
後でU太君が来てくれたので、長女に正月のごちそうを届けた。二人の孫が元気だったのは何よりだが、娘にはあせらずゆっくりして体調を回復してほしい。

2011年12月31日土曜日

大晦日

元旦の天気予報は曇りところによりにわか雨。初日の出は拝めそうにないので、朝日を写しにK高に向かった。既に太陽は昇っていたが・・・。
「大晦日朝日に感謝この一年」
 午前中は買い物、午後から掃除の指令が出た。鶴屋のフーディーワンでお正月の食料買い出し。詰め放題一袋250円のミカンがあったが、小ぶりのミカンを選ぶのがコツで袋にたくさん入る。家人の軽乗用車をガソリン満タンにし灯油も買ってきた。
ひなちゃんちに行って、U太君とひなちゃんへプレゼントを届けた。ひなちゃんは昨夜のお風呂を思い出してジージの顔を見て泣いたが、U太君はとっても喜んでくれた。写真はU太君のご両親から贈られた破魔弓。
 高校サッカーでは熊本県代表のルーテル学院が惜しくも清水商業に敗れた。なでしこジャパンの特集を時々観ながら、昔の写真の整理を始めた。懐かしい写真が次々に出てきた。アルバムに整理できなかった写真も多い。これはという写真を選んだ。持ち帰ってパソコンに整理しようと思う。
次男が夕食を食べ始めたので、加わった。食べ終わって、次男と家人が「お父様のおかげで今年も一年過ごせました。お疲れさまでした・・」と言った。「家族がいるから頑張れたのです。」とお礼を言った。
 紅白歌合戦が始まった。バックグランドミュージックにして、一年の振返りを始めた。

 1月1日娘婿のU太君と新雪の中を三社詣り約25kmのラン初めでスタートした。2月11日熊本むさしクラブと京都みやびクラブのDBC交流が新燃岳の麓、霧島温泉で開催された。霧島温泉はほとんど影響を受けていなかったが、お客は激減したとのこと。観光協会副会長の中〇さんには大変お世話になった。3月11日、外来を終え待合室を通っている時、テレビに想像を絶する大津波のシーンが映っていた。東京に住む息子や親戚に連絡を取ったが、夜遅くになってやっと携帯がつながった。日本人力を信じ、東北大震災復興への募金活動に奔走した。4月23日娘に長男「陽太」誕生。この日は熊本大学麻酔科学教室で自分のT医科大学麻酔科学講座教授就任祝いをしていただいた良き日でもあった。30日熊本空港で恩師森〇先生ご夫妻の見送りをいただき、5月からT医科大学で58歳の挑戦が始まった。6月4日阿蘇スーパーカルデラ100kmマラソンに挑戦、13時間28分23秒で最下位ながらも完走。ちなみに完走率は60%前半だった。
 7月17日、なでしこジャパンの女子ワールドカップでの優勝は、自分のみならず日本中に喜びと希望を与えてくれた。優勝の瞬間、鳥肌が立った。7月20-23日、日本ペインクリニック学会で松山市へ出張。正岡子規、坂の上の雲、夏目漱石、伊丹十三など、松山には魅力あふれる施設や物語があった。8月18-20日愛車をフェリーに乗せて東京へ。船旅は楽しかったが、初めての首都高速は緊張した。9月10日姪のCちゃんが結婚。幸せになって欲しい。また一緒に走ろうね。10月15日、日韓YMCA医師蹴球親善交流が釜山で開催された。試合開始5分、右足首をひねった。痛みをこらえながら、残りの時間を走り続けた。帰国後整形外科受診、右脛骨外顆剥離骨折の診断を受けギプス生活となった。11月2-5日、日本臨床麻酔学会で沖縄に出張。ギプスのままの学会出席は恥ずかしかった。26日は熊本一鶴会(高校の同窓会)が熊本で開催。会長の役目を世話人のみなさんの支えで果たすことができた。12月、例年のように忘年会に参加していた。西武新宿線や山手線はよく行ったり来たり(座ると直ぐに眠ってしまう)した。
 心配していた単身赴任も、料理を作る楽しみが何とか解決してくれそうだし、U先生や講座のスタッフたちとの夕食(飲み会ばかりではない)、長男一家(ももちゃん)との交流は自分を癒してくれた。東京に転勤したことで患者さんや前任の病院には随分迷惑をかけてしまったが、自分自身も勉強でき若い先生たちや学生さんたちを育てる楽しみでリフレッシュできたと思う。
 今年の紅白歌合戦のテーマは「あしたを歌おう」、東北大震災をきっかけに見つめなおされている「人と人との絆」を示すシーンが流れる。その度に目頭が熱くなった。「あなたも涙もろくなったね」と家人に言われたが、そのとおりだと思う。明日は家族が改装なった我が家に揃う。
 「紅白を観ながら思う家族愛」
 「ゆく年が考えさせた命かな」
ブログを初めて丸4年、アクセス数は41850件を超えた。後押しされてブログは続く。

2011年12月30日金曜日

年末帰省

自分にとっての帰省とは正確には種子島になるのだが、家族のいる熊本に4泊5日で帰ることにした。28日はT医科大学・病院幹部?の忘年会があった。他科の先生たちとお話しする良い機会で、中・高時代の同級生だったOさんの弟さんともゆっくり話すことができた。終わって、U先生と「さ〇き」に寄った。今年は大変お世話になった。送ってくださった水仙のことを心配しておられたが、ほぼ満開になり、写真を家人に見せていることを話した。
29日は早朝から年賀状印刷をし、8時には家を出た。羽田空港には9時40分には着いたが、手荷物預かりが混んでいた。途中10時10分までに出発のお客様は・・の呼び出しでショートカットさせてもらい、無事搭乗できた。
空港に着いたら家人が迎えに来てくれていた。F病院麻酔科の高〇先生と会った。娘さんの帰省のお迎えだそうだ。家に帰って昼食後、前任の病院に行った。PCU入院中のMさんを見舞う。一か月間に撮ったデジカメの写真を二人で見ながら、お土産のショコラを食べた。痩せたようだが、2月の再会を約束した。自分が見たこと、食べたことなどを話すと、目を輝かせて聴いてくれる。「お忙しいのにすみません・・」と言われるのだが、自分が励まされていることを実感する。
帰り際、なごみや(行きつけのラーメン屋さん)の大将のお母さんに会った。彼女は病院の看護助手さんとして働いておられる。例年2月の「いちごマラソン」にお孫さんを連れて参加された。自分の大切な走友。
夜は「ひなちゃん」を預かった。よく動く、よく食べる、よく笑う。お風呂に入れたら大泣きした。丁度パパが仕事から戻り、泣きやんだ。しばらくしてママが帰ってきたら、笑っておっぱいを飲んでいた。

30日、K高の周り約2kmをゆっくり走った。足関節の固定装具の上からサポーターをはくとそれほどぶれない。しかし筋力が相当落ちている。5,6回立ち止り歩いた。白い実のなる木があった。近づいて良く見ると、花の蕾のようだ。梅の木だろうか?こぶしだろうか?

昼前から中心街へ。上通りと鶴屋百貨店で買い物。東京の繁華街やデパートとは全く違いゆったりと買い物ができた。デパ地下では「混み合ってきました。迷子やお手荷物には・・」と館内放送があったが、未だ余裕が随分あった。東京のひかりちゃんに大好きな馬刺しを送った。1月5日発送なのでパパの誕生日には間に合うね、パパやママに分けてあげてね。
エビが届いた。
「海老届き正月準備整えり」 ありがとうございました。
夕食前、久しぶりに北バイパス沿いに約8km走った。合計10km/日だった。元旦ランは何とかなるだろう。

2011年12月28日水曜日

ジャズの夕べ

T医科大学の伊〇名誉教授のコントラバスはプロの域にある。伊〇先生のライブが六本木のKNOBであるとのこと、お誘いを受け新潟から直行した。折しも新潟は寒波積雪で在来線は遅れもあったようだが、流石上越新幹線は予定通りに動いていた。
東京駅近くの丸善に寄って、文庫本と医療統計の本を購入した。





六本木へは丸ノ内線で銀座へ、日比谷線に乗り換え六本木へ。前もってネット検索してKNOBの場所はつかんでいた。以前よく宿泊した熊本会館の近くだった。近くには六本木ヒルズがあり、変わりつつある魅力的な街だ。
KNOBには一番乗りで到着した。八王子医療センターの池〇先生も駆けつけ、O教授や医局秘書の光〇さん、嶋〇さんも同じテーブルに陣取った。
専属?のMさんのピアノ、Uさんのフルート、そして伊〇先生のコントラバスのコラボでジャズのオンパレード。間近で聴くジャズは心をウキウキさせる。いろんなことで心配していた濱〇先生も元気そうに来ていたし、遅れて藤〇先生も来てくださった。
今年最後のライブだそうだが、お店の場所が分かったので、また来ようと思う。Mさんがブログで情報を出してくれている。芋洗い坂の牛丼のY家の隣のビルの3階!だった。
今日は、大江戸線と西武新宿線で真っ直ぐ帰宅できた。一流の音楽は心をリッチにさせる。

2011年12月27日火曜日

初期研修医との心温まる懇親会

12月26日、12月一杯で麻酔科研修を修了する初期研修医4名と「さつき」で懇親会をした。4名とも麻酔科以外の診療科に進むことが内定している。しかし全員まじめに2か月間研修に取り組んでくれた。これから試練を幾度となく迎えるだろうが、ぜひ頑張ってほしい。
途中、U先生とF先生の加わり賑やかな会になった。しゃぶしゃぶは美味しかったが、その後オジヤが出たかどうかは覚えていない。
古〇先生には病院まで送り届けるようにお願いし、確か10時代には駅に向かった。どういう訳は都立家政駅には終電車で到着していた。
「飲みすぎて行ったり来たりの西武線」
と思っていたら御用納めの日(28日)に古〇先生から、オジヤは3杯以上食べたこと、10時過ぎには医局に帰り、ワインを飲み始め眠りについたこと。11時30分ごろ起こされ、終電車に間に合うようにと急いで帰ったらしいことの衝撃の真実を聞いた。電車で寝ておらず、医局で寝ていたから少しは成長したようだ。

2011年12月25日日曜日

クリスマス良い話

朝から車を運転して羽田空港へ家人を送っていった。初めての羽田行きだが、前に横浜まで行った経験が生きた。途中ジェットコースターみたいに上方に上るところだけは命が縮む思いがした。
予定より早く、1時間もかからずに到着したし駐車場にもスムーズに入ることができた。出発ロビーは未だ混んでなかった。これから混むのだろう。




ANAの出発ロビーにはクリスマスツリーが飾ってあった。
家人を見送った後、病院に行きICUの患者さんを診て回り締切の迫った書類を完成?させた。小田急デパートに行き熊本への贈り物をお願いした。デパ地下で「肉豆腐」「ブリ大根」「野菜サラダ」を購入し、今日の夕食とした。
病院に停めていた車に乗り自宅へ。が、自宅のカギとセコムのキーがキーホルダーについていないことに気付いた。上着の内ポケットに確かに鍵が付いたまま入れたのは覚えている。病院の部屋を開けて、キーホルダーを机の上に置いた。と言うことは、机の上に外れたキーがあるはず。
病院に引き返した。やはり机の上にキーはあった。時間の無駄になったが、これも勉強だ。急いで家に戻った。「坂の上の雲」の最終回だ。東洋の小さな国が、大変な努力と幸運とにより列強の中に入っていく。その歴史を作っていった偉人たちは、多くが貧しく清貧な暮らしをしていた。
「肉豆腐」「ブリ大根」を温め、ビールを注いだ。
玄関のチャイムが鳴った。お歳暮が届いた。何と水仙の花束。花瓶がないので大きさの適当なゴ〇箱を空にして水を入れた。不在時に届いたので3日遅れ。家人がまだいる時を予測して送ってくださったようだ。写真に撮り、ブログにアップすることで家人には観てもらおう。咲いた時の写真を下に置いた。まだ花は蕾だ。
メリークリスマス!