2013年3月10日日曜日

次期会長・主査研修会

ワイズメンズクラブ国際協会の次期会長・主査研修会が新大阪駅近くのホテルで開催された。品川から乗った新幹線の中ではまだ体がだるく、きれいに見えた富士山が心を癒してくれた。
昼ごはんはホテル近くでうどんを食べた。幸い吐き気はなかった。

N瀬理事の急逝後の研修会であったが、参加者は悲しみを乗り越えN瀬理事の遺志を引き継ごうという気持ちにあふれていた。
一日目の自分の役割は開講の祈りと、キリスト教理解A(初心者向け)。開講の祈りには、「N瀬理事がこの研修会をきっと見守ってくださっているだろう」ことを入れた。
 



キリスト教理解講座は、自分の経験をもとに話したが、はほとんどの受講者にとって大学病院や緩和ケア病棟でのエピソード新鮮だからだろうか熱心に聴いてもらえた。何人かの方々から「とても分かりやすかった」「楽しく聞くことができた」とお褒めの言葉をいただいた。
 
 

写真は参加者の集合写真。

懇親会は、本日講師を務めてくださった方と同じテーブルになった。食事は少なめにいただき、お湯のお湯割り(お湯のこと)を飲んでいた。ビールは乾杯と継がれたときに口に含む程度にした。部屋には午後9時過ぎには帰りベッドに入った。写真は懇親会での区大会アピールの模様。自分にとってこれまでとは信じられないような懇親会の過ごし方に、「やればできるのに・・」と思った。
 
 
 

午前3時ごろには目覚めた。体のだるさは取れていない。6時ごろから淀川を目指して散歩をした。走る体力はなく、歩くのが精いっぱいだが3キロほど歩いたので良いことにした。
 
 
 
 
 
二日目は聖日早天礼拝の司会を務めた。説教をご奉仕くださった西村先生は前チャプレンで今でも説教や講義のお手伝いをお願いしている。「われらの国籍は天にあり」というタイトルでフィリピの信徒への手紙3章20-21節を引用されお話をされた。この中で、「いのち」の話しになった時おもしろい逸話を紹介された。作家のマーク・トエインが牧師に「自分が死んだら天国に行くのか、地獄に行くのか」と尋ねた時、牧師は「天国は良いところです。先ず気候が良い。地獄も良いところですよ。何といても仲間が沢山いる。」と答えたという話しは機知に富んでいると思った。残された時間が少ないと一日の重みが増す。これが老いの恵みなのでしょうと。紹介くださった、元上智大学学長ヘルマン・ホイベルス氏の「最上のわざ」という詩も心に残った。気持ちが少し豊かになった。
最上のわざ
この世の最上のわざは何?
楽しい心で年をとり、
働きたいけれども休み、
しゃべりたいけれども黙り、
失望しそうなときに希望し、
従順に、平静に、おのれの十字架をになう--。
若者が元気いっぱいで神の道をあゆむのを見ても、ねたまず、
人のために働くよりも、けんきょに人の世話になり、
弱って、もはや人のために役だたずとも、親切で柔和であること--。
老いの重荷は神の賜物。
古びた心に、これで最後のみがきをかける。まことのふるさとへ行くために--。
おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、真にえらい仕事--。
こうして何もできなくなれば、それをけんそんに承諾するのだ。
神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。それは祈りだ--。
手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。
愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために--。
すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声をきくだろう。
「来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と--。

午後からは九州部の次期役員が集まっての話し合いがあった。久々に九州人になった。

スタッフ会議と関連病院会議

木曜日は医局会とスタッフ会議の日。皆話すことが多くいつも遅くなる。今回も終わったのが午後10時前で、それからU野先生とさつきに食事に行った。病理のN尾先生が先に来ておられた。久しぶりにお話しするので話が弾んだ、しばらくの間・・・。

O原、K子、I田、H先生たちが入ってきた。M田、S根先生のアメリカ土産のテキーラを持参していた。そうなると自分もS根先生が帰りの飛行機の中で購入した幻の焼酎「森伊蔵」を出さねばならない。とっておきの日本酒「女なかせ」もついに提供し、あとは想像どおりの世界になった。
帰りは無謀にも走ろうと思い走り始めたが、新中野付近で気分が悪くなった。丸ノ内線で荻窪に行き、引っ越し先のトイレ??に急いだ。K沼先生が同じ電車に乗り合わせていたらしく、心配してくれた。
それから、嘔吐下痢の繰り返しが始まった。疲れ?アルコールのちゃんぽん?感染性胃腸炎?
金曜日、手術麻酔症例は熊本出身のK那先生と組んだ。午前中は気合が入った。ICUカンファレンスもこなした。11時半に緩和ケアチームの仕事に移行した。チームメートの二人看護師さんは自分の変調を見逃さなかった。最小の動きになるようにしてくれた。外来中一回、席を外してトイレに行った。しかし笑顔を絶やさず、患者さんより元気にふるまえた。

午後7時からHホテルで関連病院会議があった。関連病院の実情を拝聴し、次年度の講座の方針や人事の決定に活かす重要な会議だ。自分は2月から緩和医療部の部長兼務になったことを報告した。写真は会議が終わっての集合写真だが、美味しい中華料理が出たが、脂っこくない食事を少しだけ食べただけで、あとはジャスミン茶を飲んでいた。

2013年3月6日水曜日

会議

会議が多いと、よっぽど準備と切り替えをしないと混乱する。
昨日は新潟出張で帰ったのが23時を過ぎていた。何とか朝起きたが時間がないので車で出勤した。朝カンファ、麻酔導入手伝い、ICUカンファから。緩和ケアチームと病棟回診したら12時が過ぎた。6階のレストランに行く途中初期研修医向けのランチョンセミナーをしていた。覗いたら随分席が空いていた。ひかれるように中に入り、お弁当を食べながら説明や発表を聴いていた。
13時からの外来にはワイシャツネクタイで・・と思っていたが、着替える時間がなかった。
外来の患者さんの話を拝聴しながら、熊本時代のことを思い出した。
16時から緩和ケアチームのカンファレンス、17時から臨床腫瘍部と合同の新病院建設に関する話し合いに出席して意見を交換した。
昨日新幹線の中で済ませた査読を送り、これからKO大学で開催される緩和ケア推進運営会議に向かう。個人秘書が欲しいなどと、ぜいたくなことを考えている。

KOで開催された会議は、新宿、中野、杉区の3区の医療機関や医療関係の多職種の代表が集まり、緩和ケアの普及や水準の向上を目指そうという会議で東京都の担当者も出席される会議。
 
 
 
 

3年計画の1年目のまとめの時期にあり、6月にオレンジバルーン・フェスタ(仮称)というイベントを新宿駅西口で計画している。多くの方々を一つのベクトルに向かうようにするには多大なエネルギーが必要だ。9時過ぎまで会議があったので、帰りが11時過ぎてしまった。
 
 
 
 
翌7日、朝ご飯を西新宿駅横のパン屋さんで買った。元気に頑張れるだろう。

2013年3月4日月曜日

桃也 お台場のパンケーキを食べる

日曜の午前中、洗濯掃除、引っ越し準備、車のCD・エアコン・ナビ取り付けをした。午後2時過ぎに病院に行き、長男一家をピックアップしお台場へ。
ここのアクアシティーの駐車場に車を停め、自由の女神や色々な見どころを観て写真に撮った。
 
 
 
 
 
 
 
少し並んで待ったがbillsのパンケーキとやらを食べた。
ももちゃんはジイジが注文したパスタの方が気に入ったらしく、ママの分まで食べていた。
恵比寿に送って帰ったが、よっぽど疲れたのだろう。服を着たまま布団に轟沈していた。

2013年3月2日土曜日

学会3日目、最終日

学会3日目最終日。昨日のラドン湯がよっぽど良かったのだろう、朝6時前に起床しシャワーを浴び7時から朝食をとった。朝食後歩いて松本城に行き、松本盆地を見下ろす山々と対比させながら写真に撮った。





学会では、Special lecture(外国からのゲストスピーカーの講演)を3題拝聴した。タイから来られた先生からは熱帯病の講演、ソウル大学の李先生はExtracorporeal Lung Assist : State-of- the-Art in Korean Experiencesと題して韓国におけるECLA/ECMOのこれまでと現在、そしてこれからの話しだった。オーストラリアにおられる林先生のVentilator Associated Complicationの話しは、その流暢な英語を聞き逃さないよう集中した。

李先生ご夫妻を囲んで、森岡先生ご夫妻、勝屋先生、岡元先生と記念写真を撮った。彼は名実ともに韓国を代表する麻酔科医・集中治療医になっている。25年前彼が熊本に留学した当時、自分が医局長をしていたので、随分親しくさせていただいている。
 
 
 
 
会場入り口で、岡元会長を囲んで再度記念写真を写した。無料サービスの信州そばを食べ松本駅に向かった。シャトルバスの中で、25年前天候の悪い日に自分の家族と潮干狩りに行った思い出を笑いながら話していた。

新宿に戻り、旅装着替えて「さつき」へ。O原先生と手術室麻酔科係の3名の看護師さんへの感謝会を計画していたのだが、3名の時間の合う土曜日の夕方からになった。17時集合で、O原先生にキャッチされたS木先生も特別参加した。自分は松本土産の野沢菜と球磨焼酎を持ち込んだ。K村さん、A部さん、N田さんの役者が揃った。17時キックオフで、飲んで喋ってお開きは20時。麻酔導入に例えると急速導入になる。すっかり出来上がった自分とO原先生は、引き留める看護師さんたちを振り切り新宿盛り場に消えていった・・・。

日本集中治療医学会2日目


学会2日目、目覚めたのが6時半過ぎていた。昨夜は日本酒や泡盛を飲みすぎたようだ。シャワーを浴び朝食をとったら、近くのホテルから会場に向かうシャトルバスの時間に間に合わなくなったので松本駅まで歩いた。写真は宿舎池田屋ホテル前を流れる女鳥羽川。
 
天羽先生の人工呼吸療法40年の歩みを、続いてシンポジウム「ARDSに対する治療戦略」を聴いたが、内容がAPRVやECMOだったのでよく理解でき面白かった。昼食付きの教育セミナーでは敗血症ショックにおける循環動態管理を拝聴、会員総会に出席し特別講演「急性脳障害の病態と治療 脳保護・蘇生における軽度低体温療法」続いてシンポジウム「神経集中治療」拝聴した。

シンポジストのM田先生はエネルギーをもてあまし?よく動くので上手に写真を写せなかった。
 
優秀演題に選ばれたI橋先生を見つけ、ポスター会場に行って記念写真を写した。
会員懇親会の前に岡元会長の奥様とお話しする機会があった。熊大時代に隣組だった時期があった。

会員懇親会では、岡元先生はかっこよかった。懐かしい先生や久しぶりの先生たちとお会いした。できるだけ後輩たちを紹介するようにした。
中締めの後、松本駅近くの居酒屋で二次会、はちのこやイナゴを食べたが意外と食べられた。信州そばはさすがに美味しかった。

三次会は、喫茶店でコーヒーとイチゴケーキのセットを注文した。U野先生とS根先生はバナナパフェ、M下先生はチョコパフェを注文したが、どういう舌と胃をしているのだろう??
11時前にはホテルに帰ったので、ラドン湯で手足を伸ばした。明日は李先生の講演を聴こう!

2013年3月1日金曜日

第40回日本集中治療医学会


第40回日本集中治療医学会が2月28日~3月2日まで信州大学医学部救急集中治療医学講座岡元和文会長もと開催された。
岡元先生は熊本大学時代一緒に仕事をさせていただいた。会長講演では40年間の集中治療の歴史を紐解き、常識はいつか非常識になる可能性があることや治療の非侵襲化が次代の方向になるだろうと話された。
 
 
 

S根先生の発表を聴きに行った。可逆性後白質脳症症候群に関する発表だった。直前の発表も同症候群についての発表だったので、よく理解できた。
信州そばのおもてなしコーナーで無料の信州そばをとご馳走になった。
教育セミナーとパネルディスカッションではECMOの勉強をした。Bartlett教授の話しを25年ぶり拝聴した。ずいぶん年をとられていた。恩師の森岡先生や膜型肺の開発者Kollobow先生と一緒に写された写真を示された時は当時の臨床や実験のことを思い出し懐かしく思った。

臨床工学技士のK岡さんが、うちのICUで救命したECLAの症例報告をしていたが、S根先生にお願いして U野先生が加納先生の座長で教育講演をされるので聴きに行った。
 

何回も聴くたびに理解が新しく深くなる。イブニングセミナーでは「神経集中治療ガイドラインキックオフ」を拝聴した。演者の皆さんが熱心に話され、医療・医学が動いていると実感した。
熊本からも多くの先生たちが参加しておられた。E島先生は次年度から名古屋大学救急医学の松田先生のもとに国内留学をするという。是非頑張って欲しい。
U野先生やS根先生と一旦松本駅に行き、近くで食事をしようと歩いていたら、福島県立医大の田勢先生とお会いした。一緒に食事をしましょうとのお誘いは喜んでお受けし、福島の救急医療学講座の皆さんとも親しくお話しできた。