2012年3月11日日曜日

ワイズメンズクラブ2011年度次期会長・主査研修会

ワイズメンズクラブ国際協会西日本区次期会長・主査研修会参加のために大阪に行った。山手線で原宿駅に来たとき、渋谷駅での人身事故のために電車が止まった。仕方なく、地下鉄を乗り継いで東京駅に行った。携帯インターネットで乗り継ぎを調べると10分前に会場に着くことが分かり安堵した。
新大阪駅から御堂筋線で西中島南方駅に向かった。会場のホテルに着いたが、様子が違う。ホテルを間違えていた。慌ててタクシーで会場のホテルへ向かった。開会式開始1分前に滑り込んだ。
自分はクリスチャニティー特別委員会委員長なので、開会祈祷(キリスト教をベースにするYMCAをサポートする奉仕クラブなので開会と閉会の祈りを行う)、キリスト教理解講座A(初心者向け)の講師、日曜の早天礼拝の司会、閉会祈祷を担当する。約100名の参加者を前にしての開会の祈りは身が引き締まる。昨年の大地震・巨大津波そして原発事故のことを憶え皆の心が一つとなるように祈りの時を持った。
講座には60名ほどが参加してくださった。もっと基本的なことを話す方が良いのかもしれないが、ノンクリスチャンのメンバー(約8割)にもキリスト教を受け入れていただくように話した。神戸のOさん(被災者支援マラソンを昨年一緒に走った)の記事を引用。高石ともやさんが話したこと。「優勝者は優しいという字を使っているのは何故?ただ競争に勝つだけではなく、一緒に走り切った者同士、ともに喜び合おうとする優しさが必要だということ。優しい人は優しさを伝える行動力のある人だと思う。そんな人に近づきたい。」Oさんは、既に優しい人だと思う。
夜の懇親会では、多くのメンバーたちと交流を深めた。同じテーブルは研修会の講師の皆さんが座る。しかし写真は大阪中西部からこられた女性会員の皆さんと。

九州のメンバーのテーブルや、ほかの地区から来たメンバーのテーブルにも遠征した。いつもと違ったのは、午後9時過ぎたところで部屋に戻ってベッドに潜り込んだこと。少しは体をいたわろうとする自覚が出てきたようだ。 写真は九州から参加したメンバーと。
日曜は6時過ぎには淀川河川敷を目指してランニング開始。1月はこの時間は真っ暗だったが、朝日が昇ってきた。もう春だなと思った。
九州地区から参加の皆さんとの話し合いでは、皆さんの発表を聞きながら、川柳を考えていた。
「親睦の中から生まれる奉仕哉」
「例会は第一優先月二回」
「被災者に寄り添い続けるワイズメン」
閉会式では、3・11を思う希望の凧が披露された。全国で凧揚げをしながら被災地にエールを送っている。3月24日の再会(自分が所属する熊本むさしクラブの15周年記念例会)を約束して午後3時半の新幹線のぞみに飛び乗った。

2012年3月10日土曜日

怒涛の金曜日

午後4時までは手術室も平穏で予定手術は粛々と行われていた。局所麻酔の緊急手術は何例か入ってたようだが、午後4時から初期研修医対象行われたに中心静脈路確保のため試験にも2名を送り出した。ところが、午後5時前から緊急手術が入りだした。遂には産科の超緊急帝王切開の登場となった。
スタッフの動きは早かった。眼科緊急手術用に準備していた手術室があっという間に帝切用の手術室に変わった。麻酔科スタッフをいくつかの役割に振り分けた。妊婦さんの術野の消毒が済んだところで全身麻酔を導入・挿管した。手術開始、数分で胎児が取り上げられた。二人の命が救われた。
 午後7時過ぎ2例の手術を残すのみとなったところで、研修医説明会場のホテルに向かった。研修医説明会は医局の大切な行事だ。U先生が出張なので、U先生のパワーポイントを使っての説明。自分が作ったパワーポイントでないので、少々の間違いはご愛嬌だ。会も盛り上がり記念写真を撮った。
 二次会は「さつき」へ。人数は半分に減ったが、二次会に来てくれる心意気がうれしい。I先生のK先生も来てくれた。それにしても今日は大変な金曜日だった。
 東京に来て、初めての三次会をした。病院近くの店だが、割と雰囲気が良く、種子島の甘露と安納という焼酎があったのは感激した。三次会に参加した武〇君と別れ、川〇君とタクシーに乗った。冷たい雨が降っていた。


家に帰ってお腹が空いていることに気付いた。居直って(体重増加は気にせず)ラーメンを作った。見た目は悪いが美味しいラーメンだった。明日は大阪に行く。

2012年3月7日水曜日

明日に向かって走る

寒さも一旦緩み、昨日今日と暖かくなった。昨日の新潟三条は雨が降っており気温は5-6℃ぐらいだった。昨日の帰りと今日の通勤(行き帰り)は走った。久しぶりなので随分疲れた。
今日は今日はなでしこジャパンの決勝戦。10 時までには帰って応援しなけらばならない。決勝のドイツ戦、前半まさかの二失点。コンパクトな守備が間延びしている。いつもよりボールへの寄りが遅いようだ。しかし川澄のゴールで1点差になって後半へ。合い間に風呂に入り残り湯で洗濯をした。

後半は点の取り合いで終了間際に3対3になったが、ロスタイムに一瞬のすきを突かれて3対4で準優勝となった。しかし「なでしこジャパン」の凄さ底力を感じた。
写真は得点シーンと佐々木監督のインタビューいずれもフジテレビ画像より

2012年3月4日日曜日

結婚式・同郷の恩師・デコポン

日曜日は早起きし、12㎞走った。朝風呂で身も心も清め、車の定期点検にも行き済ませた。今日は医局員の結婚式、披露宴会場の椿山荘(ちんざんそう と読むことを知った)Fホテルは有楽町線の江戸川駅から長い坂を上ったところにあった。
U先生の主賓挨拶は、格調高く日本国の原点に迫る内容もあった。最後の「二人には『秘密』も必要」との言葉には、自分も大いに賛成するものがあった。


二人のケーキカットの写真を撮り、後は食事に専念したが確実にオーバーカロリーになっている。今朝走ったのは焼け石に水かもしれないと思った。




CテーブルにはU先生をはじめT医科大の医局員(男性だけ5名)が座ったが、ただ一人新婦(T医科大学麻酔科の医局員)の小学校時代の恩師(女性)も加わった。早速挨拶をして、テーブルの雰囲気が和気藹々となるように努めた。
新婦の恩師の先生とお話しした。お母様が鹿児島の出身という。途端に親しみを覚えた。

新婦から両親へのお礼の言葉を聞きながら涙を流した。やはり涙腺が弱くなっている。披露宴終了後、タクシーで目白駅に行き目白駅からJR,西武新宿線を乗り継いで帰宅した。

20時ごろ熊本の中〇さんからデコポンが届いた。ありがとうございます。美味しくいただきます。
充実した日曜だった。ももちゃん、ひなちゃんのママから最新の写真も届いた。全部ありがとう!

2012年3月3日土曜日

卒業式・謝恩会

T医科大学第60回卒業式の良き日、91名の卒業生が旅立つ。麻酔科を代表して卒業式に列席した。国歌斉唱に引き続き、臼〇学長の式辞があった。医師としての心構えについて話された。石原忍先生(東大第3代眼科教授)の本からの引用ではあるが、80年前から今日までぶれることのない内容を持つ。良い話は式を格調高くする。


卒業生一人一人に卒業証書と学位記が手渡された。約1/3は女子学生でほとんどが和装(袴または振袖)一人がチマチョゴリを着ていた。皆良く似合っていた。男子は半数が羽織袴で半数はスーツだった。





目立った?のは応援団の紋付を着た卒業生で、名前を呼ばれ「おーっす」と堂々の返事、またほとんど坊主だがモヒカン刈りの卒業生は極めて真面目に記念品贈呈の担当を務めた。




自分が担当指導教官だった藤〇君は卒業証書贈呈時のシャッターチャンスを逃したが、席について隣の学生と証書を見せ合っていたようだ。
卒業式終了後に大学・同窓会・父母会主催の歓送迎会があった。卒業証書授与の時、出身県も読み上げる。熊本県出身の学生さんに声を掛けた。彼女の伯父さんは自分は存じ上げていた。あとでご両親が挨拶に来られたので恐縮した。藤〇君にも声を掛けたが、笑顔がまぶしく実際よりイケメンに見えた…失礼。
会場外には大勢の在校生がいた。卒業生が今から出てくるが、涙と笑いのシーンが弾け出す。夕からの謝恩会に備えて、一旦病院に戻った。
謝恩会は病院近くのKプラザホテル。15分前に到着し受付をする。出席のハガキは確かに出したはずなのに、自分のネームカードがないようだ。が、受付の学生さんは笑顔で来賓用の赤いバラをくださった。控室にいると幹部の先生方が続々みえた。会場には卒業生や家族の拍手の中入場。感心なことに、自分のような出席者のために、名前のない席が作ってあった。
謝恩会実行委員長の挨拶は、卒業生と過ごした思い出とともにこれからのT医科大を担い発展させるという決意を示してくれた。乾杯の前に鏡開き、出席者全員に枡酒が配られた。
テーブルの周囲の席は名札はあるが誰も来ていない。向かい側に座った寺〇先生などと話しながら少し食事をした。カクテルドレスで披露宴の花嫁さんのように着飾っている女子の卒業生が多い。参加しておられるお母さん方は顔なじみの方が多いのだろう、あちこちで話の輪が広がっていた。
熊本の忽〇さんのお父さんを見つけたのでお話しした。自分より2学年先輩で、共通の知り合いが多く話題に事欠かなかった。
娘さんとそのお友達とも記念撮影。お父さんは少し遠慮がちに後ろに移動し娘を引き立たせた。
藤〇君とも記念写真を撮った。藤〇くんも忽〇さんもT医科大で初期研修を受ける。麻酔科でも研修するので楽しみにしたい。
夜風で酔いを醒ましながら西武新宿駅に歩いた。

2012年3月2日金曜日

フリーダ送別会

3月1日は学会場はホテルとは目と鼻の先なので、ゆっくり朝食を取った。マラソンも済んだので体重コントロールを忘れてちょっと食べすぎたか?
教育講演(凝固線溶系の知識)を拝聴し、T医科大の奈〇先生が発表するポスター会場に行った。予演会とは打って変った堂々とした発表だった。質問にもはきはき?答えていた。写真は発表が済んでほっとした奈〇先生を囲んで。
午後2時半に面会の約束があったので、帰途についた。田〇さんや近〇さんが医療機器展示会場におられたので、しばらくお話しすることができた。
京葉線で東京駅に行き、ラーメンストリートで塩ラーメンを食べた。病院に戻って緩和ケアチームと回診し、部屋にいたら面会の方が来られた。
夕から、手術室安全会議、医局会と続き、午後7時過ぎからフリーダの送別会が「さつき」であった。自分は熊本から送ってきもらったドイツ赤ワインを持参したが、フリーダはドイツ人ながら梅酒のソーダ割が好きなようで、ビールも赤ワインも飲まなかった。京都や東京周辺を観光してから帰国するそうだ。いつかまたどこかで会えるだろう。元気でねフリーダ。

日本集中治療医学会 in 幕張メッセ

2月28,29日,3月1日の三日間千葉市の幕張メッセで日本集中治療学会が開催された。自分は2日目と3日目に参加した。2月29日は前夜来の大雪で、 西武新宿線は遅れるわすべるので早く歩けないわで自宅から2時間半かかって海浜幕張に到着した。
4月からICU担当になる関〇先生とお互いに興味ある講演やポスター発表などを聴いた。丁度アジア太平洋Critical Care Medcineの大会が同時開催されており、その会場でICUにおける栄養管理の講演を拝聴できた。午後からは教育講演(血液浄化、肝臓、循環補助法)を一番前の席でメモを取りながら聴いていた。



懇親会は通りを挟んで向かい側のホテルで行われた。T医大から参加の先生たちの多くが帰る?中、関〇先生と自分は懇親会一番乗りを目指し、会場入り口近くで、恩師森〇先生とお話をしながら開場を待った。中に入ると軽快なジャズが聞こえた。T医大のパーティーなどによく出演してくださる方がおられ、関〇先生はステージに上がって挨拶をしていた。


ICU領域の重鎮には熊大やT医科大の関係の先生方も多い。また九州から参加されている教授や部長などの知り合いの先生に挨拶し、関〇先生を紹介した。





韓国ソウル大学麻酔科のL先生は24年前熊大に留学したが、その当時自分が教育係だった。20年以上たつのにいつも挨拶を欠かさずしてくれる。写真はL先生と勝〇先生と。L先生と鷺〇先生と。
外国から参加の先生方ともできるだけお話しした。皆さん気さくに応対してくださった。国際学会の雰囲気も味わえてよかった。

関〇先生から、Aホテルのシングルルームを予約したのにツインの部屋に泊まることになったので一緒に泊まりませんかお誘いがあった。ここから帰って明日の朝もう一度来る4,5時間をの浪費する時間のことを考え、言葉に甘えた。ホテルにお願いすると+5000円でOKだった。Aホテル内のコンビニで二次会の準備を整え部屋に行った。23時32分と7時32分に千葉東方沖地震があり震度2だったが、19階にいたにもかかわらず全く気付かなかった。免震構造なのだろう。着替えは持ってこなかったが、一日半位何でもない・・・