2008年1月7日月曜日

新年会

6日に新年会をした。参加者は麻酔科スタッフとその家族。研修医そして唯一私たち夫婦が仲人をした佐○ご一家。例年我が家で行っていたが、手狭になり(全く片付いていない)鶴重さんをお借りした。飲み物は、ビールとノンアルコール以外は持ち込み。全員自己紹介の後、乾杯が午後5時過ぎ。途中○藤ジュニアの手品あり・・・ 締めは午後8時だったという・・・


帰ってお腹が減った。鍋を頼んだのに食べていないのに気付く。家内に聞いたら、出していただくタイミングを逃したようだ。



新年早々、「飲み会は最後までしっかりする」の誓いが守れなかった。反省・・・



写真は乾杯と、ひかりちゃんに「ジージー」と呼ばれて喜ぶ私。

2008年1月6日日曜日

立田山を駆ける


ようやく胃腸炎のダメージから回復し、久しぶりに立田山山頂まで走った。晴れた日が続いたので落ち葉を踏むとサクサク音がする。










お祭り広場では北○中の陸上部がトレーニングをしていた。











山頂には昭和天皇・皇后陛下が昭和34年に訪れられた記念碑がある。暖かな日で10数名が山頂にいた。昨日は、南阿蘇の皆さんに、今年も阿蘇スーパーカルデラ100kmに挑戦すると宣言した。このホームコースを6月7日までに何回走るのだろう?

2008年1月5日土曜日

披露宴の挨拶と赤毛のアン


職場の看護師さんの結婚式と披露宴に出席した。披露宴では新婦側の主賓挨拶を頼まれた。彼女が努力して看護師となり、第200回滅菌業務研究会で発表するに至った過程を示し、支えてくれた職場の先輩や仲間に感謝していることを彼女のメモを引用しながら話した。





また女性側の代表らしく、ルーシー・モード・モンゴメリー著の「赤毛のアン」からアンの話を2つ紹介した

 「明日はまた、まだ何も失敗をしていない真新しい日が来ると思うと愉快じゃない・・」これは辛かった新人時代の彼女が自分自身を励まし ていたことを表した言葉として紹介。












 「結局、一番、幸福な日というのは、素晴しいことや、驚くようなこと、胸の湧き立つような出来事が起こる日のことではなく、真珠が一つずつ、そっと糸からすべり落ちるように、単純な小さな喜びを次々に持ってくる一日一日のことだと思うわ」 今日の日は、素晴しいことが起こった日ではあるが、これから暮らす平凡な日々が幸せを築いてくれるのでは・・と言う意味を込めて紹介。



彼女が幸せな家庭を築いてくれることを祈る。


 両家のご両親をはじめ、南阿蘇村村長さんやJA阿蘇の代表理事組合長さんともお話しした。今年の阿蘇スーパーカルデラ100kmマラソンは、やるしかない・・・と決意を新たにした。

のだめカンタービレ


J文化の代表に漫画がある。「のだめカンタービレは面白い!!」と家族が話しているのは幾度となく聞いた。子どもたちが「のだめカンタービレ」の漫画本を持っているのは知っていたが別に読もう・観ようとは思わなかった。4日の夜にテレビで「のだめカンタービレ」が放映されていた。
のだめが、野田めぐみのことだと初めて知った。上野樹里(のだめ役)の演技が大げさで下手だな・・と思って観ていたが、観ているうちに漫画の世界を再現させようとしていることに気付いた。日本語をしゃべれる一見外国人っぽい俳優で字幕スーパーを割愛する・・・すごいアイデアだ。本当かどうかは分からないが、兎に角国際的な指揮者コンクールのやり方も勉強した。
漫画を読む時間はないと思っていたが、少しは良いかな?と思った。若い人との共通の話題も少しはないと・・・
写真は講談社出版の表紙から

2008年1月3日木曜日

新春コンサート

今日はいつの間にか?麻酔科当番医になっていた。とは言え、明日から勤務する臨床研修医のオリエンテーションで病棟を一緒に回診するつもりでいたので特に問題はなかった。
緩和ケア病棟では、米国ニューヨークから友達の見舞いにわざわざ来られたSteveさんがチェロ独奏ミニコンサート(バッハの作品を数曲)をしてくださった。中・近世ヨーロッパでは、このような音楽に合わせて紳士淑女が舞踏会でダンスを楽しんでいたのだろう。ボランティアのリアさんが上手く進行をしてくださった。10床定員の緩和ケア病棟に現在9名が入院されているが6名がわざわざ会場の談話室まで来てくださった。Steveさんは歩行器+楽器入れを臨時譜面台にしたてての演奏だった。緩和ケア病棟は非日常の時間が流れるが、ボランティアの皆さんが日常の香りを持ってきて下さる。感謝。

2008年1月2日水曜日

走り初め

 腹痛も取れてきた、少しづつ食べれるようになった。年末年始で鈍った体を鍛えなきゃ・・・と思うのだが。今の状態に一番最適のパートナー二人を連れて走った。本年の走り初めだ。裏山の頂上にある世継宮への初詣を兼ねて、長男と娘を誘った。父親のブログのファン?(一応見てると言っている)なので、ブログ用の写真撮影に協力してくれた。いい子たちだ。

 お賽銭を忘れたが良いことがあったら、もう一度訪ねよう。







 帰って筋トレ後風呂に入り、久しぶりに体重を量った。64.2kg!!この数年で最軽量になっていた。やはり年末年始のダメージはすごかった。水分補給や輸液の効果が身にしみた。患者さんの立場になった診療を今年も続けよう・・・と思った。






写真は世継宮で長男・娘と、 ランナーズの表紙になるかも・・とおだてて撮った娘のジョッギングの様子

2008年1月1日火曜日

2008年を迎えて

論語の中に、「五十にして天命を知る。六十にして耳順う。」という箇所があります。「五十歳で天から与えられた使命の何たるかを知る。六十歳では、何を聞いても自然のままに受け入れられるようになる。」という意味でしょうか。私は55歳で丁度中間です。初日は拝むことはできませんでしたが、外は雪が降っています。新年にあたり、昨年の轍を踏まぬよう健康に留意し、昨年に引き続き仕事、趣味、ボランティアの目標に向かって努力したいと思います。




散々だった大晦日
12月31日午前2時、急に吐き気がして眼が覚めた。夕食が全て出てしまった。その後から下痢が続いた。31日に予定していた、病院まで往復16kmのジョギング、正月前の散髪、賀状書きは全てキャンセル。起きようとすると、おなか全体がチクチク痛み、時々差し込むような痛みが生じる。動けずに生汗を流しひたすら耐える痛みとはこんなものか・・と思った。水分を補給すると水様下痢で出てしまう。身体が干からびていくのが分かった。温かいお茶を飲み時々塩を舐めた。正露丸糖衣錠を飲んだ。大晦日のご馳走はなく、梅粥のみだった。丸まって寝ていたら元旦7時腹痛は消えていた。感染性胃腸炎かな?と思った。夕方の5時頃雨上がりの空に虹がでた。



写真は、
出番を待つお屠蘇
梅粥
隣の屋根に積もる雪