空港に家人が迎えに来ていた。一旦自宅に寄って上通りに行った。メガネの修理をお願いして、文房具店と無印良店で今夜の歓迎会の準備の品を買った。
創立34周年第24回日韓YMCA医師親善蹴球交流歓迎会会場の菊池ユーベルホテルには午後4時前に着き、席を決め名札を準備した。韓国の先生から依頼された動画がきちんと映ることを確認した。感謝状への署名を山鹿のG先生にお願いした。
午後6時45分大邱YMCA医師蹴球団の皆さんが入場し、歓迎会が始まった。総勢22名で半数は奥さんやご家族と一緒だ。同じテーブルにはNo団長、朴前団長ご夫妻、G先生ご夫妻、熊本YMCA総主事のTさん、自分の夫婦と若い先生が一人の9名。No先生と朴先生は英語が堪能なので話が弾んだ。
これまでの交流の中で、20年以上にわたって参加して下さった4名の方々への感謝状をG先生に贈っていただいた。Kimさんは元YMCA職員で医師サッカー交流の担当として毎回医世話下さる。既にYMCAは退職しておられるが、その献身的な働きは変わらない。思わずG先生が涙ぐまれたのにはこのような伏線がある。写真は朴承國先生への感謝状贈呈
これまでの交流の中で、20年以上にわたって参加して下さった4名の方々への感謝状をG先生に贈っていただいた。Kimさんは元YMCA職員で医師サッカー交流の担当として毎回医世話下さる。既にYMCAは退職しておられるが、その献身的な働きは変わらない。思わずG先生が涙ぐまれたのにはこのような伏線がある。写真は朴承國先生への感謝状贈呈
記念品交換、両国選手の紹介など楽しい時間は瞬く間に過ぎた。
T群先生と二人でラーメンを食べて通町の電車通りで別れた。走ってわたる途中転んで左膝をしたたか打った。ズボンの膝がズタズタになっていた。ショック!
29日日曜、朝から替わりのズボンを探す。家人は呆れたを通り越し、次は何が起こるのだろうと達観している。山鹿市の後藤グラウンドに8時30過ぎに到着した。青々とした芝の素晴らしいグラウンドだ。今年の夏は炎天下にG先生は一日4回も水撒きをして育ててこられたという。学生たちがグラウンド上でラインを引いていた。本部席作りやテント張りをした。9時30分開会式。開会宣言、歓迎の挨拶、謝辞、優勝旗返還、祈祷のセレモニーをして、両チーム先発メンバーがピッチに入った。挨拶の後、一旦グランドに散ったメンバーが、始球式をしようとするG先生の周りに集まった。今日はG先生の79歳の誕生日。皆でハッピバースデイツーユーを高らかに歌った。サープライズだ!
試合が始まって気づいたのが、コンタクトレンズを付け忘れたこと。久々に靄の中のサッカーだった。G藤先生の2ゴール、Y先生の1ゴール、相手のオウンゴールもあり、4対1で勝たせてもらったが、得点したのは日本プレーヤー3点、韓国プレーヤー2点(1点はオウンゴール)であった。
公式戦の後、参加者を混ぜて紅白戦をした。参加したのは良かったが、10分後ボールを追いかけていたら右ふくらはぎに「プッチッ」と音がして激痛が走った。肉離れを起こしたようだ。プレーを諦め外に出てアイシングとテーピングをした。
グラウンドには多くの記念植樹がある。韓国の国花「ムクゲ」の前で。
閉会式では優勝トロフィー、優勝旗をいただいた。皆さん満足そうな顔をされていたので安心した。
グラウンドには多くの記念植樹がある。韓国の国花「ムクゲ」の前で。
韓国の皆さんをお連れして平山温泉に移動した。温泉では裸の付き合いだ。昼食会をしながら、これまでの日韓交流を振り返って思い出を話していた。
午後2時、皆さんを見送った。準備は大変なのだが、皆さんが喜んでくださるので努力は報われる。来年は9月末の土日に大邱市で開催することになりそうだ。
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