2011年3月13日日曜日

悲しみの中での学び

3月11日朝K高の周りを走った。桜の木はまだつぼみもしっかりしておらず、今年の寒さを反映していた。しかしよその家の玄関の花は春を謳歌しているようにきれいだった。
外来診療の途中待合室のTVに想像を絶する津波の様子が放映されていた。ラジオをつけたら、東北地方で巨大地震が発生し、大津波が襲ったこと。多くの人々が被災されたこと、東京も震度5強の強い揺れが生じ、通信・交通がマヒしていることが分かった。東京の息子と家族の無事が分かるまでは気が気でなかったが、患者さんの前では気丈に振る舞った。
翌日の新聞のテレビ番組欄は、東京をキーステーションとする番組は白紙だった。
3月12日朝大阪に向かった。Y'sMen'sClub西日本区の次期会長・主査研修会に参加するためだが、同日御殿場で開催予定の東日本区の研修会は中止だとの連絡があった。開会祈祷で、震災被災者・ご家族の皆様のために祈った。東日本区の分も学びの時を持つことを誓った。13日5時に目が覚めた。5時20分から、淀川べりを河口に向かって走った。淀川の巨大堤防で大阪の街が守られるのだろうか?YMCA日本同盟で救援支援担当をしているMさんの話しを聴いた。平原綾香のジュピター、この曲は中越地震復興のテーマソングだそうだが、を流してくれた。涙が出てきた。悲しみを乗り越え、生きてほしい。

0 件のコメント: