2014年8月13日水曜日

種子島へ

8月13日は朝5時半起床。昨夜のうちにスーツケースに着替えや書類、ジョッギングシューズをしまい、着替えも畳んでテーブルに置いていた。洗面と着替えを済ませ可燃物ゴミ出しをして6時には家を出た。中央線、山手線、京急を乗り継ぎ羽田空港へ。余裕で到着、搭乗口近くで卵かけ朝定食をたべた。460円だが、みそ汁の具はあったかな?

羽田から鹿児島空港に向かう機内では、すっかり眠っていたようでサービスのジュースを飲まなかった・・・。鹿児島空港で家人と待ち合わせで種子島へ。種子島は上空の雲が垂れ込め視界が悪く場合によっては鹿児島に引き返すとの条件付きフライトであったが、無事に着いた。
写真は、がんばったプロペラ機。



レンタカーを借りてニュー種子島ホテルに行き、「種子島ライオンズクラブ」の例会に出席。近況報告と、ミニ卓話「あなたががんとどう付き合いますか?」を話した。ちなみに昼食として天丼がでたが、美味しかった。
家に着いたら大掃除が始まる。管理人のいない別荘?の維持はや大変だ。台風が2個続いたので、知り合いに雨戸の補強を頼んでいたが、ネジ釘で補強してあった。雨戸と窓を開けて風通しをして、家人は室内を自分は家周りの掃除をしたが3時間かかった。裏庭のバナナに実がなっていた。
伯母のお見舞いに行ったが、自分のことは分らなかったようだ。「た〇しちゃん、よう来たな・・」と言って欲しかったが・・・。亡くなった伯父はT医科大学の昭和10年卒で、昔西之表市長をされていた。
夜は、従弟や幼馴染の友達と「和(なごみ)」という居酒屋で夕食会。種子島でとれたウニや刺身の盛り合わせは豪華だった。






皆で記念写真を撮ったが、前の二人が大きすぎて、遠近法が強く出過ぎたようだ。

2014年8月11日月曜日

研修医教育2


K中央病院のS井先生とは、8月から毎週月曜日の午後に一緒に仕事をしている。S井先生にテキストは何を使っているの?と質問したら、研修医に人気の小さく薄いマニュアル本を見せてくれた。第一日目は全身麻酔の流れ、必要な麻酔薬、気道確保の方法など基本を教え、次回から初級編、中級編、上級編と質問の内容を変えていくことを通達した。

さて初級編では、麻酔導入の意味と3つの導入方法、全身麻酔でバランス麻酔の意味、筋弛緩薬の使い方、気管挿管の適応と抜管の基準。そしてその時々に使用する薬剤の基本的な事柄。喉頭鏡の持ち方と気管チューブからの分泌物吸引時の注意点。

中級編では、声門上気道確保デバイスの使い方、気管挿管に伴う合併症と気道確保後のチューブ先端位置の確認方法、全身麻酔の適切な深度の確認法、全身麻酔に伴う合併症とその対策。

上級編では、各吸入麻酔薬の特徴と選択、筋弛緩薬のリバースの意味、筋弛緩薬の作用消失判断のための臨床所見とその意味、経鼻挿管のやり方とDAM(difficult airway management)ASAのリスク分類と麻酔管理困難な症例の具体的な病態と対策、麻酔器の使用前チェック、硬膜穿刺した時の対処法。
S井先生は、13日にT医科大麻酔科に見学に来るが、入局宣言をしないかなと・・少し期待している。
なんと優しい指導医なのだろう思いつつ、S井先生が勉強をしすぎて脳浮腫にならないかと心配した。

2014年8月10日日曜日

八戸と奥入瀬渓流


燕三条駅に6月に置いてあった青森県観光連盟が発行している「あおもり紀行」という冊子を読んでいた。丁度今春入局した先生が八戸出身ということを聞いたので、県南・下北エリア「港町、八戸を食べ歩き」を開いた。懐かし横町探訪とか八食センターの文字が躍っていた。そうそう、八戸うみねこマラソンもある!ということで、仙台から八戸に足を延ばした。写真は新幹線八戸駅。

八戸市は人口約24万人、食品産業が盛んで八戸港にはサバやイカが多く運び込まれる。八戸三社大祭はあいにく4日までで終了したようだ。八戸うみねこマラソンは、八戸港沿いを走りうみねこの繁殖地である蕪島(かぶしま)横を通る。蕪島にある蕪嶋神社は株とかけて勝負ごとにご利益があり、日本のレスリングの金メダリストの多くが参拝したらしい、うみねこから糞を落とされると「開運」するとか、うみねこは一生涯同じパートナーと暮らすことから縁結びの神様といわれる。しかし、地元の人の話しでは、カップルが一緒にお参りすると「縁切り」の神様になるという。

駅に帰ると、奥入瀬(おいらせ)渓流の案内があった。ここまで来て行かない訳にはいくまい、とバスを探し奥入瀬へ。時間がなく一部だけ3㎞弱遊歩道を歩いた。渓流は増水していたが、それでも水はきれいでマイナスイオンが満ちていた。

渓流に倒れし樹木上に苔



渓流を育てし滝水涼運ぶ

バスの時間と日没のため、十和田湖までの渓流探索はできず。次回に持ち越すことになったが、泊りがけで来ないといけないようだ。









10日は雨が本降りとなった。走るのは諦めホテルのチェックアウトまでゴロゴロしていた。新鮮な魚介類や青果、お肉の店や飲食店など約60店が軒を連ねる・・・という八食センターに駅前からワンコインバス(100円)で行った。





何という人の多さ!観光客に人気の店は既に長蛇の列になっていた。かき分けて地元の人たちが行くような店に入り、はちのへ鮨(⒒貫)、いちご煮、八戸せんべい汁を堪能した。やはり本場だ・・・と思った。











新幹線の時間が迫ったので、タクシーに乗った。途中、緊急地震警報がなった。タクシーや周りの自動車は一時停まった。電柱の電線が揺れているようだったが、わからなかった。八戸は震度4だったようだ。
駅に着いた。案内所の人は「かなりの揺れでしたよ」と教えてくれた。新幹線は点検のため⒛分遅れで到着した。今日中には東京に帰れそうだ。写真は八戸三社大祭の山車。駅に飾ってあった。

2014年8月9日土曜日

仙台七夕祭

仙台七夕祭は、8678日になる。2日阿佐ヶ谷の七夕祭りの飾りを見たが、本場をもう一度見たいとおもった。ここは単身の気軽さか、早速東北新幹線で仙台に行った。しかし、着いた時は既に遅く、一番街アーケードでは片付けが黙々と行われていた。スマートフォンで自分を写す。





結局一番綺麗だった七夕飾りは、新幹線中央改札口の七夕飾りだった。









9日、駅近くのホテルから青葉城址に走った。丁度ボランティアの方々が清掃奉仕をしておられた。











伊達政宗の騎馬像と自分を写したが、顔の方向が上手くいかなかった。途中から小雨が降りだしたので、ヘアドライヤーでTシャツと靴を乾かした。

2014年8月7日木曜日

研修医教育

初期研修医のT〇先生と組んで、口腔外科の2症例の麻酔管理をした。運の悪いことに、誰も使いたがらない最新式の麻酔器に当たり?!麻酔表のコンピューター表記が上手くいかず、出だしは散々だった。しかしT○先生はめげることがない。研修医にとっては挿管困難のケースではあったが、やさしい指導医が喉頭展開した声門めがけて気管チューブは無事に命中通過した。フェンタネストの使用も指導医の適切な指示に従ったので、術後も患者さんは痛がることなく無事に帰室した。

二例目になると、先の失敗を教訓にして準備はパーフェクト。飲み込みが早く感心。難しい経鼻挿管ではあったが、初めてとは思えないスムーズな喉頭鏡とマギール鉗子の二刀流をやってのけた。全てベテランの指導医の指導の賜物であることを理解した彼は、単身赴任で今日は何処で夕食をしようか?と悩む指導医と共に、20時過ぎたが病院近くの焼き鳥屋さんに歯科麻酔科のA本先生と共に向かった。その後T〇先生は皆から可愛がられていることに気付いたようでとても幸せになったようだ。彼はきっと、一年後には麻酔科の門を叩くだろう。

2014年8月5日火曜日

学会終えて

728日月曜日、新宿区在宅医療の話し合いが区役所第二庁舎で開催された。新宿区は先駆的な在宅医療のための施策を取っている。多職種のまた基幹病院や医師会、訪問看護やケアマネージャーなどの代表の方々が集まり英知を絞る。年に数回の会合があり、学ぶことが多い。在宅医療の問題点や解決策など、熊本の在宅医療ネットワークとも意見交換をしようと思う。会議の後、新宿三丁目の「隠れ家」という店に移って懇親を深めた。



729日火曜日、日本ペインクリニック学会サテライト講演会で、フランスのカプデビラ先生が麻酔時に併用する区域麻酔(神経ブロック)の講演をしてくださった。多くのい症例数を持つ先生のお話しなので、説得力は強い。感謝状をお渡ししての記念撮影は、光の関係でカプデビラ先生の方が良く映る条件で写した。ごめんU野先生。





この日は土用丑の日だったので、新宿西口から病院に帰る途中の〇野屋でうな丼セットを食べた。








730日水曜日、宅急便で種子島の叔母から魚の干物などが届いた。先週知り合いからもらった冷蔵食品にウナギの佃煮?が入っていたので、夕食はまたまた豪華になった。感謝。





7月31日木曜日、朝5時半から善福寺川沿いを4㎞走った。朝早いと涼しい!思わず一人だけの記念写真を撮った。









82日土曜日、私大麻酔科教授の勉強会があったので品川の会場に向かった。仕事で遅くなり、残り15分で会場に潜入しお弁当を食べた。その後輸液に関する研究会があり、全国から多くの先生たちが集まってきた。






懐かしい顔も多く、情報交換会では話の花が咲いた。S玉医科大学名誉教授のM尾先生のお姉さま(今まで妹さんと思い込んでいた)は、ワイズの活動で親しくさせてもらっている。お話しすると喜んでくださり、記念撮影になった。







20数年ぶりにあった、O製薬のO川さんは、大学時代よく酒を飲んだ。
長崎市民病院のH〇先生は、同学年で親しくしていただいている。苦労話しも笑いながら話すことができる写真はH〇先生と。






83日日曜日、久しぶりにカレーを作った。なかなかの出来栄えで嬉しくなった。5皿分なので木曜まではもつだろう。

84日月曜日、朝カレーを食べ急いで家を飛び出した。ここまでは良かったのだが、病院でカレー鍋を台所に置いたまま(冷蔵庫の中ではない)ことを思い出した。この暑さだから、きっと腐っていることだろうと思うと悲しくなった。

夜遅く家に帰った。中に入るとヒンヤリする。ルームクーラーを消し忘れていた!カレーの鍋に鼻を近づけ臭いを嗅いだ。何も臭わなかった。二日連続カレーを食べた。残りはタッパーに入れ、冷凍庫にしまった。




8月6日、医局集合写真を撮ることになった。研修中の歯科麻酔科野先生たちやラウンド中の初期研修医、心臓・大血管麻酔の指導に来ておられるY谷先生にも入っていただいたので大勢になった。










さつきが閉店して夕食の当てがなくなったが、U野先生とO原先生の三人で新宿〇〇ビル地下にオープンしたラーメン屋さんに行った。
博多ラーメンの店で、本店には何回か行っている。二人が病みつきになってもっと太るのではないかと心配している。

 

2014年7月26日土曜日

第48回日本ペインクリニック学会と第14回ペインクリニック診断研究会

T医科大学の大〇戸先生が会長を務める第48回日本ペインクリニック学会が7月24日から始まった。この日は自分が会長を務める第14回ペインクリニック研究会も開催され、熊本大学のT代先生が「心因性疼痛は存在しない」、T医科大学のE藤先生から「脊椎変性疾患の手術療法の適応と限界」と題して講演をしていただいた。お二人ともかなり準備をしてくださり、発表時間も守っていただいたので充実した会になった。会が終わった後も、フロアや廊下で質問者に囲まれている二人を見て、この二人を演者に選んだ自分をほめていた。お二人とも、お互いの発表に感銘を受けていたようだった。
評議員会の後、大〇戸会長の会長招宴があった。ここでは医局関係のU田先生の弟さん(シンガーソングライター)の歌を楽しみながらの懇親会でだった。






T医科大の先生たちとも大いに語り合った。




九州から来られた皆さんと楽しくお話しする機会を持った。
これだけでは飲みたらない?九州勢を連れて、すし居酒屋前田に行った。皆さん流石に良く飲む。熊大の他に、九大、長崎大、久留米大、佐賀大、宮崎大の先生方と懇意になれたのは良かった。皆で写した写真の白抜きの部分に関しては数年は真実を語らないようにしよう。




25日は、23日に羽田国際空港に迎えに行った、オランダのVisser先生の会長招聘講演があった。講演の全文抄録を翻訳してHPにアップしたが、おかげで良く勉強する機会をいただいた。英語で質問し、講演会の質疑応答を盛り上げるのも自分の役目だった。
その後、自分とがん研有明病院のH部先生が座長兼発表者、弘前大のS藤先生と佐賀好生館病院のK杉先生の4名がシンポジストでVisser先生がコメンテーターを務めた「がん長期生存者と遷延する痛み」のインポジウムを行った。ここで大活躍したのがS藤先生、かなりエネルギーを費やした発表には、Visser先生が感銘を受けておられたようだ。H部先生のさすが帰国子女というべき流暢な英語と通訳は、途中Visser先生にかかりきりになって肝心の通訳を自分に放り投げた一部分を除いて、聴衆に感動を与えていた。
懇親会ではT医科大の先生たちや、熊本のY本先生やY先生と話すことができたし、T医科大の先生たちとも大いに話した。
懇親会の目玉は、八神純子さん。その歌声は、40年の昔をほうふつさせた。彼女はアメリカ在住で英語も堪能なので、外国からのお客様のお相手も積極的にしておられた。皆で一緒の記念写真をせがんだが、これも許されることだろう。
会終了後、初期研修医の塩〇先生を連れて前田に行った。入局を口説きながら、記念写真を写そうとしたが、カメラの充電切れで写せなかった。




26日は、できるだけ発表を聴きに行った。昼までに市民公開講座の準備を済ませた。
自分が担当する市民公開講座「あなたは「がんの痛み」とどう付き合いますか?」には50名ほどの方々が聴きに来てくれた。ゆっくりわかりやすく丁寧に話すことを心掛けた。暗くならないように笑いも取れるように、しかし家族の支えの素晴らしさが伝わるように話した。二人の方から質問もいただいた。
このようにして3日間の学会が終了した。終了後の記念撮影では、皆の笑顔がはじけていた。