2008年1月5日土曜日

のだめカンタービレ


J文化の代表に漫画がある。「のだめカンタービレは面白い!!」と家族が話しているのは幾度となく聞いた。子どもたちが「のだめカンタービレ」の漫画本を持っているのは知っていたが別に読もう・観ようとは思わなかった。4日の夜にテレビで「のだめカンタービレ」が放映されていた。
のだめが、野田めぐみのことだと初めて知った。上野樹里(のだめ役)の演技が大げさで下手だな・・と思って観ていたが、観ているうちに漫画の世界を再現させようとしていることに気付いた。日本語をしゃべれる一見外国人っぽい俳優で字幕スーパーを割愛する・・・すごいアイデアだ。本当かどうかは分からないが、兎に角国際的な指揮者コンクールのやり方も勉強した。
漫画を読む時間はないと思っていたが、少しは良いかな?と思った。若い人との共通の話題も少しはないと・・・
写真は講談社出版の表紙から

2008年1月3日木曜日

新春コンサート

今日はいつの間にか?麻酔科当番医になっていた。とは言え、明日から勤務する臨床研修医のオリエンテーションで病棟を一緒に回診するつもりでいたので特に問題はなかった。
緩和ケア病棟では、米国ニューヨークから友達の見舞いにわざわざ来られたSteveさんがチェロ独奏ミニコンサート(バッハの作品を数曲)をしてくださった。中・近世ヨーロッパでは、このような音楽に合わせて紳士淑女が舞踏会でダンスを楽しんでいたのだろう。ボランティアのリアさんが上手く進行をしてくださった。10床定員の緩和ケア病棟に現在9名が入院されているが6名がわざわざ会場の談話室まで来てくださった。Steveさんは歩行器+楽器入れを臨時譜面台にしたてての演奏だった。緩和ケア病棟は非日常の時間が流れるが、ボランティアの皆さんが日常の香りを持ってきて下さる。感謝。

2008年1月2日水曜日

走り初め

 腹痛も取れてきた、少しづつ食べれるようになった。年末年始で鈍った体を鍛えなきゃ・・・と思うのだが。今の状態に一番最適のパートナー二人を連れて走った。本年の走り初めだ。裏山の頂上にある世継宮への初詣を兼ねて、長男と娘を誘った。父親のブログのファン?(一応見てると言っている)なので、ブログ用の写真撮影に協力してくれた。いい子たちだ。

 お賽銭を忘れたが良いことがあったら、もう一度訪ねよう。







 帰って筋トレ後風呂に入り、久しぶりに体重を量った。64.2kg!!この数年で最軽量になっていた。やはり年末年始のダメージはすごかった。水分補給や輸液の効果が身にしみた。患者さんの立場になった診療を今年も続けよう・・・と思った。






写真は世継宮で長男・娘と、 ランナーズの表紙になるかも・・とおだてて撮った娘のジョッギングの様子

2008年1月1日火曜日

2008年を迎えて

論語の中に、「五十にして天命を知る。六十にして耳順う。」という箇所があります。「五十歳で天から与えられた使命の何たるかを知る。六十歳では、何を聞いても自然のままに受け入れられるようになる。」という意味でしょうか。私は55歳で丁度中間です。初日は拝むことはできませんでしたが、外は雪が降っています。新年にあたり、昨年の轍を踏まぬよう健康に留意し、昨年に引き続き仕事、趣味、ボランティアの目標に向かって努力したいと思います。




散々だった大晦日
12月31日午前2時、急に吐き気がして眼が覚めた。夕食が全て出てしまった。その後から下痢が続いた。31日に予定していた、病院まで往復16kmのジョギング、正月前の散髪、賀状書きは全てキャンセル。起きようとすると、おなか全体がチクチク痛み、時々差し込むような痛みが生じる。動けずに生汗を流しひたすら耐える痛みとはこんなものか・・と思った。水分を補給すると水様下痢で出てしまう。身体が干からびていくのが分かった。温かいお茶を飲み時々塩を舐めた。正露丸糖衣錠を飲んだ。大晦日のご馳走はなく、梅粥のみだった。丸まって寝ていたら元旦7時腹痛は消えていた。感染性胃腸炎かな?と思った。夕方の5時頃雨上がりの空に虹がでた。



写真は、
出番を待つお屠蘇
梅粥
隣の屋根に積もる雪







2007年12月30日日曜日

2007年はどんな年?


 あと2日を残すのみとなった。今日は麻酔科当番だが、入院患者さんの回診を終えたら部屋を掃除する!と誓った。

 朝6時過ぎに起きた。着替えて外に出たら冷たい雨が降り、北西の風が吹いていた。通常ジョッギングは中止するのだが、今年挫折(6月2日阿蘇スーパーカルデラ100kmで29km地点でリタイア)と復活(9月23日国東半島100kmマラソン完走)を経験し、走れる時に走るをモットーとしていたので、傘をさして走った。傘だと雨・風を防ぐことができる。今朝は犬の散歩をしている人が一人おられた。犬は合羽を着ていたが、さぞ寒かっただろう。傘をさしてのジョッギングは、かっこ悪いが傘を持つ手の筋トレにはなる・・・






 家族も様々な一年を過ごした。暖かな家庭は癒しを与える。昨夜は久しぶりに家族全員でで外食した。2テーブルで5名で座ったが、一人ひとりの距離が開きすぎる感じがして、1テーブルにした。娘から「お父さんはお誕生席が好きだから・・」と言われ、長方形のテーブルの短いほうの端に座った。家のことはほとんど家内に任せ、寝ている時間を除くと、80%は病院にいる。病院では診療だけでなく、多くの会議に追われる。土日になると机に山積みになった書類(保険診断書や、退院時サマリーなど)を片付ける。そのくせ、飲み会や練習会、ワイズの会合にはよく出席した。



 以前、クリス・ムーン氏(右手前腕・右足下腿を地雷で失い、義手義足の地雷廃絶と被害者支援の活動家 地雷廃絶と被害者支援の会・熊本HP参照 http://www.hpmix.com/home/klcc/frame.htm )が「時間が限られた人がボランティアや趣味に時間を割くためには、家族との時間が犠牲になる。」と言っていた事を思い出した。24時間をせめて26時間にするためには、もっと時間を有効に使わないといけないだろう。予定が重なるとむしろホッとするのは私だけだろうか?

 写真は雨のK高を望む。および家族写真




2007年12月29日土曜日

ワークステーション



 今日は麻酔科当番の日だった。緊急手術が2件あった。私が医師になった(麻酔科に入局した)時と比べ、麻酔器の性能が非常に良くなった。患者さんの生体情報(血圧、心電図、体温など)のモニタ機能は飛躍的に改善した。

 約30年前は大学病院なのに心電図モニタを装着せずに全身麻酔をしていたこともあった(心電計が足らなかった)。手のひらを患者さんの首(左頸部)に当て、触診で頚動脈の拍動の強さ・脈拍数、脈の不整や間隔、体温、皮膚の乾燥度合いを診ていた。



 現在麻酔器に付属しているモニタには刻一刻と患者さんの情報が表示され、アラーム機能があるので異常が生じると知らせてくれる。私は今でも自分の五感を大切にしている。



写真は今日使った麻酔器とモニタ画面

忘年会の出し物



 今年の忘年会の出し物は、ビリーズブートキャンプが多かった気がする。話に夢中になったり、眠ったりして観てないのも多かったかも知れぬが・・・




 てれっとウルトラマラソンクラブの忘年会の写真が奥○さんのブログに載っていた。私が眠っていく貴重な?様子が写っていた。


        

 
昨日で忘年会は終了した。今日・明日と病院オンコールが続く。