次第に視力が落ちていき、遠くがかすんで見えるようになった。殊に、メガネをかけていると目が疲れる。健診の視力検査で眼鏡をしても、1.0が0.8になった。検眼してもらったところ、左眼の近視が三段階改善したためにメガネをかけると左右差が生じ、視力が落ちたという。そこでメガネを作り直した。
17日は出来上がりの日。小田急に取りに行った。これまでのメガネと形も色も違うので、自分の姿に違和感を感じる。遠くがはっきり見えるようになった?とまではいかないが、確かに目が疲れない。これで良しとしよう。ちなみに遠近両用、近視左右差激しく乱視ありなので、レンズ代とフレーム代合わせて一桁上がった。
2013年10月16日水曜日
台風の夜
台風26号が15日夜から16日朝方に関東地方に最接近または上陸するという予報があり、15日は病院へは車で出勤した。新潟の外勤は何事もなく終わった。小田急で弁当を2個買ったうちの1個を、泊まり込むというS 根先生にあげた。S根先生はA宮先生と半分こっこにしていたので、仲間の絆は固くなった。
さて、午後11時半まで講義の準備と学会発表の準備をした。風雨が強くなってきたので、いったん車で帰ってシャワー着替えをしようと駐車場に向かった。玄関で手術室のNrsが二人ビニール袋を頭にかぶって傘をさしていた。今から帰るところだという。送ってあげるよと、二人を送ってから家に帰った。写真は寝袋
シャワー、着替えや郵便物のチェックを済ませインスタントラーメンを持って病院に戻った。午前1時を過ぎていた。ラジオで台風情報を聴きながら寝袋をソファーベッドに敷いた。
翌朝7時までぐっすり寝ていた。寝袋はいいが、枕がないので寝つきが悪い。丁度良い高さのミラー麻酔学書を枕にすれば、知識が高められるだろうか?写真はソファーに置いたミラーの教科書
さて、午後11時半まで講義の準備と学会発表の準備をした。風雨が強くなってきたので、いったん車で帰ってシャワー着替えをしようと駐車場に向かった。玄関で手術室のNrsが二人ビニール袋を頭にかぶって傘をさしていた。今から帰るところだという。送ってあげるよと、二人を送ってから家に帰った。写真は寝袋
シャワー、着替えや郵便物のチェックを済ませインスタントラーメンを持って病院に戻った。午前1時を過ぎていた。ラジオで台風情報を聴きながら寝袋をソファーベッドに敷いた。
翌朝7時までぐっすり寝ていた。寝袋はいいが、枕がないので寝つきが悪い。丁度良い高さのミラー麻酔学書を枕にすれば、知識が高められるだろうか?写真はソファーに置いたミラーの教科書
2013年10月14日月曜日
日本三景を制覇
11日金曜日夕食後、三連休(土曜はない土)で湯治とリハビリをしようと思った。風呂に温泉の元(湯の花)を入れたが、自宅の湯船では足が伸ばせない。インターネットで近場の温泉を検索したが、ここと思うところは全て予約済みだった。次第に遠くになって西伊豆土肥温泉の旅館が一室あいていた。土肥港から清水港へのフェリーもある。清水港から三保の松原まで約3㎞だ。三保の松原に行けば、日本三景を制覇することになるではないか!早速インターネット予約をした。12日土曜日、西伊豆は夕日のスポットがあり、17時15分が日が沈む時間であることを確かめ、16時半には到着するよう車で10時半に出た。環八の混むこと、東名高速に入ったら、海老名付近を先頭に13㎞の渋滞。前の車のドライバーが煙草を吸いながらの走行で右手の煙草が車外に出ていた。そのまま捨てるのでは?とフォローしたが捨てることなく先に行った。しかし13時半には御殿場に着いたので、アウトレットでカーディガンを買った。ブランド店が沢山あるが、娘夫婦からよくプレゼントしてもらうポール・スミス一店に絞りあっという間に買い物終了。
沼津インターで降りてから、また渋滞。途中の伊東長岡付近で日の沈む時間となってしまった。
食事は駿河湾の海の幸が美味しく、温泉には3回入った。
13日朝、海岸線の路を走った。駿河湾を挟んで遠くに富士山(朝は良く見えなかった)と静岡、清水、沼津が見える。3キロほどでふくらはぎの違和感が出たので引き返し、約6㎞のジョッギングになった。写真は西伊豆の奇岩
宿が港のすぐ前で、9時20分発の駿河湾フェリーに乗ることができた。車なら2時間半だが、フェリーなら1時間5分だ。富士山を覆っていた雲が晴れ、良く見えるが霞んでいる。
清水港について、三保の松原へ。駐車場は意外と簡単に停めることができた。御穂神社から羽衣松のある松原まで松の並木がある歩道が続いている。羽衣松は新松に世代交代になっていた。
ここから海岸に出ると富士山が良く見える。しかし少し霞んでいた。写真では富士山の輪郭がやっとわかるくらいだ。雪化粧をすると晴れた日に際立つ。それともタイマーで撮った写真の限界か?
帰りの東名高速は大和トンネルでの交通事故でまたまた13㎞の渋滞になっていた。下りで交通事故があったのだが、上りは典型的なわき見渋滞のようだった。海老名SAへの立ち寄りはあきらめ、途中のスーパーで夕食を買って帰った。
しかし、リハビリジョッギング距離の短いのが不満になってきた。そこで善福寺公園往復ジョッギング。結局13㎞が肉離れしてからの走り初めとなった。
14日、朝から大掃除と大洗濯!コンロ周りを特にピカピカにしたので、家人が来るまで料理をやめておこうかな・・・と思った。昼過ぎに東京駅八重洲地下にある行きつけの理髪店に行った。指名する理容師のKさんとはサッカーの話しで盛り上がる。
長男にメールをしたが、会社で仕事のようだ。大丸で夕食を買って帰った。明日から日常が始まる。
2013年10月11日金曜日
充実の一週間
良く勉強した一週間だった。勢い帰りが遅くなるので、食事が病院近くで済ますことになる。3回がさつきで1回が元気な食卓で夕食だった。
8日、元気な食卓は、U野先生の提案で野菜を食べようと行った。彼は野菜はバイキングで取ってはいたがやはりステーキを頼んでいた。ステーキを分けてもらったのでたくさん取った。代わりに魚を分けてあげたら、煮魚は嫌いらしく好き嫌いをしていた。
10日、U野先生とO原先生とさつきに行った。M岡先生の臥龍梅(日本酒だがスパークリング)これは栓を開けたら飲み干さないといけないと、自分が持って行った笠沙恵比寿(芋焼酎)で食卓はにぎやかになった。しかし、金曜の外来はかなりきつかったが・・・。
土日は完全休養、湯治とジョギング再開を予定しているが、頭脳は使うようにしようしよう。
8日、元気な食卓は、U野先生の提案で野菜を食べようと行った。彼は野菜はバイキングで取ってはいたがやはりステーキを頼んでいた。ステーキを分けてもらったのでたくさん取った。代わりに魚を分けてあげたら、煮魚は嫌いらしく好き嫌いをしていた。
10日、U野先生とO原先生とさつきに行った。M岡先生の臥龍梅(日本酒だがスパークリング)これは栓を開けたら飲み干さないといけないと、自分が持って行った笠沙恵比寿(芋焼酎)で食卓はにぎやかになった。しかし、金曜の外来はかなりきつかったが・・・。
土日は完全休養、湯治とジョギング再開を予定しているが、頭脳は使うようにしようしよう。
2013年10月7日月曜日
ももや母子を見送る
K中央病院の仕事を終え、ももちゃんに会いたくなったのであやちゃんにメールをした。何と台風が来るので予定を早めて今夜熊本に行くという。タクシーを飛ばしてももちゃんに会いに行った。ももちゃんは大変喜んでくれた。
さて、タクシーで羽田空港に行くという。ならばと、三人でタクシーに乗り込み羽田へ。
予定の1時間前に着いたが、手荷物を預けたりお土産を買ったりしているうちにあと30分になった。
ここで二人と別れた。ももちゃんは悲しそうな顔をしていた。
病院によって書類や郵便物を整理した。熊本地域医療センター本地域医療センター便り創刊100号が送ってきた。2005年地域連携室長になって始めた便りは8年も続いている。歴代の室長やスタッフの皆さんにご苦労様と声を掛けたい。東京で慰労会をしないかな・・・
さて、タクシーで羽田空港に行くという。ならばと、三人でタクシーに乗り込み羽田へ。
予定の1時間前に着いたが、手荷物を預けたりお土産を買ったりしているうちにあと30分になった。
ここで二人と別れた。ももちゃんは悲しそうな顔をしていた。
病院によって書類や郵便物を整理した。熊本地域医療センター本地域医療センター便り創刊100号が送ってきた。2005年地域連携室長になって始めた便りは8年も続いている。歴代の室長やスタッフの皆さんにご苦労様と声を掛けたい。東京で慰労会をしないかな・・・
2013年10月6日日曜日
研修会2日連続 実にタフでエネルギッシュな研修会
10月4日、第6回区西部がん医療ネットワークがT医科大学で開催された、テーマは「事例から学ぶがん地域連携」。一人の患者さんの治療、在宅への移行を通して、どのようなかかわりが必要なのかを学ぶ良い機会となった。発表者は大学病院主治医、総合相談・支援センサー担当者、病棟担当j看護師、緩和ケアチーム看護師、在宅医療医師である。会場の皆様からの意見もためになることばかりで、良い最期を作るためには、教科書を応用できる部分と、患者さん家族から学んだ自分の人生経験があるとのご意見にはなる程と思った。
10月5日(土)は中野区医師会と区西部緩和ケア推進運営会議が共催する医療者のための緩和ケア研修会「緩和ケア多職種連携を中野から」を開催した。6月のオレンジバルーンフェスタを良いきっかけに、顔と顔がつながり始めた多職種の連携を中野区から始めようという企画。会場・日程の決定、発言者への声掛けを怒涛のごとくされたW先生の行動力、しっかりとした準備をされてきたU先生の実行力、Fさんの事務能力や細かな配慮には脱帽した。写真は会の始まりに挨拶されるW先生とU先生。
初めに4名のシンポジストから各職種(訪問診療医、訪問看護師、薬剤師、拠点病院の総合支援窓口担当MSW)から10分で現状と課題について話をうかがった。
その後8,9名のグループに分かれ、ワークショップとなった。「どうしたら多職種連携が良くなるのか、課題が克服できるのか」についてディスカッションをしていただき、模造紙に書き出していただいた。
最後に自分が進行役になって、共有と全大会に移った。4つのグループの発表では多くお意見が寄せられた。あらかじめ指定発言者を5名決めていたので、時間が間延びすることもなかった。残りは懇親会の時に壁に貼って皆で見ることができるようにした。
一言で実にタフでエネルギッシュな研修会だった。
懇親会では企画や進行について褒めていただいた。研修会や懇親会で名刺交換をした方が20名、お話しした方は50名以上になった。
会が終わり、W先生とU先生と中野駅南口の居酒屋に行き、慰労会をした。「先生帰りますよ」の声で我に返り、タクシーで帰った。懇親会で「人が一生に飲むアルコール量は決まっているので・・・」と話したが、自分には「一晩で飲むアルコール量も決まっている・・」も当てはまる。
10月5日(土)は中野区医師会と区西部緩和ケア推進運営会議が共催する医療者のための緩和ケア研修会「緩和ケア多職種連携を中野から」を開催した。6月のオレンジバルーンフェスタを良いきっかけに、顔と顔がつながり始めた多職種の連携を中野区から始めようという企画。会場・日程の決定、発言者への声掛けを怒涛のごとくされたW先生の行動力、しっかりとした準備をされてきたU先生の実行力、Fさんの事務能力や細かな配慮には脱帽した。写真は会の始まりに挨拶されるW先生とU先生。
初めに4名のシンポジストから各職種(訪問診療医、訪問看護師、薬剤師、拠点病院の総合支援窓口担当MSW)から10分で現状と課題について話をうかがった。
その後8,9名のグループに分かれ、ワークショップとなった。「どうしたら多職種連携が良くなるのか、課題が克服できるのか」についてディスカッションをしていただき、模造紙に書き出していただいた。
最後に自分が進行役になって、共有と全大会に移った。4つのグループの発表では多くお意見が寄せられた。あらかじめ指定発言者を5名決めていたので、時間が間延びすることもなかった。残りは懇親会の時に壁に貼って皆で見ることができるようにした。
一言で実にタフでエネルギッシュな研修会だった。
懇親会では企画や進行について褒めていただいた。研修会や懇親会で名刺交換をした方が20名、お話しした方は50名以上になった。
会が終わり、W先生とU先生と中野駅南口の居酒屋に行き、慰労会をした。「先生帰りますよ」の声で我に返り、タクシーで帰った。懇親会で「人が一生に飲むアルコール量は決まっているので・・・」と話したが、自分には「一晩で飲むアルコール量も決まっている・・」も当てはまる。
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