2009年6月17日水曜日
2009年6月13日土曜日
日本医療マネジメント学会
長崎市で開催された日本医療マネジメント学会に参加した。
1日目は評議会、「診療報酬を医療の質に連動させる試み:米国P4P(pay-for-performance)の現状と問題点」と題した李啓充先生の講演(民間保険会社によってコントロールされる医療の危うさを警告)、シンポジウム「リスクマネージからクライシスマネージへの決断とその教育」(医療安全に焦点を当て、教育と現場での実践を紹介)を聴講した。最初は日帰りでの参加を・・と考えていたが、この二日間余り寝ていないので、宿泊することにした。長崎駅前のニュー長崎ホテルが取れたので、長崎駅前の長崎チャンポンや屋さんのハシゴをした。一軒目は何のパンフレットにも載っていないチャンポン屋さん。だれもお客さんはいなかったが、結構おいしかった。二軒目は観光客に有名なお店。先ずは皿うどんから食べた。おいしいのだが甘い。次に餃子、やっぱり甘い。最期にチャンポンに挑んだが、お腹一杯で2/3でギブアップ。
やはり Hungry is the best sauce だ。21時にはぐっすり寝てしまったようだ。
しかし悲しい習性で朝の3時には起きてしまった。このために重いPCを持ってきたんだった。早速“スペシャルオリンピックスフェア~有森裕子さんと共に~”第1回実行委員会の議事録を作成、西日本区大会のブログ作成に取り掛かった。6時過ぎから周辺の観光を運動を兼ねてでかけ、うっすら汗をかいて朝食、朝風呂ですっきりして軽く食事??
二日目プログラムに参加した。
宮崎理事長の基調講演の後、シンポジウム「医療コンコンフリクトマネジメントへの取組み」(医療メディエーターの教育、役割など、医療者と患者間のコミュニケーションの改善について)、教育講演「ERと地域医療体制」は福井大学の寺澤秀一先生の1時間全く飽きず5分に一回は爆笑のERからみた教育・地方医療の再生は心に残った。シンポジウム「チームで取り組む患者の在宅ケアと緩和ケア」では実際自分が取り組んでいることとオーバーラップするので、「質問もさせていただいた。最後にアナウンサーの草野仁さんの講演「いつもチャレンジ精神で」を拝聴した。
帰りの汽車には最初から座れた。
鳥栖駅で かもめがつばめに 変わりけり
入院患者さんの急変があり、熊本駅から病院に向かった。
しかし悲しい習性で朝の3時には起きてしまった。このために重いPCを持ってきたんだった。早速“スペシャルオリンピックスフェア~有森裕子さんと共に~”第1回実行委員会の議事録を作成、西日本区大会のブログ作成に取り掛かった。6時過ぎから周辺の観光を運動を兼ねてでかけ、うっすら汗をかいて朝食、朝風呂ですっきりして軽く食事??
二日目プログラムに参加した。
宮崎理事長の基調講演の後、シンポジウム「医療コンコンフリクトマネジメントへの取組み」(医療メディエーターの教育、役割など、医療者と患者間のコミュニケーションの改善について)、教育講演「ERと地域医療体制」は福井大学の寺澤秀一先生の1時間全く飽きず5分に一回は爆笑のERからみた教育・地方医療の再生は心に残った。シンポジウム「チームで取り組む患者の在宅ケアと緩和ケア」では実際自分が取り組んでいることとオーバーラップするので、「質問もさせていただいた。最後にアナウンサーの草野仁さんの講演「いつもチャレンジ精神で」を拝聴した。
帰りの汽車には最初から座れた。
鳥栖駅で かもめがつばめに 変わりけり
入院患者さんの急変があり、熊本駅から病院に向かった。
2009年6月11日木曜日
むさしクラブ会長引継ぎ例会
今〇会長のこの一年、西日本区大会の準備、熊本にしクラブの設立など通常の一年間の会長の数倍の仕事を担った一年であったことを推察する。今日の例会までが、彼女に責任があるのだが、会長最終例会では例年パワーポイントで一年間の活動をを振り返える。メンバーに写真の提供を呼びかけられていたので、懐かしい場面がよみがえってきた。一年前の緊張した会長挨拶と比べ物にはならない堂々とした話し振り。いつも本業の旅行業の方でこっちがお世話になっている。
写真は会長引き継ぎを終え満面の笑みの今〇会長右。
今期は、4名がにしクラブに移籍し、今日で山〇さんが諸事情で退会された。山〇さんは復帰できそうになったら戻ってくると言われたので信じて待つことにしたい。5名の減でむさしクラブは23名になった。しかし今日ビジターで参加された方々の中には入会希望の方もおられたので次期の村〇会長の期には飛躍させたいと思う。
私も家人にこの一年想像以上の苦労をかけた。
花でお許しくださらないだろうから、いつかデパートに連れて行こう。
今期は、4名がにしクラブに移籍し、今日で山〇さんが諸事情で退会された。山〇さんは復帰できそうになったら戻ってくると言われたので信じて待つことにしたい。5名の減でむさしクラブは23名になった。しかし今日ビジターで参加された方々の中には入会希望の方もおられたので次期の村〇会長の期には飛躍させたいと思う。
私も家人にこの一年想像以上の苦労をかけた。
2009年6月7日日曜日
第12回西日本区大会
6月6(土)7(日)日にワイズメンズクラブ国際協会第12回西日本区大会が熊本で開催された。6日は阿蘇スーパーカルデラ開催日で重なったため今年は参加しなかった。
さて、在熊9クラブはそれぞれの役割を分担した。我がむさしクラブは、メネットアワー(家人がメネット事業主任を1年間務めたので仕上げを飾る!)と聖日礼拝(説教をお願いした山下先生が熊本草葉町教会の牧師さんなので教会員の村〇さんが礼拝委員長、献金感謝を山〇さんにお願いした)を担当した。またむさしクラブの今〇会長は登録委員会委員長(旅行業をなさっているので引きうけていただいたのだが、この一年間を通して実行委員長の次に仕事量が多かったと拝察)、米〇直前会長がユニフォーム委員会委員長(様々な意見を何とかまとめた・・・皆さん思い入れが強いから・・)、米〇さんと若手のホープ岩〇さんが総合司会を、そして私が医務・新型インフルエンザ対策を担当した。
5日(金)の前夜祭には、Oさんの前夜式から直行、既に食べ物はほとんど無かったが、全国から集まった仲間と旧交を温めた。
6日会場入り口はスペシャルオリンピックス運動を全国に広げた中村さんが丸山ハイランドから持ち込んだ木々で作ったアーチとスペシャルオリンピックスのアスリートたちが来場者を迎えていた。
今期最期の西日本区役員会に参加した。クリスチャニティー特別委員会委員長は準役員の立場であるが、任期は決まっていない。
暫くは毎年の役員の皆様とのお付き合いが続く。
メネットアワーでは西日本のメネット活動を示す飾り付けがきれいに掲示されていた。1年間の活動が報告され、国内メネット事業の発達障がい者へのプログラムリーダー研修会の報告も行われた。無事に次期のMメネットの事業主任が引き継がれた。
家人もメンバーであるトーンチャイム秋桜倶楽部のみなさんが音楽をサービスしてくださった。トーンチャイムは一つの音しか出せないが、多くのトーンチャイムが加わって美しい音楽になる。今期のメネット活動がトーンチャイム演奏に例えられるのかもしれない。ご苦労様。
EMC2000推進委員会の会合では、次期の目標が提示されたがかなり高い目標だった。
熊本みなみのUさんと西中国部の高〇が副委員長になった下さったので、少し気が楽になった。がDブロック(西中国と九州部)の責任者はそのままだった。
熊本高校オーケストラの演奏フィンランディアで開会式は始った。
総合司会は米〇、岩〇ワイズで、
むさしクラブのメンバー。クラブ会長バナーセレモニーでは今〇会長、兄弟クラブの京都みやびクラブの北〇会長が堂々の入場をされた。
一日目は来賓挨拶、熊本ヤングクラブ国際協会加盟認証状伝達式、
ミュージカルYのパフォーマンス、各部長の事業報告など盛りだくさんの内容。中でもワイズの大先輩である岡〇さんが奈良傳賞を受賞された。これまでのご苦労に感謝。
熊本にしクラブが、東京西、京都ウエスト、大阪西、神戸西との国内兄弟クラブ(DBC)締結式では、念願のペンタゴンが叶い感激した。

懇親会は、熊本らしいおもてなしを・・と企画されていた。山鹿灯篭、ジェーンズクラブのメネット・コメットによるパフォーマンス、サンバおてもやんの全員踊りなどなど・・・
ここでは、参加下さったクリスチャニティー特別委員会委員が集まり顔合わせと記念撮影を行った。
感謝。
二次会から、京都みやびクラブとの懇親会に参加し帰宅した。
二日目は聖日礼拝から。礼拝はむさしクラブの担当。日本キリスト教団熊本草葉町教会の山下牧師の説教は「熊本バンド無くば」というタイトル。
紹介された聖書の箇所は使徒言行録16章6~10節で、パウロが宣教に行き詰まり二回も計画を変更せざる得なかったことが記されている。しかし、マケドニア(ギリシャ)にパウロが渡ったことにより、キリスト教はヨーロッパに広がった。確実な対象理解の下、熊本バンドから始った日本のYMCA運動との対比は鮮やかであり、「熊本バンド無くば 京都に同志社無く、同志社無くば YMCA無く、YMCA無くば ワイズメンズクラブ無く、ワイズメンズクラブ無くば 自分も無し」の言葉が胸にしっかりと残こった。礼拝委員長の大役を果たしたMさん、献金感謝を担当されたYさんに感謝。
家人が一年間務めたメネット事業主任も活動報告と表彰で大方が修了する。兄弟クラブの京都みやびクラブが最優秀メネット賞を受賞。
良かった。またFF資金贈呈式では、むさしクラブの推進事業のたんぽぽハウス支援が、
カンボジア地雷廃絶やタイ少数民族里親支援事業と共に選ばれ支援金が贈呈された。
理事引継ぎ、
役員引継ぎも無事行われ大会は終了した。準備していたAEDを使用することも無く、医務室の利用もなかった。参加してくださった皆さんはほとんどが満足して帰途につかれた。熊本城観光のエクスカーションに家人と参加した。
本丸御殿での食事は、なかなか空きが無くできないのだが、特別に食べることができた。次次期メネット事業主任の坂〇さんと、不思議なきっかけから家人と出会うことができた。これも神様のお導きだろう。写真は坂本さんご夫妻と本丸御殿で昼食。
西日本区大会の大成功には信じられないほどのエネルギーが費やされた。一生青年でありたい。
さて、在熊9クラブはそれぞれの役割を分担した。我がむさしクラブは、メネットアワー(家人がメネット事業主任を1年間務めたので仕上げを飾る!)と聖日礼拝(説教をお願いした山下先生が熊本草葉町教会の牧師さんなので教会員の村〇さんが礼拝委員長、献金感謝を山〇さんにお願いした)を担当した。またむさしクラブの今〇会長は登録委員会委員長(旅行業をなさっているので引きうけていただいたのだが、この一年間を通して実行委員長の次に仕事量が多かったと拝察)、米〇直前会長がユニフォーム委員会委員長(様々な意見を何とかまとめた・・・皆さん思い入れが強いから・・)、米〇さんと若手のホープ岩〇さんが総合司会を、そして私が医務・新型インフルエンザ対策を担当した。
5日(金)の前夜祭には、Oさんの前夜式から直行、既に食べ物はほとんど無かったが、全国から集まった仲間と旧交を温めた。
6日会場入り口はスペシャルオリンピックス運動を全国に広げた中村さんが丸山ハイランドから持ち込んだ木々で作ったアーチとスペシャルオリンピックスのアスリートたちが来場者を迎えていた。
メネットアワーでは西日本のメネット活動を示す飾り付けがきれいに掲示されていた。1年間の活動が報告され、国内メネット事業の発達障がい者へのプログラムリーダー研修会の報告も行われた。無事に次期のMメネットの事業主任が引き継がれた。
EMC2000推進委員会の会合では、次期の目標が提示されたがかなり高い目標だった。
熊本高校オーケストラの演奏フィンランディアで開会式は始った。
一日目は来賓挨拶、熊本ヤングクラブ国際協会加盟認証状伝達式、
懇親会は、熊本らしいおもてなしを・・と企画されていた。山鹿灯篭、ジェーンズクラブのメネット・コメットによるパフォーマンス、サンバおてもやんの全員踊りなどなど・・・
二次会から、京都みやびクラブとの懇親会に参加し帰宅した。
二日目は聖日礼拝から。礼拝はむさしクラブの担当。日本キリスト教団熊本草葉町教会の山下牧師の説教は「熊本バンド無くば」というタイトル。
家人が一年間務めたメネット事業主任も活動報告と表彰で大方が修了する。兄弟クラブの京都みやびクラブが最優秀メネット賞を受賞。
西日本区大会の大成功には信じられないほどのエネルギーが費やされた。一生青年でありたい。
2009年6月4日木曜日
どうして走るのか?
1時間いや30分時間があったら走りたい・・・丁度今週から救急救命学科の学生が病院実習に来ている。ということは、誘いやすい。火曜日は時間が無かったので5kmと結構飛ばした。参加者は30例修了した栃〇救急救命士と学生さん3名。
そして今日、患者さんの夕食時間に合わせて60分弱、約7kmを清〇臨床工学技士と学生3名。折角だから女子アナコースにした。熊本朝日放送社屋の前で建物の中を皆で見ていたら、女子アナのような人の動きが見えたので納得して走って帰った。救急救命学科の学生さんには必ず大洋火災受難の碑に案内する。昭和48年の秋、丁度化学の実習中に発生した大惨事だ。
そして今日、患者さんの夕食時間に合わせて60分弱、約7kmを清〇臨床工学技士と学生3名。折角だから女子アナコースにした。熊本朝日放送社屋の前で建物の中を皆で見ていたら、女子アナのような人の動きが見えたので納得して走って帰った。救急救命学科の学生さんには必ず大洋火災受難の碑に案内する。昭和48年の秋、丁度化学の実習中に発生した大惨事だ。
2009年6月3日水曜日
病床洗礼
緩和ケア病棟に入院されているOさんが6月3日病床洗礼を受けられた。ご家族や親しい友人が集まり、ベッドを家族控え室に移した。入院から1ヶ月半、週末の外泊を繰り返し、懸命に生きてこられた。時々病室で一緒にお祈りをしていたので、感慨深かった。数日前から病態が急変され、無事に洗礼式が行えるだろうかと心配していたが、神様が守ってくださった。

式が終わって皆さんと記念写真を撮った。Oさんからブログに載せてね・・と言われた。Oさんは、記憶にも記録にも残る患者さんになった。
そして4日の昼Oさんが召天された。最期まで立派に生き抜かれた。人生の最も困難な時にともに歩む機会を与えられたことに感謝している。残されたご家族に癒しと平安が与えられますように。
式が終わって皆さんと記念写真を撮った。Oさんからブログに載せてね・・と言われた。Oさんは、記憶にも記録にも残る患者さんになった。
そして4日の昼Oさんが召天された。最期まで立派に生き抜かれた。人生の最も困難な時にともに歩む機会を与えられたことに感謝している。残されたご家族に癒しと平安が与えられますように。
スペシャルオリンピックス
スペシャルオリンピックス日本・熊本では、11月8日、9日に有森裕子理事長の参加を得て、熊本大会の開会式と交流会を企画することになった。6月2日がその2回目の実行委員会。第1回実行委員会に欠席だったため?委員長を拝命した。そこで第1火曜日19時からを実行委員会の開催日とし、1時間の会を開くことにした。


また6月2日栃〇救急救命士が無事30例の気管挿管実習を終えた。お祝い・慰労会と6月から麻酔科に来た研修医の歓迎会をすることにした。実行委員会で出遅れたが、直ぐに追いついた??・・
緩和ケア病棟では数名の患者さんが重症患者さんリストにあがったので、このまま緩和ケア病棟にある当直室に泊まった。朝起きて医局に行ったら当直医の本〇先生がソファで寝ていた。
また6月2日栃〇救急救命士が無事30例の気管挿管実習を終えた。お祝い・慰労会と6月から麻酔科に来た研修医の歓迎会をすることにした。実行委員会で出遅れたが、直ぐに追いついた??・・
緩和ケア病棟では数名の患者さんが重症患者さんリストにあがったので、このまま緩和ケア病棟にある当直室に泊まった。朝起きて医局に行ったら当直医の本〇先生がソファで寝ていた。
登録:
投稿 (Atom)