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2015年12月31日木曜日

大晦日

31日、今年も最後になった。鶴屋フ―ディー1で買い物。開店早々に行ったが、あっという間にお客さんが増えてごった返してきた。写真は込み合う前の写真。

昼ご飯を食べて、北バイパスのジョギング。今年の走行距離は燦燦たるものになった。少しずつ左足のしびれが取れてきている。2月と3月のフルマラソンを目指して走行距離を増やそう。

ジョッギングから帰り、風呂掃除をする。次男は洗面台の掃除をしていた。ありがとう!でも負けられない。
さくちゃんの熱が下って、発疹が出てきたようだ。突発性発疹だったんだね。たくさんおっぱい飲んで、離乳食食べて元気になろうね。





大晦日はいつもすき焼き。夕食前に一年間の反省をゆっくりする。





紅白歌合戦を観ながら年を越す。年越しそばはシンプル。




どうやら今年は紅組が勝ったようだ。
写真はNHK番組から。

2015年12月30日水曜日

帰省、鹿児島へ

30日、軽自動車での鹿児島へ。行きは九州縦貫道をとおり、鹿児島の義母のいる老健施設へ。ここではリハビリも受けさせてくれるので座っていることも多く、スタッフが声掛けしてくれるので、以前よりしっかりしてきた印象を受けた。家人の実家で仏壇に線香をあげ、義叔母の家に行き挨拶した。写真はインターネと検索で気に入った桜島。
自分の叔母も有料老人ホームに入居しているので挨拶に行った。4カ月前に会った時より随分しっかりしていた。


南九州道から伊集院の叔父夫婦を訪ねた。4年ぶりだろうか?二人とも年取ったな・・・と思ったが、いつものように歓待してもらった。今度行くときは泊りがけになりそうだ。ここでは黄猿、赤猿の芋焼酎5合瓶を2本とさつま揚げなどたくさんいただき物をした。帰りは南九州道から九州縦貫道を通って帰ったが。まだ完成しておらす。国道3号線や無料区間を使い、約3時間のドライブになった。

2015年9月21日月曜日

敬老の日

21日、朝南阿佐ヶ谷まで走り、そこから丸の内線で病院へ。緩和ケアチームに紹介された患者さんを診察し、新中野まで走ってまた丸の内線で荻窪に帰ると言う荒業に出た。そろそろ通勤ランを復活させなければならないので、その準備。
シャワーを浴び、ラーメンを作り冷蔵庫の中を整理した。11時家を出て羽田空港に向かい熊本空港行のJAL631便に乗った。
関東・東海にかけては残念ながら曇っており、富士山も見ることはできなかった。

瀬戸内海上空では、本州四国連絡橋のしまなみ海道?だろうか良く見ることができた。
空港には家人が迎えに来てくれた。荷物を自宅に置き、姉の家に行った。9月一杯に廃院し、次の院長のもと勤務医になるという。
夜は娘一家とともに「小左衛門」で夕食。敬老の日ではあるがまだまだ敬老対象者ではないと粋がる参加者の財布からこの日の支払いは行われた。がお腹一杯食べて飲んで大人一人3000円もかからなかったが・・・。

2015年7月4日土曜日

忙しい日

4日、朝から日本疼痛学会に参加した。受付ではY本会長を始め熊本大学麻酔科のスタッフと50周年記念祝賀会以来一か月ぶりに再会した。午前中しっかり聴講したが、内容は奥深い。ランチョンセミナーでは石巻でペインクリニック診療所を開業されているK井先生の話は興味深かった。市民公開講座までの時間、熊本時代の患者さんが開いている喫茶店に行った。コーヒーをご馳走になり、小一時間いろいろ話しすることができた。

市民公開講座のタイトルは「緩和ケアを誤解していませんか?」日本緩和医療学会の細川理事長のお話しは分かりやすい。熊大緩和ケアチームの精神科Dr.や管理栄養士の方のお話しも興味深く聴かせてもらった。T医科大学でも市民公開講座を予定しているので、大変参考になった。
娘の家にバス、電車を乗り継いで行き、バスから降りる途中に傘紐に引っかけて取れたボタンの補整を家人にしてもらった。ひなたと相撲をとったり、じょうじを抱いたりして束の間の「じいじ」を満喫し再び中心街へ。


熊本赤十字病院の医師同窓会はホテルキャッスルで開催された。同級生のH先生が4年前に院長に就任しているので是非会いたいと思っていた。懐かしい先生たちにもお会いすることができた。研修医の皆さんの余興はなかなか良く、このアイデアをT医科大学麻酔科の研修医に伝えたいなと思った。集合写真の後、足は行きつけの「プラス ワン」に向いていた。

2015年5月2日土曜日

帰省その1 グッドタイミング

2日、午前中は病棟回診。15時羽田発のANAで熊本へ。今回は通路側で非常口の座席だった。外の景色を見ることもなく、そのまま爆睡していた。たまたまCAと会話。今日は午前中鹿児島往復、午後から熊本往復だそうだ。いつもは地方空港に行くときは3カ所行くようだ。
さて自宅に着いてジョッギングの準備をして北バイパスコースを走り始めた。3年前にあった白川大洪水の後、白川の河川堤防工事が続いている。



帰りがけ、T本さんの引っ越し先を確かめようと横道に入った。すると、T本さんご一家が今から庭でバーベキューのところに遭遇した。明日の夜にでも一緒に飲めたら・・・と思っていたが、気持ちが天に通じたようだ。
奥様や次女さんとは存じ上げていたが長女さんご夫妻とは初対面。しかし直ぐに打ち解け楽しい時間を過ごした。缶ビール2本と焼酎お湯割り2杯飲んだところで、お礼と別れを告げ残り2㎞を走って帰った。また飲もうね!

2014年12月29日月曜日

熊本へ帰省

28日、530分には起床し帰省のための荷物を確認した。お歳暮でもらった果物は、いくつかは熊本に持って帰ることにしたが、残りは病院の麻酔科・ICU当直Drたちへ差し入れすることにした。野菜も熊本に持っていくように準備した。615分には家を出て、病院へ。ICU医室に果物を届けた。昨日回診し、気になる患者さん数名の回診をした。昨日から弱オピオイドを始めた患者さんから、「痛みが取れて悲観的に考えていた自分に希望が出てきました。ありがとうございます。」と言われ安心した。
 1020分発JALだが、羽田空港には9時頃到着した。搭乗口には30分以上前に着いた。これまでのギリギリ移動から一歩前進した。
熊本空港の手荷物受取場にはくまもんがいて愛嬌を振りまいてくれる。
熊本空港にはひなちゃん一家が迎えに来てくれた。途中カレー屋さんでカレーを食べた。福島支援のために福島産のお米を使っているという。 
 
 
小さなカレー屋さんだが、また来なくては。





家人はインフルエンザ?風邪?で伏せっていたが、熱が下って動けるようになったようだ。夕食の買い物に行ったら、食料品専門スーパーはお正月モードになっていた。
娘の新築中の家を見に行った。来年の2月には完成しそうだ。帰って北バイパスコース8㎞を走った。

夕食にひなちゃんと娘がやって来た。お行儀の悪かったひなちゃんを叱ったら、娘から「躾は親の役目だから、叱らないでちょうだい」と諭された。好々爺にならなくては・・・。

2013年8月16日金曜日

帰省その4 種子島を走り鹿児島へ

16日、種子島の市街地と裏山を走った。高低差で約100mだがアップダウンがきつい。統合合併された新しい種子島高校を過ぎた頃、




朝日が昇ってきた。






高台を軟式野球中学校鹿児島大会で優勝した種子島中学(ここも数校が統合合併した)の横を通り、海辺に下りていくと、美浜町の子どもたちがラジオ体操をしていた。自分も離れた場所で参加した。




海岸に沿って市街地を走った。途中猫を散歩させている同級生のH瀬さんと会った。大和スーパーまで走って再び山の方に駆け上がった。西之表の市街地を写真に撮った。




ハイビスカスの花がきれいたが、雨が少ないので木によっては元気のない花が咲いていた。





約10㎞を走り、汗びっしょりになってゴールの自宅浴室に飛び込みシャワーを浴びた。この間家人も汗びっしょりになって玄関周囲の草刈りをしていた。感謝。




午後1時の高速艇で鹿児島へ。タクシーの運転手さんによれば、風向きが変わってきて鹿児島市の方も桜島の灰が降ってきているらしい。
例年夏は桜島の火山灰は西方向に降ってくるので鹿児島市は灰だらけになる。今年の異常気象は極暑、極少雨、無灰のようだ。

帰省その3 種子島編

15日朝、5㎞ほどジョッギングするが体が重い。毎日ご馳走を食べているからだろう。9時の高速艇で種子島西之表港に移動し、レンタカーで自宅に行った。親戚のH高さんが窓を開放し、掃除機をかけていてくれた。
荷物を置き、昼食を食べに人気のラーメン屋に行った。なかなか美味しくボリュームもあり、リーズナブルな値段だった。
 墓は既に掃除が行き届いており、花も飾られていた。
自宅の庭(雑木林)にはバナナの木があり実がなっていたが、雨がずっと降っていないので実は小さくしぼんでいる。
能野(よきの)海水浴場までドライブした。自宅から車で10分でいける。砂浜はきれいだが、霞んで沖にある馬毛島は見えなかった。
叔父と叔母のそれぞれの家を訪問し、仏壇にお線香をあげた。叔父、叔母ともに元気そうだったが盆休みは誰も帰省していないと言っていた。
帰る途中コンビニに寄ったら「熊本うまかもんフェア」をしていた。クマモンが至るところで愛嬌を振りまいていた。
夕は、従弟のE本さん、H高さん、家人の教え子でたまたま種子島に出張していた石〇さんと我々夫婦で会食した。コース料理に生ビール7杯、焼酎2本キープで一人4200円(消費税込み)程度だった。途中、従弟が懐かしい後輩たちに電話をした。熊大サッカー部時代のD徳、H田さんたちと久しぶりに話ができて良かった。

2013年8月15日木曜日

帰省その2

14日はゆっくり朝寝をした。13時28分熊本駅発の新幹線で鹿児島中央駅へ。熊本駅にはクマモンがお出迎えとお見送りをしてくれている。




1時間弱で鹿児島についた。丁度土砂降りになっていた。高齢者マンションに住む叔母を訪ねた。自分の祖父祖母一家の写真を見せてもらった。体の大きさの順番で見ると、叔父叔母の子どもの頃の写真に面影がある。
マンションの共有レストランには叔母が活けたお花が飾ってあった。米寿になるが、元気でしっかりしている。
部屋の入り口には、「人生ゆっくりおもしろく」と書かれた暖簾がかけてあった。自分なら「人生たのしくおもしろく」かな?と思った。
家人の実家に向かうタクシーで、運転手さんから「この暑さで雨が降ってもサウナになるだけですね」と言われたが、木々草花は喜んでいることだろう。
義母はだいぶ体が弱ってきている。墓参りもおっくうそうだったので、家に残して墓参りをした。夕日が西の方に沈んでいくのが見えた。豚肉のしょうが焼きとゴーヤ料理を作り夕食に花?を添えた。

2013年5月4日土曜日

鹿児島の義母をお見舞い

鹿児島の病院に義母をお見舞いに桃ちゃん一家と新幹線で行った。新幹線の熊本駅の売店はくまもんグッズやくまもんがプリントされたお土産で一杯だった。
鹿児島中央駅から指宿枕崎線の普通列車に乗り換えた。新幹線はすいていたが、普通列車は平川動物園に行く家族連れなど満員だった。

義母は予想以上に元気になっていた。付き添ってくれていた義妹のメモや内服薬を見ていると大体の病状が分かる。先日のひなちゃん一家のお見舞いや、ももちゃん一家のお見舞いが元気づけているようだ。ここで皆で記念写真を写したが、あいにくカメラを帰りの新幹線の中に忘れたので、数日後に着払いで着いてから載せることにする。
 
 
 
 
 

鹿児島中央駅でラーメンを食べ、焼酎を買って新幹線に乗り込んだ。ももちゃんと二人の席に座って写真を撮ってしばらく遊んだが、不覚にも寝てしまった。熊本が近づき慌ててももちゃんに靴下や靴をはかせてたが、カメラを座席に置いたまま出てしまったらしい。
家に帰りつき忘れてきたことに気付いた。博多駅新幹線忘れ物係に電話したら、届いていた。家人は「あなたはやっぱり何かしでかすんだから・・・」と笑っていた。

2013年3月24日日曜日

帰省その3

24日、ひなちゃん一家が熊本に車で帰った。見送りながら、義父母も少し寂しい気持ちで見送ったのかなと思った。






次男は鹿児島でいくつか立ち寄って新幹線で熊本に帰るという。一時間に一本しか来ないバスまで「二人で歩いた。

少しの時間だったが、父と子の会話ができた。

2013年3月23日土曜日

帰省その2

昨日の大掃除の疲れからか腰痛が少し強くなった。台所や玄関周りの片付けは手つかずで、次回回しになった。掃除をしながら「長男は大変だ。辞めたい・・・。」などと言っていたら、家人から「長男の嫁はもっと大変だ・・」と言っていた。そう言えばももちゃんは、長男の長男だ。写真は長男三代。



市街地を通っていると、昨夜一緒に食事をした平〇君と会った。彼はペルシャ猫を散歩させている不思議な人だ・・・。この猫は普段は室内で飼っているが耳が聞こえないので放しておくと危険なので朝晩繋いで散歩をさせているという。ペット好きのお手本のような人だ。

町の中心部にある焼きたてパンのある店に行き、朝食を済ませた。店には食事のできるスペースがあり、インスタントのお茶、紅茶やコーヒーは無料のセルフサービスだ。ここに種子島中央高校の生徒たちが主役になっているRobotics Notesのポスターがあった。






車で島の山の方に行った。港を見ると高速艇が出航していくところだった。
風呂掃除や洗濯を済ませ、レンタカーを返すので種子島石油の西之表SSで満タンにした。車が汚れたので、水洗いをしてもらった。無料サービスだったので感激した。港にあるレンタカー専用駐車場に車を駐車し、鍵と満タン証明書その他の書類を車の中に置いてドアを閉めたら(鍵をかけずに)返却になる。レンタカーの会社の人からは、島から車は出ませんから・・・と言われたが、大らかな島だ。
鹿児島へは高速艇で移動した。佐多岬や桜島を間近に通る。写真は本土最南端の佐多岬灯台。






鹿児島の桜は5分咲き。種子島は山桜は既に葉桜になっていたが、ソメイヨシノは少ないのか?桜は見かけなかった。
義父の一周忌に、東京から長男一家、熊本から次男と長女一家、大阪から義妹と姪っ子母子が到着した。義母、鹿児島の義妹一家と親戚二人を含めて賑やかになってきた。一周忌の法事はお墓参りから。ももちゃん一家と線香をあげた。


大阪から来た姪っ子の娘の杏梨ちゃんは9か月でつかまり立ちができる。未だお兄ちゃんたちと一緒には遊べない。ひなちゃんは、ももちゃんと別々のおもちゃで遊び始めた。写真はひなたと杏梨。





やはりおもちゃの取り合いが始まったが、ももちゃんが年長の貫録?をみせて完勝。ひなちゃんを泣かせてしまった。ジイジとしてはその方が良い。しかし直ぐに仲直りして二人ではしゃいでいた。これで一安心。

会食の前に仏壇にお参りし、義母から感謝の挨拶があった。この一年間の間に、追悼記念誌「ありがとう」が出版された。義母と家人が編集し、大阪の義妹が題字を書いてくれた。極貧の生活から県庁マンになり努力して実力をつけていった過程や家族への愛と感謝の文や手紙が載っていた。
会食の中締めで皆で記念写真を撮った。鹿児島の義妹の婿さんは仕事で遅くなり、写真には載っていない。
いよいよ明日は東京に戻り、荻窪での本格的な生活が始まる。