2016年2月28日日曜日

立田山へ

28日、朝から立田山コースで約11㎞走る。途中に梅の花が咲いていた。

 
 
 
 
山頂で記念写真を撮る。

ワイズの岩本さんからテーブルセットをYWCAに寄付をいただいたので、家人につい待ち合わせ場所の熊本大学YMCA花寮会に行った。立派なテーブルセットで運搬と組み立てを手伝った。

2016年2月27日土曜日

日本慢性疼痛学会二日目

27日、日本慢性疼痛学会二日目。「かゆみと痛みの脳内認知機構」という興味深い教育講演を拝聴する。
シンポジウム「慢性疼痛に対するインターベンション治療の位置づけ」にはT医科大学の福井先生がシンポジストとして発表した。
最後の市民公開講座は最前列で拝聴し、特急かもめと新幹線を乗り継いで熊本へ、豊肥線で龍田口まで行って家人に迎えに来てもらった。

2016年2月26日金曜日

日本慢性疼痛学会一日目

26日、日本慢性疼痛学会1日目。佐藤会長、平川実行委員長とは熊本時代から親しい。朝は佐賀城址の周りを走る。一か月後の種子島ロケットマラソンでは6時間を切らねばならない。

 
赤松小学校の校門に校長先生?が立って、児童たちに「おはよう」と挨拶をしておられた。中には飛びついて甘える低学年の子どもたちもいた。

 
 
会長講演、基調講演、教育講演、特別講演と面白き企画が目白押しだが、自分が座長を務める「緩和ケア、全人的医療」のセッションが気になる。丁度第一席で発表するG先生と言葉を交わすことができた。セッションは意見も活発に出て時間数分伸びたが終了した。写真はT医科大からの参加者。
懇親会では、島根の斎藤先生や熊本の田代先生や小松先生とも話しすることができた。

 
 
 
懇親会を途中で抜け、東京医大の大瀬戸、西山、福井、濱田先生たちと、会長お勧めの居酒屋に行った。海の幸は流石に新鮮で大盛だった。

 
 
ホテルに帰り、近くのラーメン屋に行った。今日は走ったし、座長も無事務めたからご褒美・・・。

2016年2月25日木曜日

慢性疼痛学会 in 佐賀

25日、朝からの手術の麻酔導入と手術終了前から覚醒・抜管の指導をし、その間病棟回診をした。午後から続きの回診をして病院を出たのが1445分になっていた。

インターネット検索では、新宿駅から湘南・新宿ラインで大崎に行き、そこから品川まで山手線で移動。品川から京急で快速羽田空港行に乗ると1538分に羽田空港国内線駅に着く。これでないと間に合わないことが分かった。いつものギリギリ駆け込みで飛行機には間に合った。しかし・・デジカメが無い?!

佐賀空港に着陸し、床に置いた手提げバッグから抜け出したのではないかと探し始めたら、後ろの席の方から「このカメラはお宅のカメラですか?」とカメラを渡してもらった。良かった・・・。

評議会会場に着いた時には、既に評議会は終了していた。会長招宴に出席した。佐藤会長と懇意にしておられると言う落語家の三遊亭竜楽師匠の古典落語の一席もあり、楽しかった。独協医大や、順天堂大学の先生たちと緩和ケア研修会の対策などについても情報交換をした。

2016年2月24日水曜日

水曜日は盛り沢山

24日、水曜日は盛りだくさんだ。手術室に「9時半までいて麻酔導入の指導などをし、病棟回診で二人ほど診る。11時半からは学生クルズス。サッカー部のU堀君とO村君がいるグループ。流石に最後の5年生グループだけあって、皆よく答えてくれた。

午後は緩和ケア外来の後病棟回診。16時から緩和ケアチームのカンファレンス。緩和ケアチームへのアンケートについて話し合いをしていたので一時間かかった。17時にユトレヒト大学からの留学生アレックスから電話あり。来週から緩和ケアの論文作成に取り掛かるので、打ち合わせ。論文の構想について説明する。丁度日本緩和医療学会で発表する内容をダブル部分があるので、面白い内容になりそうだ。

18時からの手術室運営会議と調整会議が済んだ頃には19時になっていた。

19時半にU堀君とO村君と三人で近くの居酒屋さんで夕食をとった。T医科大学サッカー部や東医体のことなどをいろいろ教えてもらった。

2016年2月23日火曜日

熊本城マラソン 完走したものの

21日、朝から晴れ渡り風は少し冷たいが絶好のマラソン日和だ。力うどんを食べ着替えて、スタート地点近くの上通りまで送ってもらった。アーケード街を歩いていると、ウォ-ミンッグアップ中の田嶋、一口先生に声をかけてもらった。「目標は6時間半以内での完走だよ・・・。」と謙虚に話した。(その通りになったが)
スタートDブロックは熊本市役所の横で、放送局のカメラのクルーが56階あたりに陣取っている。スタートして5分ほどでスタート地点を通過した。
招待選手のワイナイナ選手は最後尾からスタートしたようだが、3㎞付近では抜かれてしまった。正木弟さんから声をかけられた。2年前はしばらく並走できたが、今回はお先にどうぞ。


熊本市医師会では、女性スタッフがパネルを掲げて応援してくれた。
2014年にもらった熊本の幼稚園の園児たちが絵を描いてくれたウインドブレーカー(ポリ袋で作成)を着ていたら、実際にその時に指導しておられた方から話しかけられた。着ていただいている!と感激されていた。
9㎞地点には、ワイズの岩本さんご夫妻、水元さん、前田さんたちがエイドをしながら応援。昨年に引き続いてトイレを拝借した。




大橋を下ると、オレンジのてれっとウルトラマラソンクラブののぼりが見えた。田畑さんたちが応援してくれた!元気をもらう。




白藤の手前でサキソフォーンを演奏し応援してくれている方がおられた。





川尻を抜けて飽田、孫代のほうに向かうと、大漁旗が風を受けて翻っている。





熊本新港に出て西に向かうと強い向かい風。ウインドブレーカーが体温低下を防いでくれた。熊本西高の和太鼓クラブの演奏が気持ちを鼓舞してくれた。



ふくらはぎや太ももに違和感を感じ始めた頃、亀浦さんの奥さんに会う。「こぎゃんところで何ばしょうらすと?医療班ばしょうらすと?」「遅かけん、こぎゃんとこば走りようるたい」の会話あり。

34㎞付近で大先輩の出田先生と会った。先生は喜寿を迎えられる。3年ほど膝を故障しランから遠ざかっておられたが、再びチャレンジされたと言う。頭が下がる。
一番辛かったここから40㎞まで並走しながらおしゃべりをしていた。新町に入ってお知り合いの方々から声をかけられ引っかかっておられた。
熊本YMCA横の子ども文化会館前に、家人と娘母子が応援にしてくれていた。丁度近くの駐車場が空いて車をタイミングよく停めることができたと言う。
力をもらい、残り1㎞を歩かず走った。ゴール前の演奏も嬉しい。

ゴール、6時間30分(ネットで6時間25分)だった。予想通りだが、一か月後の種子島ロケットマラソンは制限時間は6時間だ。

娘に家まで送ってもらった。ゆっくり風呂に入り、皆で焼き肉をして完走を祝った。
1955の飛行機で羽田へ。ここから病院に行ってCacer Boardの準備や書類の整理をしていたら、最終電車の時間がとっくに過ぎてしまった。病院からタクシーで帰って爆睡していた。



2016年2月20日土曜日

熊本城マラソン前日

20日、午前中の回診を終え、羽田空港から熊本空港へ行った。家人が迎えに来てくれたので、そのままO崎さんの税理士事務所に行き、確定申告を済ませた。
熊本城マラソンの受付をしてウエストポーチを購入し、娘の家に行った。陽太はずい分体が締ってかっこよくなってきた。




丈二はハイハイが上手になってきている。未だムチムチの身体だが、お兄ちゃんにこなされているので逞しくなるだろう。
家に帰り、熟睡のための少量の?お湯割りを飲んで眠りについた。