2012年4月2日月曜日

4月2日年度初め

実質今日が平成24年度の初めの日。朝から走って通勤した。朝カンファレンスに行くと、なんと大勢!満員電車並みの人数だ。その理由は??この数週間は5年生のポリクリと6年生のスーパーポリクリが麻酔科研修をするから。そして新入医局員5名が加わったから。写真は今週麻酔科実習の学生さん。
朝からヨーロッパ出張のU野先生はスカイプを使って学生講義をしていた。現地時間は深夜のはずだが・・・その努力には頭が下がる。自分は夕方からこれでもかクルズスを担当。矢張り疲れて船をこいでいる学生さんが約〇名いたが、記念写真の時はすっきりした顔になっていた。それでこそT医の学生だ!
夜は新入医局員と、久しぶりに新宿に戻ってきた先生方とさつきで会食となった。マスターには値段の件でお世話になったので、焼酎・ワイン・つまみ??を持ちこんだ。
帰りはまだ午後10時前だったので走って帰った。

2012年4月1日日曜日

春の日差しに誘われて28Km

掃除洗濯をしてブランチ(レトルトカレー+自作の豆腐の味噌汁+7/11の野菜サラダ+自作のベーコンエッグ+納豆)を済ませた。風は少し冷たいが太陽が燦々と照っている。石神井公園に行こうと思った。近くに「ひかり」ちゃんも住んでいる。今度小学校入学式が4月6日?にあるのかな?
妙正寺川沿いに走りだし、緑道に出た。


井草駅をくぐり環状8号線沿いに谷原1丁目交差点に行った。陸橋で写真を撮り、石神井公園へ。




昨日の春一番から一転した天気で、家族連れが多く足漕ぎボートも何台も池に浮かび走っていた。
住所を頼りに「ひかり」ちゃんちに向かった。丁度お母さんと光が丘公園に遊びに行っているようで不在だったが、お父さん(みっちゃん)と会えた。ひかりちゃん一家は東京マラソンの時には皆で応援に駆け付けてくれた。
携帯のナビを頼りに光が丘公園に走った。光が丘公園とその周囲にある光が丘団地の大きいこと。びっくりした。公園を走り回っているひかりちゃん親子を探そうと思っていたが、広すぎて見つからないと直ぐに諦めがついた。そのまま家に走って帰ったが、走行距離は28km位だった。
台所を整理していたら、圧力鍋があった。玉ねぎ、ジャガイモ、ニンジン、牛肉、トマトと少量のにんにくをバターで炒めた。水を加えて沸騰させた。カレーのルーとチョコレートを少し加え、圧力釜で煮込んだ。ルーを入れるのが早すぎたと家人に呆れられたが、なかなかの味だった。これならレトルトカレーを買わなくてもマイカレーで十分だ。矢張り自分には料理のセンスがあるようだ(と自分を褒めた)。明日からはしばらく朝カレーが続く。
明日からの一週間はU野先生が外国出張で不在、新人のオリエンテーション、スーパーポリクリ学生さんの教育と忙しい。なでしこジャパン対米国の前半が済んだところで2回分の着替えと洗面道具、さつきにキープするマイ味噌を車に積み込み病院に向かった。これで今週は2回病院に泊まり込む準備ができた。気合が入ってきた。

2012年3月31日土曜日

柴田先生厚生労働大臣表彰祝賀会・柴田医院会員38周年記念感謝の集い

タクシーで鹿児島空港に行き、15時20分発東京行きを待った。東京地方は春一番で天候が悪いらしく、使用機が30分遅れた。羽田までのフライトも離陸着陸時にはかなり揺れた。特に羽田空港が混み合い、着陸を待たされたので空港に降り立ったのが17時40分を回っていた。京急羽田空港国内線駅にダッシュし、山手線に乗り継ぎ新宿駅へ。そこから京王プラザホテルに走った。到着が祝賀会開始の18時に50分も遅れたが、丁度最後の主賓挨拶が終わるところだった。
乾杯の前に鏡開きがあった。メンバーに名前を呼ばれた。良かった間に合った・・・隣には信州大学の岡〇先生が、恩師森岡先生は同じテーブルだった。熊大産婦人科関係の先生方や、東京医科大産婦人科の先生方とお話しする機会ができてよかった。




柴田先生人とのつながりを大切にするお人柄がよくわかる、多くのゲスト出演を交えた素晴らしい祝賀会だった。






スタッフの皆様の踊りや、息子さんのジャズバンドの演奏、先生ご夫妻のダンスなど、出席者を飽きさせない演出に感心した。
病院に戻り、手術室とICUに顔を出した。4月から熊本からT医科大に赴任する〇端先生や、息子さんが東京勤務になった大学時代の堤〇先輩に電話しているうちに23時を過ぎた。そろそろ帰って、来週の準備(スーパーポリクリなど)をしなければならない。

お義父さん安らかに

2月18日に86歳の誕生会をし、20日無事満86歳を迎えた義父が突然倒れ、2.5日後の3月29日に自宅で家族に看守られて人生の幕を閉じた。30日東京から長男一家と鹿児島へ。斎場に向かった。義父の若い時からの写真が飾ってあった。自分と並んで指宿の砂蒸しをしている時の写真もあった。家族葬との連絡だったが、近所の方々が大勢来られた。町内会長など地域でも活躍していたからだろう。ありがたく頭を垂れた。長いこと会っていなかった親戚とも会うことができた。義父が引き合わせてくれたと思う。T医科大麻酔科からも供花をいただいた。感謝。
ももちゃん、ひなちゃんは大勢人がいるのではしゃいだり、妙に緊張したりして神経質になっていたようだ。喪主の挨拶ではなく親族代表の挨拶になり、自分がすることになった。自分のほうが緊張している。通夜が済み、家人の実家に帰った。冷蔵庫に刺身とお弁当があった。冷蔵庫からビールを取り出し飲み始めた。自分が座る向かいにいつも義父が座っていた。ビールの次は芋焼酎のお湯割りだった。そうしているうちに風呂にも入らず寝てしまった。
31日10時から告別式となったので、斎場に向かった。式は仏式で行われた。司会の方が義妹の同級生?のようで、義父の人生を丁寧に紹介してくれた。弔電では2月18日に一緒にお祝いした姪からのメッセージが紹介された。孫たちから愛された義父だった。自分の挨拶は、簡潔にを心掛けたが、義母へのとりわけのご厚情を参列された方々にお願いした。
告別式が終わり出棺、火葬、納骨まで一緒にいた。家人に後を託し、長男一家と東京に戻った。写真は後で

2012年3月29日木曜日

医局送別会

今年度一杯でT医科大学麻酔科を対局される3名の先生方の送別会が近くの店であった。M尾先生は自分と同世代(もちろんお若い)で、新〇先生はお父様が自分と同郷、このお二人は麻酔科を形を変えて続けてくださる。吉〇先生は皮膚科の勉強をされるという。
大きな決心をされて飛び立たれる三名にエールを送りたい。
送別会の後、U野先生とさつきに寄った。新〇先生が後から来られた。さつきで一緒になり親しくなったT医科大学の先生方も多い。新任地に行かれる皆さんは明日まで勤務の方も多いだろう。明日明後日は急遽鹿児島に行くことになったが、日本のどこかできっとお会いすると思う。健康に留意されて頑張ってほしい。
写真は送別会の記念写真。

緩和ケアチームのお食事会

3月28日、4月から赴任されるS山先生の歓迎会を主目的で、T医科大学の緩和ケアチームの食事会があった。18時半開始だったが、手術室の安全会議や調整会議の日だったので遅れて参加した。
丁度S山先生と呼吸器外科の池〇先生の間に入ったが、テーブルの向かい側が看護師、薬剤師さんの女性陣でこっち側が男性医師4名になった。合コンのような錯覚になった。
S山先生の決意をお聞きしながら、大学病院のなかでの緩和ケア専従医の厳しさは自分が経験したものとはもっと厳しいものだろうと思った。自分には手術室やICUの役割があるので、これまでのように自分を必要としてくれる患者さんのもとに自分勝手な時間に訪問するだけになるだろう。
会食を終え、会場のあるホテルのロビーで記念撮影をした。
皆と別れ、さつきに向かって歩く自分がいた。

2012年3月27日火曜日

北〇先生の最後のコイル塞栓術

三〇町病院の日、脳外科の北〇先生は今月一杯で次の病院に転勤となった。自分と組む最後の手術は脳動脈瘤のコイル塞栓術。
いつもに増して気合が入っていたが、今日は北〇先生には病院の講演会の演者の仕事もあり、途中一時お色直し退席もあった。しかし指導医の伊〇先生の強力なバックアップがあり、無事終了。


麻酔からの覚醒も、患者さんが抜管した途端「よく眠っていて全然わからなかった・・・」とのお褒めのお言葉をいただくほど順調だった。
最後までお付き合いすると約束した自分は、新幹線の時間を変えて、無事午後10時過ぎに「さつき」に「到着し、無事夕食にありついた。
写真は気合の入ったカメラ目線の北〇先生とこの手術にかかわったスタッフ一同。