2011年4月30日土曜日

恩師ご夫妻に見送られる

朝8時5分のJALで東京へ。7時30分恩師M先生ご夫妻が空港まで見送りに来てくださった。医師になって32年間いつもご指導いただきまた見守ってくださった。家人とともに4名で記念写真を撮った。チェックゾーンを越えて中に入るまで見送ってくださった。そして・・・この部分は自分の胸にしまっておこう。飛行機に乗り涙をこらえた。
トランクが20㎏でパソコンを2台持っていたので、リムジンバスで西新宿へ、そこからタクシーで新居に向かった。
セコム、東京ガス、ヤマト運輸の対応で頭はいっぱいになった。インターネット接続で苦労した。みっちゃんに電話したら東京駅で今から家族ではとバスに乗るという。1時間コースなので済んだら来てくれる。が、着くまでに何とか接続した。
娘さんのひーちゃんも大きくなりますますかわいく賢くなっていた。4人で鷺宮駅近くの焼肉屋で夕食をとった。明日はみっちゃんと電化製品の購入に行くことになった。洗濯機、炊飯器、アイロン、ヘアドライヤーが必要だ。

2011年4月29日金曜日

実質最終日

朝からカンファレンスに参加し、研修医の麻酔導入を見た後、気合を入れて部屋の掃除に取りかかった。あたしい勤務先に送る5箱の荷物と、自宅倉庫に運ぶ荷物に分け、部屋はほとんど片付いた。
こんなにこの部屋が広かったのか?!と感心した。

手術室で昔一緒に働いた看護師さんたちから大きな花束が届いた。結婚して姓が変わった人たちは、旧姓で名前が記してあった。「ありがとう。皆さんは顔と名前と思い出が結びつくよ。」
手術室に行ったら、記念品で残す大きな冷蔵庫が届いていた。みんなと記念写真を写した。

この2年半の外来新患をチェックした。ホットラインで来院した救急車で来院したこの2年間の患者さんを今からチェックする。明日の朝になりそうだ。今日娘とひなちゃんが家に帰ってきているのに・・・

2011年4月27日水曜日

訪ねてきた後輩

 東京では熊本から送った段ボール25箱の整理を頑張った。あと7、8箱届くが、何処にしまえばよいのだろう。
 午前いろんな手続を済ませ、午後の飛行機で熊本に戻った。熊本は雨、寒かった。17時過ぎに後輩のS先生が訪ねてきた。彼が大学に入学して以来だから、34年来の付き合いになる。絶好調の時も、どん底の時も一緒に頑張った。今は新しい道に進んでいる。
「おめでとうございます」と言われた。この年にして新しい道を与えられた喜びがきっと祝福されるべきことなんだろう。「ありがとう、東京に遊びにおいでよ・・・」
 帰りにひなた」の所によって、KLCCの最〇さんに集まった募金を渡してから帰った。家人が家の片づけと自分の荷物を引っ越し便で送ってくれていた。頭が上がらない。すごい人だと思い、自分がこれまで全くお世話になってきたのだなと感じた。

2011年4月24日日曜日

臨床工学技士会学術大会

第18回熊本県臨床工学技士会学術大会で基調講演を行った。タイトルは「救命から看取りへ~医療従事者に求められること~」昨日の「挨拶」のパワーポイントに多くのスライドを加えた。ゆっくりと噛み砕くように話した。話しの中では、「(患者さん・家族に)寄り添う」という基本姿勢を何回も示した。
フルマラソンに例えるとお仕事は何キロ地点ですか?との質問があった。転勤しないのであれば30~35㎞地点と思うが、転勤するので折り返し地点でしょうと答えた。また麻酔科医師にとって臨床工学技士はどのような職種ですか?の問いには、頼りになるパートナーであることを強調し、そのためにはお互いの専門性の向上に絶えず努力することが大切であることを話した。
これから、部屋の片づけに着手し、17時過ぎには娘とひなちゃんに会いに行く。今日午前中は教会礼拝に行き、イースター愛餐会に出席した。夜は教会役員の皆さんが、送別会を企画してくださっているので参加する。
帰ったら荷物の整理が待っている。

おめでた続き

4月23日昨夜から陣痛が始まった娘が、婿のU太君とF病院に行った。自分は部屋の片づけと講演準備で病院に行き、家人がF病院に行った。昼過ぎ家人に電話を入れた。「今、オギャーと泣き声がしたよ!たった今生まれたよ!」の返事。急いで着替えてF病院に行った。
U太君が分娩室から出てきた。一晩中娘を励まし続けてくれた。ありがとう。分娩後の処置の後、部屋に案内された。娘は目を真っ赤にしていた。横には「陽太(ひなた)」ちゃんが目を開けていた。隣にいるのが、君のお母さんだよ。そしてずっと励まし続けてくれたのがお父さんだよ。
二人目の孫が授かり感謝。
病院に戻り再び片付け。結局25箱段ボールを送った。
KKRホテルでの祝賀会に向かった。116名の熊大麻酔科関係の皆様と医師会関係の皆様にご参加いただいた。自分と家人が真ん中に座っての記念写真では、ずっと緊張していた。Y教授のご挨拶は、昨日から種子島に講演で行かれたこと、そこでは自分の親戚や知り合いの方々とお話しできたこと・・・などで、和やかな雰囲気になった。恩師のM先生、T先生、K先生からは心温まる応援エールをいただいた。KA熊本市医師会副会長発声の乾杯の後、皆さんと少しずつお話ができた。自分の挨拶は、これまでの仕事をパワーポイントで紹介しながら、皆さんに支えられてこれまでやってこれたことに感謝を申し上げた。
思い返せば、全てに家族の理解と支えがあった。
H先生やMI先生のテーブルスピーチは、それぞれ職場や仕事以外のことにも言及していただいた。4月23日は陽太ちゃんのお誕生日だし、忘れられない日となった。写真は後で。

2011年4月23日土曜日

引っ越し

あと8日で引っ越しを済ませねばならないのに、病院の部屋は散乱している。22日はノーマイカーデイを忘れて部屋の片付けに集中した。段ボール20箱を目標としたが、どうやら超えそうだ。
夜は神戸からS先生をお招きして、Cancer Pain Forumを開催した。我われとは変わった切り口のお話で興味深く拝聴した。
世話人会主催の懇親会を終え病院へ。明日は東京へ段ボール20箱以上送ることになる。

2011年4月18日月曜日

阿蘇カルデラ前半戦練習会

5時23分龍田口発の電車は、この日の練習会に参加する人で賑わっていた。U/Yさんの話を聞きながら、睡眠時間が4時間あったかな?と考えていた。
6時40分立野駅を出発しスタート地点の旧長陽村ヴィーナスへ約5㎞のウオームアップ。7時半スタート。22㎞地点まではキロ6分ペースを守りたいが、そうはいかない。風が強く寒いので、ポリ袋をかぶってのラン。清栄山続きの黒岩峠頂上まで3時間15分、30㎞地点まで3時間45分かかった。ここまでは本番での関門時間はクリアした。
赤羽根(土地の名前)から峠を越えではだらだらとした上り坂が続くが、ここで約1㎞のワープ。いつの間にか後ろを走っていたメンバーがリタイアして、自分が最後尾になっていたようだ。自分の前にいたMさんとしばらく走った。そして4㎞程の急なくだり。下り切った所が40㎞地点で、後はほぼ平坦または下りでゴールの瑠璃温泉に13時20分ごろ到着した。合計52.1㎞だった。
今回も、エイド担当のO/K/T/H/Kさんたちには大変お世話になった。食べて走る訓練も兼ねており、その目的は100%以上達成した。東京ではアップダウンのあるコースを見つけられるのかな?と心配している。月間走行距離は短いが、こまめに花岡山や金峰山に走っているので、何とか走れたのだろう。