2016年10月9日日曜日

産業医研修会と後輩の結婚式

9日、産業医研修会2日目。ますます気合が入ってきたが、今日は午後から公開の結婚式に参加するので午前中のみの受講になった。お弁当はももやにお土産で持って行く。
南北線で白金台に行き、結婚式披露宴会場のアートグレイスクラブに歩いた。早く着いたので、トイレで着替えた。受付を済ませ、結婚式にも参加させてもらった。牧師さんの司式で讃美歌は312番「いつくしみ深き」、聖句はコリントへの信徒への手紙1の13章4-7節。新郎のN尾先生はだいぶ緊張していたが、新婦O野(旧姓)先生のご両親にハグされたころからリラックスしたようだった。
会場の庭で記念写真など撮った後、披露宴会場に入った。





Uの先生の話は格調高く、両人の紹介から始まり医療人としての心得まで医師の琴線に触れる話をしていただいた。
O原先生の乾杯は元気よく、両人が希望にあふれた将来を切り開いていこうという気持ちを鼓舞する?挨拶もあった。
両人の同級生は多く、二人はムードメーカーなのでかなり盛り上がっていた。
披露宴ではN尾先生と旧姓O野先生から参加者、ご両親へのお礼の言葉があったが、このところ涙腺が弱くなった自分は、うっすら涙を浮かべていた。
写真はあとで

2016年10月8日土曜日

産業医研修会一日目

 

8日、今日から日本医科大学で産業医研修会3日間受講。明日は午後から後輩の結婚式なので正確には2日半。

亀戸は升本のお弁当。いつもは講義をする立場だが、今日からは真剣に受講。
 
帰って、善福寺公園コース8㎞を走り、ご褒美で「久」で夕食。持ち込みの芋焼酎「加世田郷」はなかなか美味しかった。

2016年10月6日木曜日

ワールドカップ最終予選対イラク戦

6日、ワールドカップアジア最終予選で山口蛍選手の決勝点で辛くも勝つ!




お祝いに南魚沼産コシヒカリの新米、叔母から送ってもらったカマスの干物で夕食。

2016年10月5日水曜日

学生講義3年生、5年生

5日、9時から3年生に緩和ケア・緩和医療の講義。最初が肝心なので、居眠り学生には厳しく対処。講義をする教育棟からT医科大の新病院建設工事現場が見えた。




続いて5年生へのクルズス。3年生と比べる訳ではないが反応は全く違う。このグループは非常にフレンドリーで双方向少人数講義が良くできた。
 

2016年10月4日火曜日

新幹線では

4日、手術が予定より2時間早く終了。最終新幹線に座席指定を切り替えていたので二半亭へ。





写真の二品に加えてあと二品食べてキープを飲んだ。新幹線の中では、明日のパワーポイントをチェック後は爆睡していた。
 

2016年10月2日日曜日

第4回東京都緩和医療研究会

2日、昨日の(今日の)午前様をもろともせず、733分発の飛行機で東京へ。そのまま清瀬の明治薬科大学に行き、第4回東京都緩和医療研究会に参加した。丁度市民公開講座の救世軍清瀬病院の島田先生が、「わたし達はどんな死に方をしたいのか?」のタイトルで話をされた。重いテーマだが、避けては通れない。

午後からは講演やシンポジウム、ポスターセッションと大忙し。昨日のアルコールは既に揮発していたようだ。写真は加賀谷会長。

帰りは清瀬駅まで歩いた。くたびれた・・・。
 

2016年10月1日土曜日

熊本大学医学部サッカー部幹部交代コンパ・熊本地震を振り返る会

101日、熊大医学部サッカー部の幹部交代コンパ・熊本地震を振り返る会に参加のために熊本へ。1645分から熊本大学医学部の図書館棟で第4回熊本ドクターズ(熊大医学部サッカー部OB会で、マネージャーとして活躍頂いたOGも含む)学術講演会で話しをすることになっていた。

若手の河野和先生が「骨髄腫専門医:サッカー部、入局、留学を経て」のタイトルで、次に自分が「がん医療を支える緩和ケア」と題して講演した。サッカー部の現役全員と10数名のOBたちが参加してくれた。OBを交えた紅白戦の後にも関わらず、熱心に聴いてくれた。
19時からメルパルクで幹部交代コンパ・熊本地震を振り返る会に参加。元部長の西先生、第2代熊本ドクターズ会長尾方先生、第3代会長の高野先生、初代会長故後藤賢治先生の奥様も参加くださり、2次会からの参加を含めると約90名の盛会になった。

自分はこの4月から第4代会長になったので、挨拶と乾杯の音頭を取らせていただいた。

長年にわたり後藤グラウンドを使用させていただき熊本地震復興九山サッカーカップにも多大な貢献をいただいた後藤美代子様には学生から記念の写真が送られたが、奥様の方から今後もグラウンドを使用していただけるようにしたいとの温かいお言葉をいただいた。今後の使用や管理についてはドクターズ内にワーキングチームを作り検討していく。

このような充実したOB会になるまでには多くの困難があった。歴代の会長や事務幹事を中心に、多くのOBが役職を引き受け貢献してくれた。現役は熊本地震後の休校の間、ボランティアとして汗を流し、4月末からの連休に計画されていた九州山口大会が中止になったことを受け、学生自らが計画を立て、リーグ戦を2会場でと決勝トーナメントでは後藤グラウンドをお借りして立派に九山サッカーカップを成し遂げた。

全てが熊大医学部サッカー部と熊本ドクターズの誇りであり財産になった。
2次会にも多くのOBが駆けつけてくれた。自分は現役二人を連れて3次会まで行ったが、ちゃんと家に帰っていた。