2015年8月14日金曜日

帰省鹿児島へ

14日早朝は流星群を観ようと思っていたが、ぐっすり眠ってしまい観損なってしまった。7時過ぎには西之表教会の墓にお参りし、三度我が家の墓参りに行き途中で買った萩を花筒に足した。写真は教会の墓。

我が家の墓がある雲之城はほとんどの墓が綺麗に掃除されており新しい花が飾ってあった。写真は雲之城の墓。
西の屋の絨毯などの敷物を剥がし大掃除、絨毯は20年以上敷きっぱなしなのでゴミ出しに出すことにして倉庫に運んだ。
1120分には種子島空港に着いた。種子島空港は帰省客で込み合っていた。




ここには宇宙航空研究開発機構のコスモポートギャラリーがあり、日本の宇宙開発に関する資料などが展示されている。



空港にあるレストラン「柿の木」で昼食。ここのトマトラーメンは細麺で荻窪のトマトラーメンに比べ随分あっさりしている。



家人は安納芋味噌ラーメン?を食べていたが、結構美味しいと言っていた。




種子島鹿児島間は雲の切れ間もなく、また桜島も全く見えなかった。




90歳になる叔母が入所している施設を訪問し、久々に1時間ほど話しをした。
市電で谷山に行った。鹿児島市電は軌道敷に緑の芝生が敷き詰められており涼しげだ。

88歳の義母が入院している有床診療所にお見舞いに行き、お墓参りもした。義理の叔母からお盆の料理、煮しめなどをいただき、新幹線で熊本に帰った。
本日は、種子島→鹿児島→熊本の旅となった。

2015年8月13日木曜日

帰省種子島2

13日今回の種子島帰省ではレンタカーを借りておらず、全て徒歩での移動。朝は西之表中心部にある店でできたてのパンを買い朝食を済ませた。
明朗幼稚園の裏にある、I田先生の庵を訪ねた。あいにくご不在だったが、幼稚園の中を通っている時にお会いできた。SOKOですよと、庵のことを話してくださった。



サンシードで花を買い、墓に行って花瓶に飾った。墓の敷地は落ち葉に埋もれていたので持って行った燃えるゴミ袋4袋分の落ち葉をかき集めた。
自分の世代までは種子島の墓参りに来るが、次はどうなるのだろうか?と思った。

甲女川沿いにダイワ(スーパー)に行ったが目的の庭箒はなかった。
川沿いに並んで立つ棕櫚(しゅろ)。
 
昼食に風車に寄った。お客が多く、注文取りにも水を出してもらうにも時間がかかった。うな丼を頼んだが、肉が厚く今まで食べた中で一番おいしかったかもしれない。種子島は天然ウナギでは有名らしい。
風通しの良い部屋のベッドで「火花」を読みながら昼寝をしていた。これこそバカンスだと思った。庭に咲くハイビスカス。


夕方叔母と叔父の家を訪ねて挨拶。夕食は和という和食の店に行き、叔父と従弟二人を交えて5人で会食した。ここはセット料金で一人2700円(飲み物別)、東京であれば1万円以上のコース料理と同等と思う。自分でも食べきるのに大変だったから、料理の数とボリュームは皆びっくりするだろう。写真は刺身盛り合わせ。
生ビールジョッキ5杯にウーロン茶3杯、それに焼酎の五合瓶2本キープして合計21180円なので、破格の値段と思った。話しはお墓のこと、叔父が道を間違え車ごと海に飛び込んだが無事助かった話しなど、結構盛り上がった。結構ほろ酔いで、帰りはタクシーに乗った。この日の歩数は18000歩を超えていた。
 

2015年8月12日水曜日

帰省種子島1

12日は5時半起床し、キャリーバッグに荷物を詰めて6時半に家を出た。ゴミ出しを済ませ643分荻窪発の総武線各駅停車に乗った。山手線、京急を乗り継ぎ羽田空港国内線ターミナルに751分に到着。搭乗口には出発15分前に着いた。

朝早いので空港まだ混んでいない。随分前に確保した座席は左の窓側で主翼の少し後ろだった。富士山を写したかったが、丁度真下か反対側にあったか、あるいは雲に隠れていたようだ。代わりに南アルプスを写すことができた。


鹿児島空港で家人と待ち合わせだ。ひと月半ぶりに会った。孫の世話で忙しかったようだ。鹿児島空港は土砂降りだった。一休みして、種子島行の飛行機に乗った。何年も前から就航しているようだが、飛行機は80人乗りのプロペラ機で、以前に比べ随分大きくなった気がする。搭乗したものの、乗り継ぎの飛行機が遅れたようで随分遅れて離陸した。

馬毛島上空にくると雲が切れ始めた。あるデベロッパーが自衛隊のFCLP(Field craft landing practice)の訓練基地に売れることを期待して造った十字の滑走路が島を切り裂いている。しかし未だ売れてはいないし地元の反対も根強い。


空港に着いてタクシーでライオンズクラブの例会場に向かった。着いた時、幼馴染のA知さんが出てきた。先ほど例会は終わったようだ。会場には、T会長、I財務長と従弟のE本さんが待っておられた。準備いただいた昼食を食べ、財務や最近の活動の説明をお聞きした。

家に着いたら大掃除が始まる。今年は梅雨が長くかび臭い。サンルームには外から蔦が伸びて来ていた。




ガスが付かなかったが、外壁の工事をしてもらった際の配線が途絶えていたようでガス会社に電話して直してもらった。自宅雑木林のバナナ。

夜は幼馴染の平〇さんや〇省さんと会食。楽しい時を過ごした。

2015年8月11日火曜日

回診と飲み会

明日から種子島、鹿児島、熊本に帰省する。新潟から戻り、緩和ケアチームで診ている患者さんたちの回診をした。日頃自分に負担がかからないようにと専従の緩和ケア認定看護師さんたちがみてくれている患者さんも回診したので15名位になった。数名の患者さんには立山や黒部ダムの写真を見せて話しをした。2時間半ほどかかったが、皆さん喜んでくださったので良かった。月曜日にはまたお会いするが、良い時間を過ごして欲しい。
ICUスタッフ、研修医で飲み会をするということで、近くの居酒屋に行った。きれいな店で料理もお酒も美味しかった。「焼酎の一升瓶をキープできますか?」と尋ねたら、丁寧に断られた。普通そうだなと思った。
帰りはS根先生とタクシーに乗った。中野坂上、新中野を過ぎたが降りようとしない。S根先生は「こんな時じゃないと先生とゆっくりおしゃべりできませんから・・・」と言ってくれたが、自分がちゃんと家に帰ることを見届けたいようだ。優しい後輩だなと思った。

2015年8月9日日曜日

黒部ダム

8日駅の観光案内パンフレットに富山の黒部ダムの紹介があった。富山に入ったことがない。今日は勉強の日だが、リサーチして日帰りできそうなら行けないかな?と思った。
9543分荻窪を出発し東京駅628分発「はくたか551号」に乗り込んだ。あいにく3人掛けの真ん中の席だが、真ん中の席は両脇よりやや広い。
駅で買った「鮭はらこ弁当」が朝ごはんだ。





9時に黒部宇奈月温泉駅に到着し、直ぐ近くにある富山地方鉄道本線の新黒部駅から特急アルペン4号に乗り継いだ。展望車に乗って立山駅に向かう。立山連峰は、霞がかかって良く見えない。

立山駅に近づくにつれ、車窓にきれいな景色が飛び込んでくる。






立山駅からは、ケーブルカー、立山高原バス、ロープ―ウェイ、トロリーバス、ケーブルカーを乗り継いて黒部湖駅に行く。定時の時間では乗り継ぎに50分待ちもあったが、臨時バスなどもありスムーズに進めた。
高山植物や滝や杉の巨木などが目を楽しませる。





立山トンネルトロリーバスの発着点の室堂や大観峰は、寒くてパーカーを持って来るのだった・・・と反省した。




黒部湖駅から黒部第4ダムを渡り展望所に歩く。陽射しは強いが涼しい。さすがにこれまで見たダムで一番大きい。展望所の横にあった展示場でダム建設の記録の展示や関係者の証言の記録映画が上映されていた。


ダムから放水で虹がかかっていた。







展望所のレストランは込み合っており、ゆっくり食べる状況でなかったので、野沢菜のおやきとカレー棒を買って昼食にした

ダムの横には記念のモニュメントがあった。







帰りは立山駅から1725分発各駅停車の富山地方鉄道で電鉄富山駅に行った。帰りの新幹線に少し時間があるので「富山ブラックラーメン」を食べた。これは労働者の塩分補給のために醤油を濃くして黒ゴマをたっぷり入れたので黒いスープになったようだ。美味しいが、しょっちゅう食べるラーメンではない。お土産屋さんに北陸新幹線開通祝いのタオルがあったので、10月の日韓医師蹴球親善交流のお土産用に30枚買った。
荻窪駅には22時前には着いたが、富山地方鉄道や新幹線の中では爆睡状態だった。
黒部立山へは、23泊の旅行計画をした方が良い。今日の弾丸旅行は次回のリサーチということにしよう。

2015年8月3日月曜日

第26回アジア地域大会

82日聖日礼拝での兼松牧師のメッセージは、1969年人類で初めて月面に降りたアームストロング船長の帰還後にインタビューを受けた時の話しを紹介され、私たちは子どもたちに愛と勇気と希望を与える働きをしているのだろうかと呼びかけられた。その話しとは、月面に降りる時あなたは怖くなかったのですか?との質問に対して、「私は子どもの時YMCAのキャンプで愛と勇気と希望、冒険を学んだので怖くなかった」と答えたという有名な話だ。

午前中、国際書記の報告、各分科会からの報告のあと、全世界から集まった48名の若者たちAYC(Asia Youth Convocation)の報告があった。AYCの今後の活動の柱として3つのKey Pointsを示した、WarEnvironmental Issue, Cultural differenceを挙げ、□+me=Peace のために話し合いを継続し、来年2月初めには報告をまとめると発表した。写真は参加した国際議員の皆さん。
次回の台湾での国際大会や、シンガポールでのアジア大会のアピールがあり、閉会式になった。写真は次期国際大会のアピール。
閉会式は感動的になる。実行委員長の挨拶には、数年来の準備にかけた思いや支えてくれた仲間たちへの感謝に溢れている。
ホテルのシャトルバスで京都駅に行き、新幹線で帰った。中で東海道新幹線弁当を食べた。帰宅後、クリーニング出し、買い物、洗濯、夕食準備をした。生もの宅配を受け取り病院へ。デスクワークや患者さんのカルテチェックをして帰りは12時が過ぎていた。

2015年8月1日土曜日

第26回アジア地域大会2日目

81日早天礼拝(Morning Service)に出席。兼松牧師のメッセージは「子どものような素直な心になって(YMCAY’s Men’s Clubで)学ぶことができていますか?」



北九州クラブの宮川さんの本を見せてもらった。本のタイトルは「幸せになっていいんだよ 感謝とゆるしの扉を開けて」という。仏教、神道、キリスト教の教えと相通じる心を穏やかにして素直に変わることを後押しする18の短編エッセイがあった。「菩薩行・陰徳・恩送り」という究極の愛の心や「六根清浄の大祓」などの言葉が飛び込んできた。早速購入し休息時間に読み始めた。

分科会では地域奉仕とロールバックマラリアに参加した。東日本大震災後のYMCAとワイズメンズクラブの働き、国連が呼びかけるロールバックマラリア(マラリア罹患から人々を守るためにワイズメンズクラブがマラリアが流行っている地域の人たちに蚊帳を贈る運動をしている)などの報告があった。

午後のエクスカーションには、京都岡崎ぶらり散策に参加した。南禅寺、東山動物園、平安神宮を歩いて回ったが、暑くて汗が噴き出して来た。この日の京都は38.5℃まで気温が上がったようだ。ご一緒した北九州クラブのおふたりと、大野さん。

京都パレスクラブの大野さんはラオスの名誉領事でラオスからアジアゾウ4頭を寄贈受けた時の功労者のようだ。「動物園に行って象を是非観るように」と言われた。4頭の象が気持ちよさそうに水浴びをしていた。
Asia会長ナイトでは多くの表彰があったが直前九州部長の亀浦さんがエルマークロー賞(最も活躍した部長が表彰)を受賞した。おめでとう!!
二次会で西クラブ(東京、京都、大阪、神戸、熊本にあるWEST、にし、西が名前に付く)の集まりに参加させてもらった。メンバーの一人が経営している京都風居酒屋で、いつの間にか日本酒タイムになっていた。