2019年1月18日金曜日
2016年5月30日月曜日
2016年3月5日土曜日
診断時からの緩和ケア
5日、日本緩和医療学会が主催する「診断時からの緩和ケア」に関する講演会とパネルディスカッションが新宿で開催された。2012年のがん対策推進基本計画における重点的に取り組むべき課題で「がんと診断された時からの緩和ケアの推進」が、なかなか浸透していない。がん患者さんの団体代表の方も二人参加されて熱い討論もあった。
細川日本緩和医療学会理事長が言われていた、「このような会を開催しても、参加される方々は緩和ケアに理解のある方がほとんどで、是非参加して学んでほしい方の参加が得られていない」はその通りと思った。
細川日本緩和医療学会理事長が言われていた、「このような会を開催しても、参加される方々は緩和ケアに理解のある方がほとんどで、是非参加して学んでほしい方の参加が得られていない」はその通りと思った。
2016年2月18日木曜日
グローバルヘルス緩和ケア研究会
18日、国立国際医療研究センターで開催されたグローバルヘルス緩和ケア研究会で、「緩和ケアは『がん治療』を支える」と題した講演をさせていただいた。熊本大学時代の呼吸不全患者の救命に従事していたころの写真や、熊本地域医療センター時代の緩和ケア病棟での写真を提示した。がんの軌跡の図を示し、どの時期にはどのような緩和ケア・医療が必要になるのかなどを聴衆の皆さんと考えた。2月2日の多職種によるグループワークを紹介し、このような取り組みが盛んにおこなわれている現状を示した。会場にはの熊本時代の後輩(教え子?)も来てくれた。楽しい学びの時となった。呼んでくださった徳原先生、座長の木下先生に感謝。
終了後、越川病院の遠藤先生、K屋MSW,自分と、S森看護師と食事に行った。ここでも、緩和ケアの話しに花が咲いた。
写真は後で
終了後、越川病院の遠藤先生、K屋MSW,自分と、S森看護師と食事に行った。ここでも、緩和ケアの話しに花が咲いた。
写真は後で
2016年2月9日火曜日
市瀬先生講義
9日、7:30からMGHの市瀬先生の特別講演が麻酔科朝カンファレンスで行われた。学生時代の思い出から始まり、麻酔科入局から故森田先生の勧めでMGHに裏入学した?ことをイントロダクションとして、Zapol先生やBloch先生と行った優れたメンター(指導者)との出会い。全てが上手くいくわけではない研究の面白さなどを、自身の研究成果を交えながらお話し下さった。
研究教育をしない麻酔科医は〇〇のようだ。という厳しい指摘や、ご自身がマラソンをされることを紹介し、[Pain is inevitable, suffering is optional :きついのは仕方はないが、ああもう駄目だとあきらめるかどうかはあなた次第」という言葉を紹介して下さった。写真は感謝状贈呈と講義を聴きに来られた皆さんとの記念写真。麻酔科の半数は導入準備のために手術室に行ってlここにはいないが。2015年5月26日火曜日
院内研修会
26日、緩和医療部が企画担当になった院内研修会に、N医科大学武蔵小杉病院の勝〇先生をお呼びして「オンコロジストに必要なスキルとは?-がん治療医が考える緩和ケアの実践ー」のタイトルでご講演をいただいた。
日本はもとより世界を舞台にご活躍の先生で、本当に患者さんが望んでいることを受け止めているのか、分かりやすく患者さんへ説明することの大切さ、どこまで抗がん化学療法を続けるべきなのか、など多くのデーターをもとにお話しくださった。
患者さんに治療戦略を説明する時に、最初から緩和医療を入れておくことは進行や再発の時に患者さんや家族を支えてくれる。質問も多く、参加者の理解は深まったと思う。
さて、会が終了して病院近くの料亭に二人で行き夕食をしながらさらに交流を深めることができた。二人の共通項として、鹿児島、フルマラソンが出てきたが、フルマラソンの自己最高記録は自分より30分以上早いことが分かった。やはり勝〇先生は、ただ者ではない・・・。写真は青梅街道の歩道で撮った自撮り「かっちゃんとたーさん」
日本はもとより世界を舞台にご活躍の先生で、本当に患者さんが望んでいることを受け止めているのか、分かりやすく患者さんへ説明することの大切さ、どこまで抗がん化学療法を続けるべきなのか、など多くのデーターをもとにお話しくださった。
患者さんに治療戦略を説明する時に、最初から緩和医療を入れておくことは進行や再発の時に患者さんや家族を支えてくれる。質問も多く、参加者の理解は深まったと思う。
さて、会が終了して病院近くの料亭に二人で行き夕食をしながらさらに交流を深めることができた。二人の共通項として、鹿児島、フルマラソンが出てきたが、フルマラソンの自己最高記録は自分より30分以上早いことが分かった。やはり勝〇先生は、ただ者ではない・・・。写真は青梅街道の歩道で撮った自撮り「かっちゃんとたーさん」
2015年1月23日金曜日
松波総合病院での講演
23日、岐阜の松波総合病院緩和ケア研修会で講義をした。ペインクリニック科・リハビリテーション科部長の松波先生がT医科大学のご出身で麻酔科の同門で講演の依頼をいただいた。テーマは「切れ目のない緩和ケアのために」、症状コントロールや事例紹介の内容ではないが、区西部緩和ケア推進運営会議や新宿区の在宅医療体制強化の取り組みについてもお話しし地域の中核病院ががん診療拠点病院から在宅へつなぐ大切な役割を果たすことを強調した。参加してくださった皆さんは熱心に聴いて下さり、また講演後の質問も面白くためになった。緩和ケア委員会委員長の春日井先生は、呼吸器外科の先生で講演会の後の食事会で話が弾んで良い時を過ごすことができた。写真は講演終了後に緩和ケアチームの皆さんと。
翌朝東京に戻ったが、岐阜駅の前に黄金に輝く織田信長像が建っていた。流石に岐阜だ。
2015年1月13日火曜日
ササコカイヤ先生の特別講義
13日、今朝は7時15分集合。ササコカイヤ先生が大阪で開催されるiPS学会にスウェーデンから参加される途中、T医科大麻酔科での特別講義を引き受けて下さった。U野先生が留学時代机を並べて研究しておられたと言う。
Stem cell-based therapies for ischemic stroke と題して、Stem cellを用いて脳卒中で障害された脳神経細胞の再生医療についてわかりやすく話しして下さった。脳神経細胞は多くの機能を有しており、研究が進むにつれいろいろな問題が出てくるようだ。
写真は感謝状の贈呈
Stem cell-based therapies for ischemic stroke と題して、Stem cellを用いて脳卒中で障害された脳神経細胞の再生医療についてわかりやすく話しして下さった。脳神経細胞は多くの機能を有しており、研究が進むにつれいろいろな問題が出てくるようだ。
写真は感謝状の贈呈
2014年12月12日金曜日
Cancer Pain Management Seminor in Tokyo
12日Y.F. の主催で開催されるCancer Pain Management Seminor in Tokyoが開催された。大坂巌先生をお招きし、新しいがん性痛治療薬の講演会で、座長を務めさせていただいた。質問や、質問の交通整理をして会を盛り上げなければならないので、しっかり勉強して行った。
オピオイド特有の副作用(消化器症状)が少ないので、オピオイドナイーブ(オピオイドを初めて使う患者さん)やオピオイド不耐症?の患者さんへの使用が期待できる。質問される皆さんや、答えられる大坂先生の真剣な討論を引き出し大役を果たした。
情報交換会での料理が美味しかったが、中野南台にある仕出し屋さんに頼んだそうだ。
オピオイド特有の副作用(消化器症状)が少ないので、オピオイドナイーブ(オピオイドを初めて使う患者さん)やオピオイド不耐症?の患者さんへの使用が期待できる。質問される皆さんや、答えられる大坂先生の真剣な討論を引き出し大役を果たした。
情報交換会での料理が美味しかったが、中野南台にある仕出し屋さんに頼んだそうだ。
2012年2月17日金曜日
鹿屋での講演会
去年の2月に大隅半島の高山で開業する南〇先生から電話をいただいた。1年後の2月16日に鹿屋市医師会館で開催する学術講演会で話をするようにとの依頼だった。当然ながら喜んで受けた。2月19日は第一回熊本城マラソンが開催されうことになったので、丁度良かった。
種子島から鹿児島空港に降り、大荷物を持ってタクシーで家人の実家に向かった。タクシーは納車されて4日目の新車らしく、運転手さんも長距離のお客さんなので喜んでいた。45分後にピックアップをお願いして一張羅のスーツと勝負ネクタイで身を包んだ。鹿屋には鴨池・垂水フェリーを利用した。普通なら乗船後は甲板に出て景色でも眺めるのだが、風が強く寒いので車内で本を読んでいた。垂水・鹿屋間はバイパスもできて快適なドライブだった。途中鹿屋医療センター(以前は県立鹿屋病院)に寄った。座長を受けて下さった原〇先生はここの副院長。広大な敷地で健康増進センターも併設していた。
1時間以上前に会場の鹿屋医師会館に着いた。医師会の学術委員を務められる南〇先生が早めに来られた。いろいろお話をしていたら、鹿屋星塚敬愛園の後〇院長先生が来られた。自分の母親が同園に勤務していた昭和16年から23年の記録があったことや、その頃ハンセン氏病の患者さんへの治験をしていたこと、患者さんからは優しい先生と慕われていたことを伺うことができた。感謝。
講演会には85名の医療従事者が参加して下さった。講演はこれまでやってきた自分の仕事を紹介する内容で、あまり学術的ではないが、分かりやすくて面白かったと評判は良かったようだ。質問もいくつか受けることができたし、大学6年の時に夏休みに研修させていただいた今〇病院の当時非常に若かった看護師さんと会うこともできた。
講演終了後場所を移し、熊本大学と鶴丸高校の同窓の先生方と懇親の席を開いていただいた。昭和44年熊大卒の隈〇先生はお世話になった加〇先生や親戚の池〇先生の同級生、自分の同級の南〇先生、坂〇先生、新〇先生、熊本で一緒に仕事をした諸〇先生など話に花が咲き、記念写真を沢山写した。二次会三次会ではほとんど芋焼酎のお湯割りを飲んでいた。
写真は講演会後の懇親会で。
種子島から鹿児島空港に降り、大荷物を持ってタクシーで家人の実家に向かった。タクシーは納車されて4日目の新車らしく、運転手さんも長距離のお客さんなので喜んでいた。45分後にピックアップをお願いして一張羅のスーツと勝負ネクタイで身を包んだ。鹿屋には鴨池・垂水フェリーを利用した。普通なら乗船後は甲板に出て景色でも眺めるのだが、風が強く寒いので車内で本を読んでいた。垂水・鹿屋間はバイパスもできて快適なドライブだった。途中鹿屋医療センター(以前は県立鹿屋病院)に寄った。座長を受けて下さった原〇先生はここの副院長。広大な敷地で健康増進センターも併設していた。
1時間以上前に会場の鹿屋医師会館に着いた。医師会の学術委員を務められる南〇先生が早めに来られた。いろいろお話をしていたら、鹿屋星塚敬愛園の後〇院長先生が来られた。自分の母親が同園に勤務していた昭和16年から23年の記録があったことや、その頃ハンセン氏病の患者さんへの治験をしていたこと、患者さんからは優しい先生と慕われていたことを伺うことができた。感謝。
講演会には85名の医療従事者が参加して下さった。講演はこれまでやってきた自分の仕事を紹介する内容で、あまり学術的ではないが、分かりやすくて面白かったと評判は良かったようだ。質問もいくつか受けることができたし、大学6年の時に夏休みに研修させていただいた今〇病院の当時非常に若かった看護師さんと会うこともできた。
講演終了後場所を移し、熊本大学と鶴丸高校の同窓の先生方と懇親の席を開いていただいた。昭和44年熊大卒の隈〇先生はお世話になった加〇先生や親戚の池〇先生の同級生、自分の同級の南〇先生、坂〇先生、新〇先生、熊本で一緒に仕事をした諸〇先生など話に花が咲き、記念写真を沢山写した。二次会三次会ではほとんど芋焼酎のお湯割りを飲んでいた。
写真は講演会後の懇親会で。
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