叔母の家にお昼ご飯を招待されていたので訪問した。息子さん(従弟)が昨年夏に退職後帰郷し同居するようになったという。たまたま娘さん(従妹)も今日の高速艇で種子島に来ておられたので、懐かしい話しができた。
従妹に車で送ってもらい、サムズで買い物した後東建設にいった。昨夜のライオンズの例会で家の修理について相談していた。早速家を見に来てくれた。材料が入手でき次第、修理に取り掛かってもらえるようだ。3月中には安心して泊まれる家にリフォームできそうだ。
行く途中にある東町の玉川招魂碑に寄った。自分の曽祖父である田上権蔵をはじめ種子島の青年386名が1875年の西南戦争に参加した。戊辰戦争に参加していなかった種子島の若者はこの戦争では常に弾除けにされていたと言う話しを聞いたことがある。記録によると西南戦争で命を落とした108名を慰めようと1880年招魂碑が建立されている。
夕食は従弟や友人たちとホテルニュー種子島で豚肉しゃぶしゃぶの食べ放題飲み放題コースを予約してもらった。8階のレストランは貸し切り状態、元を取るべく食べたが6人中5名が60歳過ぎのメンバ-なので、レストランの方もホッとされたことだろう。税込で食べ放題が一人2500円、飲み放題が一人1500円、この値段も信じられない。
2 件のコメント:
南種子町に住んでいる者です。
突然のご連絡、ご容赦ください。
実は、種子島における西南戦争について子供と調べておりまして、こちらのブログにたどり着いた次第です。
島からも沢山の方が出兵され、各地に碑が立てられておりますが、実際がどのような状況だったのか、あまり話が伝わっておりません。
ですので、たーさん様が書いてくださっているようなエピソードが貴重です。
お忙しい中、突然このようなお願いをさせていただくのは大変恐縮ですが、どうかお話を聞かせていただけないでしょうか。
宜しくお願い申し上げます。
種子島在住の者です。
子供と共に、島から西南戦争へ参戦した方々について調べており、こちらに辿り着きました。
鹿児島と言えど、海を隔てたこの島から、お顔を拝見したこともない西郷さんに命を掛けた心境とはどのようなのだったのか。
実際は島内ではどのような雰囲気だったのか。
伝えて残していくべきだと思うのですが、中々ご子孫にも聞きづらいことで。
ですので、当時の具体的なお話、とても貴重で有難いです。
他にもエピソードなどご存じでしたら、ぜひ伺えないでしょうか。
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