25日、東京薬科大学での講義とグループワークを行う。これが5回目?だろうか。早く病院を出たつもりだが、少し遅れた到着。学生さんたちは熱心だ。遅れを取り戻し、お互いに納得できる講義とグループワークができたと思う。そしてこれが最終講義。間に入っていつもコーディネイトくださった武井先生に感謝。
21日、水戸偕楽園に行く。梅園で有名だが、まだ2分咲き以下。訪問観光客は多かったが、感染防御はしっかりしており、広いので十分に距離は確保できた。快晴だったので、梅の咲いた枝を青空を背景に写真に撮ると映えた。昼食は大洗港のおさかなんお店で食べて帰った。これで日本三大庭園は制覇した。
17日、バレンタインデイのチョコレートが病院の机の上に置いてあった。この歳でいただけるのは感謝だ。
区西部緩和ケア推進連絡会議、新宿区医師会および第一三共KKとの共催で緩和ケア事例検討会をWEB配信で開催した。東京医科大学病院から在宅に移行した患者さんのケースを2例紹介したが、夫々深く掘り下げてみたのでなかなか興味深い内容になったことと思う。最初は進行膵臓がんのケース、すでに月単位の患者さんだったが、最後の療養の場を求めて支えて行った。2例目は急性骨髄性白血病の高齢者のケース。コロナ禍で家族との面談もままならず、最後は自宅でを決意し医療、介護従事者が希望を支えたケース。血液内科専門医の緩和ケアに向き合う決意や本音もうかがうこともできた。
14日、母の命日は1997年2月12日。毎年種子島に帰省して墓参りをするが、今年はできなかった。そこで、花を買って飾り、日曜礼拝に参加するため和泉教会に行った。今日から受難の日始まる。教会では感染拡大のために礼拝はZOOM配信をされており、教会の会堂には牧師さん、牧師婦人、奏楽者と数名の方のみだった。密もなく母のことを思いだし祈りの時を持つことができた。
今日で夏(冬)休みが終わる。例年であれば昨日の夕か今日の朝東京に帰って忙しく溜まった仕事をしていることだろう。今回は何度も流れていた。病院に来て少しずつ仕事や発表、講義の準備を進めた。また英会話も合間を見て大分頑張った。こんな休みも良いかもしれない。夕に内野先生とお会いし、少しお話しをした。夕食を一緒にしませんかと誘われたが、生憎20時からZOOM英会話レッスンを予約していたので後ろ髪を引かれる思いでお断りし帰った。夕食は冷凍庫に入れていたチャーハンと缶詰のから揚げ、野菜サラダになった。
13日、午後11時8分に地震があった。その時自宅でシャワーを浴びており気付かなかった。浴室を出ると、部屋と台所の方からガタガタする音が聞こえた。泥棒が入ったかと思った。そっとドアを開けると、TVから緊急地震速報が流れていた。幸いにも何も戸棚から落ちることなく、花を飾った花瓶も無事だった。このマンションはただものではない!
11日、これまで東京スカイツリーまでは数回来たことがある。しかし展望台まで行く観光客の数の多さに圧倒され、また待ち時間の長さに辟易し上ったことがなかった。今日は休日なのでソラマチや下の商店街?は多くの観光客がいた。しかし、上りEVには並んだが、10分も待たないうちに順番が来た。EVは密にならないように10名以下。外国人のグループがいたので話しかけたかったが、スタッフから感染防止のため会話は遠慮して下さいとのお願いがあり、無言のまま最上の展望台に行った。
丁度夕日が富士山の北側に沈む前で何度も写真を写した。ここからは東京タワーは下の方に小さく見える。
下の展望台には透明床がありしたが見えるが心臓に悪い。写真だけは写した。
帰りの電車は駅を間違え、遠回りになったが何とか荻久保駅にたどり着いた。夕食はルミネで弁当を買って済ませた。