2018年6月7日木曜日
札幌へ
7日、午前中手術室で麻酔導入の指導と病棟回診を行い、12時過ぎに羽田空港に向かった。スカイマークを利用して新千歳に行き札幌で開催される第20回日本医療マネジメントに参加する。すすきのにあるホテルに投宿し、今泉先生に紹介してもらった「揚子江」に行った。ここは名前の通りに中華料理のみならず、「黄金寿し」の名前もあり和食もでる。食材は北海道地産のもので魚は新鮮できれいだ。あいにく蟹とアスパラがなかったが、それでも刺身、いくら玉、アワビのから揚げを食べた。サッポロビールに始まり、一旦芋のお湯割りに移ったが、氷結酒、締めのビールになった。大通公園の端から少し行ったところにお店があり、帰りは大通公園を歩いた。土日にYOSAKOIそーらん祭りがあり、出し物のパフォーマンス(予選?)が行われていた。流石本場で皆さんお上手だった。
2018年6月6日水曜日
2018年6月5日火曜日
三之町病院とアクアホテル二半亭
4日、5日、三之町病院勤務。3日は東京に帰る体力なく、アクアホテルに泊まる。ゆっくり展望風呂に入り疲れを癒す。4日は未破裂動脈瘤のクリッピング手術。13時半入室で14時半執刀開始。20時には完全覚醒でハイケアユニットに移せた。まさかに備えて5日の始発の座席指定を取っていたが、二半亭で食事して最終新幹線で帰った。スムーズな帰宅だが、家に着くのは0時20分頃。
2018年6月3日日曜日
学生講義と那須塩原旅行
2日、5年生の授業で緩和ケア総論を担当。この学年は幸運にも3回も自分の授業を既に受けている!その都度、阿蘇カルデラ100kmスーパーマラソンの話しをしていたはずだが、初めて聞いたような数名を発見した。これまで授業をさぼった学生たちのようだ。彼らに諭すように話す。
90分授業が2コマやるのは辛いし、準備も大変だが、プロとしてエネルギーを注ぐ。
同じく2日、偶然にも確保できた那須塩原の温泉旅館に行くと決めた。約200㎞だが新車はきっと喜んでくれるだろう。東北自動車道を会長に走り、途中自分のガス欠で蓮田SAで食事をとった。那須塩原のインターから降りて暫く走った。途中に魅力的な店や観光ポイントが並ぶ。宿について荷物を部屋に置き、チーズガーデンに行った。ここでは夜食?のチーズのおつまみと赤ワインの小さな瓶入りを買った。
大きな旅館ではないが終戦後の建築なので築60年以上だ。料理は美味しく、風呂は少し狭かったが清潔だった。窓を開けると涼しい風が入り、小鳥のさえずりが聞こえた。
3日、ゆっくり朝風呂、朝ごはんは和食だが量は程々で丁度良かった。10時過ぎまで勉強して出発した。ロビーで見つけたトリックアートの館に行った。3カ所あり、それぞれ見応えがあった。途中でスタッフが来て説明や希望すれば写真撮影までしてくれた。早めにチーズガーデンによる予定が少し遅れた。お土産を買い、隣にあるレストランで黒カレーを注文した。これもなかなかの一品。リピーターになりたいと思った。
2日間で約420㎞のドライブだったが、ハイブリッドカーなのでガソリンは半分以上残っている。
帰りは館林付近で事故渋滞があり、19時5分に西新宿アイランドビルの地下駐車場に車を停め、佐藤先生との勉強会に臨んだ。次回は10日日曜の夜、ここで日本緩和医療学会の発表準備を済ませる。
2018年5月31日木曜日
5月のブログ
1日、三之町病院は休みで、自分は6月21日の白内障の手術前の全身検査を受けた。はやりγGTPは高いが、1週間程度の禁酒では下がらない・・・。
2日、家人が上京したので、タケノコの味噌炒めを作ってあげた。なるほど味噌をみりんまたは料理用酒で溶かすようにして絡めると玉にならない。
3日、新車で草津温泉に行った。運転しやすい。関越道を藤岡インターで降りたが、出口が一台分しかなく渋滞していた。宿舎の草津温泉のスイートルームを予約していたが、受付の時食事はつかない素泊まりと言われ、唖然。二人一泊4万5千円はGW料金のようだ。しかし草津の食事処で夕食を取ったし、熱屋で湯もみガールズのパ
フォーマンスも楽しめた。片岡鶴太郎美術館にも行った。
4日、西の河原講演を散歩、ベルツ、スクりバ白紙の胸像の前で写真を撮った。公園の高台の桜はほぼ満開だった。ベルツ記念館や八場ダムサービスエリアからぐんまフラワーパークに帰った。長距離運転で新車も喜んでいたようだ。
5日、先日連絡していた八王子の叔母を表敬訪問、東大和に住む叔父夫妻と娘さんも合流した。懐かしい。叔父叔母みんな喜んでくれた。写真を写して種子島の叔父叔母に見せてあげたい。今日訪ねたのは母方の叔父叔母。
夜は荻窪のフレンチレストランで夕食。おいしかった。
6日、父方の叔父を訪ねて亀戸に行った。駅近くの居酒屋が待ち合わせのポイント。叔母が献身的に介護してくれており、車いすだった叔父が杖歩行になっていた。
この連休中(4月下旬からの)で約800k走った。
7日、家人が熊本に帰った。東京にいる間は。自分はラクチンだったが、家人は明日からは孫の世話に頑張る。
8日、三之町病院は昼過ぎからVPシャント入れ替えの急患、その後病院勉強会でアドバンス・ケア・プランニングの講演をした。
10日、ランニングクラブの練習会。新宿中央公園の周りを1時間7周走った。そのあと、病院近くの中華料理店に行き、自分のフルマラソン完走、仲間たちのウルトラマラソン完走のお祝い打ち上げをした。佐藤、丸山、三沢、伊芸さんたちと自分の5人の参加だった。
12日、サッカー部の後輩、飯塚先生の結婚式・結婚披露宴に参加した。自分は乾杯の挨拶と発声を頼まれていた。熊医蹴友(熊大医学部サッカー部の部誌)から飯塚先生が学生時代に書いた文集から引用し、サッカー部の6年間でどのような成長を遂げたのか、そして今までサッカー部の仲間たちがどんなに心配したかを述べて乾杯に移った。彼は同級生サッカー部が12名いるが、全員の結婚披露宴でのスピーチをしたそうだ。お幸せに!
13日、午前中はマンションの火災報知器点検、午後からは車の一か月点検があり何
かと落ち着かなかった。
14日、三之町病院近くの八幡宮のお祭りが15日あり、出店がいっぱい出ていた。ポッポ焼きを買ったが、種子島でいうふくれ菓子のようだ。酒屋越州弐を購入した。
早く東京に帰ったので、酒をもって久で食事、しのちゃんで歌を歌った。やはり歌うと顎が痛くなる。
16日、山本先生が水曜日は緩和ケアチームに入って研修してくれる。今日は茨城医療センターから佐藤先生が勉強会に来たので3人で勉強。区切りの良いところで近くの居酒屋に行って夕食にした。持ち込み良いか?と尋ねたらだめだそうだ。良い客を失った・・。
17日、今日から日本麻酔科学会が横浜で開催される。自分は午前中が仕事なので午後から出席した。夕食は初期研修医との懇談会に参加。通いで往復3時間以上かかるので辛い。
18日、午後の外来を2人診察し学会場へ。学会の懇親会もあり覗いたがあまりにも開始時間が遅れ途中退席し、中華街の同発で開催される新入医局員歓迎会に参加した。帰りは4人ぐらいで途中まで帰った。
19日、今日は朝から横浜へしっかり聴講し、夕から万葉の湯で開催される医局旅行に参加した。ここには5月から緩和医療部に加わってくれた齊藤先生が麻酔科飲み会にデビュー。アイスブレーキングもうまくいった。自分は二次会で歌いすぎ、顎が本格的に痛くなった。
20日、万葉の湯から中学校の同窓会集合場所のゆりかもめ新橋東口に向かった。同窓会は昨日から開催されており、昨日は73人集まったという。今日はお台場から東京クルーズで浅草へ、酸化した29名は浅草にあるアサヒビール本社22階にあるイタリアンレストランでの会食。うっすら富士山も見えた。三社祭りでにぎやかな浅草を見ながら帰途についたが、皆懐かしかった。
21日、三之町病院でM&Mに参加。出席されたスタッフが皆さん真剣に意見を交換していることに感銘をうけた。
23日、神奈川子供ども医療センターの堀木先生と山本先生と勉強会、済んで山本先生と西荻に行ってお蕎麦屋さんがしている居酒屋に行って食事をした。もう一軒行って帰ったが、西荻には魅力的な店が多い!
25日、熊本ペインクリニック研究会に講師として参加した。この研究会は自分たちが始めた会なのでうれしかった。「がん性疼痛へのオピオイド鎮痛薬治療のピットフォールー:ケミカルコーピングに関してーと題して話した。終了後、山本、大津、定永先生たちと夕食。途中高群先生も加わった。高群先生と二次会でプラスワンへ。そこにはやった先生がおられた。博登君も加わり賑やかな二次会になった。帰りは森さんに送ってもらったが、1時を超える午前様のようだった。
26日、朝今村さんご夫妻がどらやきを持ってきてくださった。ありがとう!手の具合はどうかな?
11時に高森の長男の自宅兼新聞社支局へ。長男は仕事でいなかったが、お嫁さん、ももやとさくや、そしてイチゴちゃんと再開した。皆で長男おすすめの蕎麦屋さん「まつ田」に行き満足。
西原村を回って帰宅し、キャッスルホテルで開催されている熊本麻酔学会と同門会に参加した。途中熊大医学部サッカー部新歓コンパに合流した。二次会三次会と後輩たちと話をし、帰ったのがやはり午前様だったようだ。
27日、娘宅により、ひなたとじょうじに会う。皆大きくなった。しっかりしてきた。娘がくたびれていたのは心配だ。そのまま熊本空港に行き東京に戻った。
28,29日は三之町病院。29日はCEAで午後8時過ぎには患者さんを観察室に移すことができた。二半亭で夕食を済ませ最終新幹線で東京に帰った。荻窪には12時半ごろについたが。
30日、緩和ケアチームの歓迎会。齊藤先生デビュー。このあと、河手先生と酒井さんと久に行ったが、帰ったら上着を脱ぐなりベッドに打ち伏してしまった。
2日、家人が上京したので、タケノコの味噌炒めを作ってあげた。なるほど味噌をみりんまたは料理用酒で溶かすようにして絡めると玉にならない。
3日、新車で草津温泉に行った。運転しやすい。関越道を藤岡インターで降りたが、出口が一台分しかなく渋滞していた。宿舎の草津温泉のスイートルームを予約していたが、受付の時食事はつかない素泊まりと言われ、唖然。二人一泊4万5千円はGW料金のようだ。しかし草津の食事処で夕食を取ったし、熱屋で湯もみガールズのパ
フォーマンスも楽しめた。片岡鶴太郎美術館にも行った。
4日、西の河原講演を散歩、ベルツ、スクりバ白紙の胸像の前で写真を撮った。公園の高台の桜はほぼ満開だった。ベルツ記念館や八場ダムサービスエリアからぐんまフラワーパークに帰った。長距離運転で新車も喜んでいたようだ。
5日、先日連絡していた八王子の叔母を表敬訪問、東大和に住む叔父夫妻と娘さんも合流した。懐かしい。叔父叔母みんな喜んでくれた。写真を写して種子島の叔父叔母に見せてあげたい。今日訪ねたのは母方の叔父叔母。
夜は荻窪のフレンチレストランで夕食。おいしかった。
6日、父方の叔父を訪ねて亀戸に行った。駅近くの居酒屋が待ち合わせのポイント。叔母が献身的に介護してくれており、車いすだった叔父が杖歩行になっていた。
この連休中(4月下旬からの)で約800k走った。
7日、家人が熊本に帰った。東京にいる間は。自分はラクチンだったが、家人は明日からは孫の世話に頑張る。
8日、三之町病院は昼過ぎからVPシャント入れ替えの急患、その後病院勉強会でアドバンス・ケア・プランニングの講演をした。
10日、ランニングクラブの練習会。新宿中央公園の周りを1時間7周走った。そのあと、病院近くの中華料理店に行き、自分のフルマラソン完走、仲間たちのウルトラマラソン完走のお祝い打ち上げをした。佐藤、丸山、三沢、伊芸さんたちと自分の5人の参加だった。
12日、サッカー部の後輩、飯塚先生の結婚式・結婚披露宴に参加した。自分は乾杯の挨拶と発声を頼まれていた。熊医蹴友(熊大医学部サッカー部の部誌)から飯塚先生が学生時代に書いた文集から引用し、サッカー部の6年間でどのような成長を遂げたのか、そして今までサッカー部の仲間たちがどんなに心配したかを述べて乾杯に移った。彼は同級生サッカー部が12名いるが、全員の結婚披露宴でのスピーチをしたそうだ。お幸せに!
13日、午前中はマンションの火災報知器点検、午後からは車の一か月点検があり何
かと落ち着かなかった。
14日、三之町病院近くの八幡宮のお祭りが15日あり、出店がいっぱい出ていた。ポッポ焼きを買ったが、種子島でいうふくれ菓子のようだ。酒屋越州弐を購入した。
早く東京に帰ったので、酒をもって久で食事、しのちゃんで歌を歌った。やはり歌うと顎が痛くなる。
16日、山本先生が水曜日は緩和ケアチームに入って研修してくれる。今日は茨城医療センターから佐藤先生が勉強会に来たので3人で勉強。区切りの良いところで近くの居酒屋に行って夕食にした。持ち込み良いか?と尋ねたらだめだそうだ。良い客を失った・・。
17日、今日から日本麻酔科学会が横浜で開催される。自分は午前中が仕事なので午後から出席した。夕食は初期研修医との懇談会に参加。通いで往復3時間以上かかるので辛い。
18日、午後の外来を2人診察し学会場へ。学会の懇親会もあり覗いたがあまりにも開始時間が遅れ途中退席し、中華街の同発で開催される新入医局員歓迎会に参加した。帰りは4人ぐらいで途中まで帰った。
19日、今日は朝から横浜へしっかり聴講し、夕から万葉の湯で開催される医局旅行に参加した。ここには5月から緩和医療部に加わってくれた齊藤先生が麻酔科飲み会にデビュー。アイスブレーキングもうまくいった。自分は二次会で歌いすぎ、顎が本格的に痛くなった。
20日、万葉の湯から中学校の同窓会集合場所のゆりかもめ新橋東口に向かった。同窓会は昨日から開催されており、昨日は73人集まったという。今日はお台場から東京クルーズで浅草へ、酸化した29名は浅草にあるアサヒビール本社22階にあるイタリアンレストランでの会食。うっすら富士山も見えた。三社祭りでにぎやかな浅草を見ながら帰途についたが、皆懐かしかった。
21日、三之町病院でM&Mに参加。出席されたスタッフが皆さん真剣に意見を交換していることに感銘をうけた。
23日、神奈川子供ども医療センターの堀木先生と山本先生と勉強会、済んで山本先生と西荻に行ってお蕎麦屋さんがしている居酒屋に行って食事をした。もう一軒行って帰ったが、西荻には魅力的な店が多い!
25日、熊本ペインクリニック研究会に講師として参加した。この研究会は自分たちが始めた会なのでうれしかった。「がん性疼痛へのオピオイド鎮痛薬治療のピットフォールー:ケミカルコーピングに関してーと題して話した。終了後、山本、大津、定永先生たちと夕食。途中高群先生も加わった。高群先生と二次会でプラスワンへ。そこにはやった先生がおられた。博登君も加わり賑やかな二次会になった。帰りは森さんに送ってもらったが、1時を超える午前様のようだった。
26日、朝今村さんご夫妻がどらやきを持ってきてくださった。ありがとう!手の具合はどうかな?
11時に高森の長男の自宅兼新聞社支局へ。長男は仕事でいなかったが、お嫁さん、ももやとさくや、そしてイチゴちゃんと再開した。皆で長男おすすめの蕎麦屋さん「まつ田」に行き満足。
西原村を回って帰宅し、キャッスルホテルで開催されている熊本麻酔学会と同門会に参加した。途中熊大医学部サッカー部新歓コンパに合流した。二次会三次会と後輩たちと話をし、帰ったのがやはり午前様だったようだ。
27日、娘宅により、ひなたとじょうじに会う。皆大きくなった。しっかりしてきた。娘がくたびれていたのは心配だ。そのまま熊本空港に行き東京に戻った。
28,29日は三之町病院。29日はCEAで午後8時過ぎには患者さんを観察室に移すことができた。二半亭で夕食を済ませ最終新幹線で東京に帰った。荻窪には12時半ごろについたが。
30日、緩和ケアチームの歓迎会。齊藤先生デビュー。このあと、河手先生と酒井さんと久に行ったが、帰ったら上着を脱ぐなりベッドに打ち伏してしまった。
2018年4月30日月曜日
2018年4月のブログ
1日、家人と皇居の通り抜けに行った。桜の季節に坂下門から皇居に入り乾門の間の桜を鑑賞できる。今年の桜は開花が早く4月1日が最終日になった。そのためか多くの人たちが皇居に訪れていた。30分以上並んでセキュリティーを通過した。あいにく満開は過ぎ、多くの桜は三分程度の花を残すのみだったが、それでもまだ盛りの桜もあり、雰囲気を楽しむことができた。
乾門から千鳥ヶ淵に歩いた。桜と菜の花が綺麗だった。千鳥ヶ淵の桜も奇麗だった。
ここから病院に行き、部屋の片づけを始めた。4月から緩和医療部にくる齊藤先生と同じ部屋を使用するので、ロッカーと本棚を一つずつ空けるように頑張った。思い起こせば7年前段ボール箱15箱の書類や書籍を熊本から持って来て兎に角、本棚やロッカーに押し込んだ。その付けが来ていると思った。齊藤先生に謝ってボチボチ整理するしかない。
帰りにルミネ、タウンセブン、西友で夕食を買い帰った。風呂にゆっくり入り「せごどん」の特集番組を観ながら夕食をとった。
明日から再雇用での仕事が始まる。どのような辞令がくるのか楽しみだ。
2日、月曜は7時には病院について週末以降に緩和ケアチームの介入依頼があった患者さんのチェックをした。入院している患者さんが1名おられたので回診し指示などを出した。7時50分に麻酔科カンファレンスに行き今日から常勤の特任教授として頑張ることを挨拶した。関連病院から戻ってきた医局員、新入医局員や新しく東医の麻酔科で研修をする歯科の先生たち、月単位で麻酔科で実習する初期研修医やスーパーポリクリの6年生、週単位での実習の5年生などかなりの人数になっていた。
8時過ぎに病院をでる予定だったが西新宿駅で18分の丸の内線に乗り込んだ。東京駅で新幹線に乗り換えるには時間的にタイトと判断し、新宿駅で降りて埼京線の快速に乗り大宮までいって先回りすることにした。目標の新幹線が着く10分前には大宮に着いた。
11時過ぎに三之町病院に着いた。昼食、術後回診を済ませ、新入社員入職式に参加させていただいた。そこで勤務する日が増えたことなど挨拶することができた。昼過ぎから森院長先生と三之町病院の病診連携の在り方や倫理委員会の設立に向けた意見交換をすることができた。
明日は齊藤先生が東京医科大病院に来られる日なので、早めに東京に戻り部屋の掃除を続けた。家人が木曜に熊本に帰るので夕食と風呂の準備ができているという幸せ・・・。この反動が怖いが。
4月5日から4月30日
これまで毎日ブログを書いていたが、時間を取れずに一カ月以上が過ぎてしまった。月ごとにまとめて書くのも仕方ないだろう。友人からブログの更新が止まっているので心配しているとのメールをもらった。
4月5日、家人が熊本に帰った。一か月後に来るので家は散らかさないようにしよう。
4月7,8日、新大阪駅近くのクライトンホテルでワイズメンズクラブ西日本区の役員会。今期でクリスチャニティー委員会委員長を降りるので、大阪での役員会は研修会から暫く外れる。
4月11日、北海道大学教育学部函館中学校の3年生が修学旅行の研修で東京医科大病院を訪問し、私がインタビューを受けることになった。数か月前に打診があり、質問集ももらっていた。麻酔科医になりたいという学生さんもいて、質問はかなり鋭いものもあったが、何とかこなした。最後に記念撮影をした。
4月14日、新車の納車!愛車クルーガーは購入13年を経た。じゃがいも運びや長距離ドライブに良く付き合ってくれた。ほったらかしにしてなんかもバッテリーを挙げてしまったこと反省している。ディーラーに乗っていく途中でガゾリンスタンドに寄って洗車をしてもらった。
新車はプリウスAで雪国仕様で安全装置付き。家人からは安全装置が着いているのならと快諾を得ている。人相は精悍だが、色も気に入っている。記念撮影のあと引き渡しうぃ受け、そのまま八重洲地下駐車場に行き散髪をした。
4月15日、東京熊杏会が例年の様に原宿の南国酒家で開催された。今年は北里大学の佐々木治一郎先生が特別講演をして下さった。講演もさることながら労基対策で何処も大変のようだ。懇親会では熊大麻酔科の久場大先輩とT京大学呼吸器内科の後輩の先生の間で会話を楽しんだ。例年と異なり真っ直ぐに帰宅したが・・・。
4月19日、昼休みにWeb講演会がありお昼の弁当をいただいた。ラッキー!
夜は芝先生と東京西クラブの例会に参加した。卓話は映画の話しで、古今東西の名画やその背景の解説を拝聴した。講師の著書までいただいた。芝先生は無類の映画好きのようだ。自己紹介の時、話しの端々に映画の話しが出たのには感心した。因みに自分が最も感激したのは初代「キングコング」、一番最近見た映画は「永遠の0」だ。
4月20日、茨城医療センターに転勤した佐藤先生と勉強会。彼女も仕事がおえてからくるので、20時から22時までみっちり勉強をした。やる気がひしひしと伝わってきた。
4月21日22日、21日午前中仕事を終え、新幹線で新潟へ。新潟駅万代口で三之町病院の森院長と落ち合い、バスで新潟港佐渡汽船乗り場に向かった。待合室でY田元事務部長、横〇さんと合流し、高速艇で佐渡島の両津港に向かった。約1時間で到着、海は穏やかで快適だった。佐渡トキマラソンのスタート・ゴール地点は出店がでておりお祭り模様。暫く楽しんで宿舎のみなみ旅館に旅館のお迎えバンで移動した。御風呂は4人で一杯の広さだったが、食事の豪華なこと!この旅館は人気があり直ぐに予約で一杯になるそうだ。
翌日、朝食もお腹一杯いただき、スタート地点に送ってもらった。
テーピングのサービスもあり左足首をしてもらった。これが一番役に立ったようだ。
スタート前30分になるのに、まだスタートゲートは作成中だった。のんびりしている!! スタートして、4人で走った。みなみ旅館を過ぎたことから、Y田さんと「よく丸さんは先に行った。途中救急救命士のM黒さんと一緒になった。彼は身体が大きいので、向かい風の時は風よけになってくれた。気温は20~21度、晴天なので日なたは暑いが日陰は涼しい。金さんが監修し昨年とは異なるコースになったそうだが、宇悪博物館などがエイドになったり、湖の周りを走るなど景色も楽しむことができた。
森先生とM黒さんとゴールまで一緒に走った。時間は6時間28分8秒、タイムは良くないが、初めてのコースを時間内完走できたので満足だった。
ゴール近くにある東宝ホテルの展望風呂で汗を流し、再び高速艇で新潟港に帰った。
自分は新潟駅南口にあるアートホテル新潟を予約していたので、その近くの居酒屋で打ち上げをして別れた。
4月23日、夕方三之町病院の医局会で講演をする機会をいただいた。テーマは「救命から看取りまで」で、退官記念講演に少しスライドを足した。
4月24日、脳神経外科の内頚動脈血栓除去内膜剥離の手術が遅くなったが、かろうじて二半亭で食事ができ、最終新幹線21時47分発に間に合った。喜びも束の間、中央線が事故で遅れ、自宅にたどり着いたのが午前1時を回っていた。
4月26日、司法書士の方と税理士の方にNPO法人の設立に関するレクチャーを受けた。
4月27日、斉木先生と6年生のスーパーポリクリ3名を連れて焼き肉の李宮で食事会をした。内野先生もう参加予定だったが急用で来れず、残念だった。しかし、豊田君がサッカー部であることを知り(知っていたはずだが)FBフレンドになった。よろしく。
4月28日、愛車と初遠乗りをした。関越道から軽井沢に向かう。途中千ヶ滝温泉でゆっくり疲れを癒した。宿泊ホテルはルシアン旧軽井沢というワンちゃん専用のペット同伴できるホテル。昨年から営業とのことできれいだ。ペット同伴でない宿泊客もいるので宿泊棟を別にしたり、小型犬が大型犬を見て怖がらないようにレストランの利用時間やテーブルの場所を話すなどの工夫をしている。
食事は美味しく、近くのテーブルにいたワンちゃんは皆大人しくお利口にしていた。いちごちゃんはこうはいかないだろうと思った。
4月29日軽井沢の旧三笠ホテルと白糸の滝を見学し、東京に帰った。途中妙義山のSAで焼きまんじゅうを買って食べたが、パンみたいだった。
4月30日、ブランチの後久しぶりに善福寺公園コース8㎞を走った。シャワー洗濯をして病院へカルテチェックやデスクワークをしていたら内野先生が夕食を誘いに来られた。久しぶりに荻窪駅北口近くの萬龍軒で食事をした。内野先生と予〇校時代の同級生のご家族とお会いした。
4月の月間走行距離は300㎞を超えたようだ。愛車も喜んでくれただろう。運転しやすいのが何よりだが・・・。
2018年4月3日火曜日
3月のブログ
2日、眼科の後藤先生たちの呼びかけで自分と放射線科の徳植教授の退任慰労会を荻窪会のコアメンバーが計画して下さった。自宅から荻窪駅のあいだにある「もつ吉」というもつ料理の店で、いつもは閉店中の時間しかその前を通らない。カウンターしか見えず狭い店かな?と思っていたが大間違いだった。二階には個室が幾席かあり、大繁盛している。聞くとなかなか予約も取れないそうだ。もつ鍋は取らず、もっぱらもつ焼きなどを頼んだがなかなか美味しかった。花束までいただき感謝。
3日、がんプロフェッショナル養成講座参画を記念した講演会を開催した。治療医による緩和ケアのテーマで、北里大学の佐々木治一郎教授に講演をいただきその座長を務めた。佐々木先生とは熊本時代から懇意にしていただいている。良い仕事をされているなと感心していたが、まとまったお話しをお聴きすると益々理解が深まった。4月に東京熊杏会でお会いするので楽しみにしている。
5日、明大前駅から近い松原アーバンクリニックで東京医科大病院から紹介し看取っていただいた患者さんのデスカンファレンスに参加した。治療を拒否してホスピスを希望された患者さんと配偶者の思いの乖離をどのようにして埋めて行かれたのか、拒んでいた輸血を受け入れクリスマスやお正月を遠くで暮らす子どもさん一家と喜びの中楽しまれた過程を知り安心した。
このような病診連携のカンファレンスの積み重ねが切れ目のない緩和ケアに結びつくのだろう。
6日、次年度の三之町病院での勤務などに関して鎌田理事長と山田事務長とで話し合う機会をもった。東京医大病院の都合で、月、火の2泊する勤務が連続通いになる可能性もある。数日以内にはっきりするのだが、かなり気を受かっていただいている。感謝以外ない。
7日、急転直下、月、火は三之町病院に通い非常勤から常勤の特任教授として4月から勤務することになった。後任が決まり落ち着くまでは常勤医2名体制でも良いことになった。来てくださる可能性のある先生にお話ししているが、良い返事をもらえそうだ。しかし、人事は赴任するまで分からないので詰めをしっかりしよう。
9日、理想的な鎮静を考える会で「緩和ケア領域における鎮静」をテーマに講演する機会を得た。集中治療関係の研究会ではあるが、集中治療室での治療中に終末期を迎える患者さん、DNARがなく一般病棟で急変し集中治療室に搬入される患者さんもおられる。参加された皆さんは熱心に聴いてくださり質問も多く良い交流ができた。
その後ヒルトンホテルで開催されていた関連病院会議に出席した。ここでは4月以降の人事の予定について報告することができた。三之町病院のご理解と病院長の決断がポイントになるが。
10日、大阪での次期会長・主査研修会に出席した。次期会長・主査や講師の皆さん、LD委員会の皆さんを含めると大人数の研修会になる。会場のコロナホテルは新大阪駅から歩いてすぐの場所なので便利だ。研修会は一日目順調に進行し、懇親会の後に二次会にも参加した。途中でウトウトしていたようだが、無事に帰還していた。
11日、6時にロビーへ行った。O野さんは来られなかったが谷本さんと一緒に朝のジョッギングを楽しんだ。3㎞ぐらいでこれで酔いは晴れた!早天礼拝の後新大阪から東京へ。丁度富士山の上に雲がかっており、折角の左側窓際の席も不発だった。品川で降り東京ビッグサイトで開催される新方式での緩和ケア研修会の説明会に参加した。これまでの研修会は2日間だったが、新方式ではe-ラーニングを受講することで1日間の研修会で良くなる。4月からのテキストの出来などが楽しみだ。
12日、がんサロン
初めてがんサロンでアドバンス・ケア・プランニングをメインにお話しした。肺がんの化学療法で耳鳴りが続いている患者さんから居残り質問を受けた。呼吸器外科と耳鼻科の担当医に連絡してKO大学病院を受診できるように準備することにした。20名ほどの参加で雰囲気は良かったと思う。と小川さんが言ってくれたのでホッとした。
13日、在宅新宿区在宅医療専門部会に参加できた。隣に新宿のマザー・テレサこと秋山正子さんが座ってくださるので嬉しい。皆さん発言されるので奥深くいろいろな視点での在宅医療の問題が理解できる。懇親会はなかったが、疲れていたので却って助かったが・・・。
15日、東京西クラブの3月定例会に参加した。場所がYMCA山手センターで世田谷クラブとの合同例会だった。卓話は「ゴミムシの話」、世界に4万種類以上存在し、100種類以上の新種の発見をした森田さんのお話しは面白かった。
近々種子島に行かれるとのことで、早速従弟に連絡した。
16日、麻酔科送別会がヒルトンホテルで開催された。自分は4月から常勤の特任教授で残ることがほぼ決まったので、今回も送る方に回った。色々な別れがあるが、これから先も元気で頑張って欲しい。
関連病院の出向でしばらく新宿の本院から離れる先生方も赴任地で頑張って自信をつけてきてほしいと思う。
18日、御殿場プレミアムアウトレット
そろそろ長距離運転をと思っていたが、この数か月で割れてしまったビールとお湯割り用のコップ(グラス)を御殿場プレミアムアウトレットで購入することにした。良い天気でこれ以上ないくらいの富士山の写真を撮ることができたし、手ごろの値段のブランドのグラスを購入できた。
車も嬉しそうに快調に走ってくれた!
21日、水曜日は佐藤Dr緩和医療と緩和ケアを勉強する日にしている。丁度休日だったが、昼過ぎから病院で集中して勉強した。自分は今度投稿する論文の最終チェックを、佐藤Dr.はASAに初挑戦する抄録とデータおよび統計を揃えた。12時過ぎから初めて20時頃までのタフな勉強会になった。
22日、柿沼先生が世話役をしてくれて久で自分の慰労会をしてもらった。麻酔科や緩和ケアチーム、各科でお世話になった先生方計18名の会になった。大将にはかなりお願いをして河豚尽くしで持ち込みOKにしてもらった。自分も前日来種子島の芋焼酎甘露と久曜を各一升持ち込んだ。
最後はスプーンをマイク代わりに皆さんがスピーチしてくれた。その度にハグをしたようだ。二次会に行こうと行った「しのちゃん」は既に締っており、自分は柿沼先生と立花先生に両脇から抱えられて帰ったそうだ・・・。
23日、前日の慰労会に引き続き今日はランニングクラブ練習会と飲み会。19時に裏出口から新宿中央公園に行き、夜桜見物を兼ねながら走り出した。佐藤、丸山のクレイジー部員は始まる前に既に15㎞走っていた。約1時間の間に自分は6周、まめっぷは7周、中尾氏は8周?クレイジー軍団は10周走っていた。
眼科の後藤先生から1時間なら5周ですね・・・、と言われた感覚が耳に残っていた。飲み会は病院近くの中華料理屋さんでなかなか美味しかった。帰りはしっかりタクシーで帰った。
24日、熊大医学部サッカー部先輩たちの還暦を祝会、追い出しコンパ、熊本ドクターズ理事会が熊本市ホテルキャッスルで開催された。飛行機が30分以上遅れたが家人の運転で裏道をとおり、何とか写真撮影の15分前にホテルに到着した。今回この4年間に還暦を迎えた11名のOBが集まった。彼らとは一緒にグラウンドで汗を流した。今年の卒業生5名も元気そうだ医学部の2名の国家試験合格は既に分かったが、あとの3名の発表はこれかららしい。
大変盛り上がり、二次会上に行った。明日の予定もあり早々に帰ったが、もらった集合写真を二次会場に忘れてきたようだ・・・。
25日、特老に入居していたすみ江叔母が急逝し、25日が葬儀となったので家人とともに鹿児島の斎場に行った。久しぶりに会う叔母や従兄・従妹たちも参列した。家族葬なので親戚とごく親しい方々が参加くださった。叔母は若いころ教師をしていたが、たまたま教え子の息子さんが東医の学生さんで連絡をしたところ、立派な花を届けてくださった。生前教え子さんが訪ねて来てくれたことを楽しそうに話していたことを思いだした。親戚に紹介したらとても喜んでくれた。葬儀は神式で行われ、火葬と10日祭まで参加して熊本に帰った。
5月に50日祭と納骨があるが、予定が詰まっているので家人に出席してもらおうと思う。
31日、自分の退任記念会を東京医科大麻酔科主催で開催していただいた。97名の参加を得て盛大な会になった。内野主任教授のご挨拶は自分との出会いの思い出に始まり、東医に赴任することになった経緯、自分が諫言してくれるよき仲間?学生や研修医、医局員に優しくどの科の先生方とも連携をとっていることなど、自分で恥ずかしくなるくらいお褒めの言葉をいただいた。鈴木学長からは自分が退官の挨拶に書いた文章を引用して患者さんへの労りと愛についてお話し下さった。群有会の前原会長からは、東京医科大麻酔科に溶け込みこよなく医局員を大切にしていただいたとお褒めいただいた。熊大の山本主任教授からは熊本時代の活躍や飲んだら眠ってしまうので心配したことなどユーモアと愛情あふれるお話しをいただいた。三之町病院院長の森先生から自分の三之町病院での働きぶりや、二半亭に焼酎のキープが置いてある話しや佐渡トキマラソンに参加予定ということを紹介いただいた。ただ、毎年三之町病院の忘年会に何故参加しパフォーマンスのセンターを張っていることを紹介し忘れたと残念がっておられた。
家人を席に残し、出席して下さった全ての皆様にご挨拶をしに回った。会食の間伊藤樹史名誉教授率いるドクトル伊藤カルテットの皆様の演奏と歌は会を格調高くフレンドリーな雰囲気にしていただいた。
スピーチでは柳下先生、吉澤先生、橋口先生、山田先生がそれぞれの関係やエピソードなどをユーモアを交え最高に自分を持ち上げて下さった。自分の生態を知る家人から、あとであんたはそんなに凄い人だったの?と言われたが、祝いの席なので話半分にしときなさいと答えた。
花束を47年来の友人満瀬先生と緩和医療部の看護師さんたちから頂いた。満瀬先生の「田上君は飲んで眠ってしまうのではなく、眠るまで飲んでいるのです」で少し救われた。
二次会ではわざわざお越しいただいた小山記念病院の田上惠先生と親しくお話しができた。先生には東京に来る前から可愛がっていただいた。どこかでご恩返しをしたいと思っている。
自分が主役だったことや家人がすぐ近くにいたことで緊張していたのだろう。帰り着くまでしっかりしていた。シャワーを浴び、そのままベッドにうち伏したようだ。皆さま大変お世話になりました。
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