新幹線の中では眠りこけていた。
2017年5月17日水曜日
2017年5月14日日曜日
八百屋の神対応
その時別のお兄さん「カレー作るのに人参ないと困りますね、奥さんからちゃんともらってくるように言われたのですね、わざわざ来て下さってありがとう。人参1本持っていってください。」と。この言葉で自分もお姉さんも救われた。人参をポーチにいれ、そのまま善福寺公園コース8㎞を走りカレーは無事に出来上がった。
種子島から東京へ
14日、朝起きてシャワーを浴びようとしたがお湯が出ない。どうも給水機の電源が入らないようだ。次回までの修理を頼まねばならない。やかんでお湯を沸かし、体を拭いて髭剃りをした。
歩いてバス停に行ったが、バス停の標識はなく従って時刻表もない。のんびりしているのか?タクシー会社に歩き空港に行った。この途中で昨日もらったチマキを食べ美味しそうなサンドイッチを買った。
空港のレストランでそばを食べ朝食にした。
帰りの飛行機から種子島を写した。西之表市街が見える自分の家の場所は大体わかる。
鹿児島空港で2時間20分間だったので、その間ブログを書いたり写真を写したりしていた。羽田までは順調だったが通路側の席なので富士山見えず。
2017年5月13日土曜日
種子島同級会
13日、種子島で同級会(昭和27年度の年齢にあり、数年でも種子島に住んだことのある人が対象)があり帰省した。辰年と巳年の生まれなので、辰巳会と言い代表幹事の平瀬君は近所の幼馴染、関東地区担当の外園君は高校・大学が熊大、同じく関東地区幹事の綿引さんは母親同士が仲良しで知っていた間柄なので去年に計画を知り、3月初めに幹事会から手紙をいただいていた。東京から関西までは曇っており富士山は見えず、九州から晴れてきた。羽田で鹿児島・種子島間は条件付き運行になると言われたが、問題なし。写真は薩摩富士の開聞岳。
桜島と大隅半島との陸続きを真上から撮影。
種子島上空から見た屋久島、頂の上まですべて見えるのは珍しい。
種子島のロケット基地方面の写真を撮ることができた。
日高君が家の空気の入れ替えや掃除をしてくれていたので、寝床を準備して家を出た。庭木の手入れをシルバー人材センターにお願いしていたが。草は既にボウボウと生えていた。
さて受付で平瀬君たちに会った。外園君は最初から全く知らない人の中には入りづらいだろうと、同じ医師の三宅君の横の席に連れて行ってくれた。彼は山形の病院に勤務していたUターン医師で、周囲の人たちを次々に紹介してくれた。平瀬君は種子島の学校に在籍したことのない数名のために挨拶の機会を作ってくれた。
綿引さんは女性の参加者を紹介してくれた。
東京在住で一緒に飲もうと約束で来た友もできた。二次会にも参加し、歌も歌った。帰りは三宅君の奥様が迎えに着てくださり、家まで送ってもらった。
参加者は73名で北は苫小牧から、南はフィリピンからの参加だった。幹事の皆さんに感謝。
2017年5月11日木曜日
2017年5月10日水曜日
学生クルズスと男の飲み会
10日、久々の学生クルズス。内容は4年生の時に教えた緩和医療・緩和ケアであるが、ほとんど忘れている!非オピオイド鎮痛薬を答えたからこの段階では△で可。秋に回ってくるグループにはさらに難しい質問を準備しよう。
夜は乳腺科の山田先生と一緒に久で夕食。自撮りをすると写真が曇る。スマートフォンのディスプレイの曇りが取れていないのだろう。料理はちゃんと撮れている。二次会は「つまみを買って自宅へ。このような男同士の二次会も良い。
2017年5月9日火曜日
叔父の葬儀
9日、7日の夜に叔父の逝去の知らせが入った。家族葬をするのでお別れは9日朝の出棺時になる。荻窪から斎場まで時間がかかるが、朝早く出るとお見送りしてそのまま上野駅に向かえば燕三条行きの新幹線に間に合う。その日の朝の症例担当の交代と回診の中止をお願いして備えた。
6時41分荻窪発の東西線で日本橋に行き、浅草線に乗り換えようとしたが歩く速度が遅く?乗り継ぎに乗り損ねた。その後の乗り継ぎが上手くいかず、小室駅に着いたのが8時25分だった。斎場に着くと従妹が玄関で迎えてくれた。何十年ぶり?だろうか従弟とも会えた。従弟の長男は仕事で来れなかったが、それでも叔父の子どもと配偶者、孫たち会うことができた。出棺前にお棺の中に叔父が愛用した辞書や、奥さんとの写真、お花を入れた。叔父は自分に子どもたちや孫たちの再会、初対面の機会を作ってくれた。出棺を見送り小室駅から上野駅にはスムーズに乗り継ぐことができた。
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