1月8日は朝2時起きで研究会での講座の準備などをしていたら出発の時間になった。10時過ぎに品川発の新幹線に乗り新大阪へ。途中関が原付近では雪が少し積もっていた。
次期役員研修会の実行責任者はリーダーシップ開発委員会委員長の藤〇さん。委員長としてのデビューで新しいメンバーも数人おられた。自分は〇井直前国際会長の「国際の中での西日本区(国際の現状)」の後に、「キリスト教理解講座」を担当した。次期役員をされる方々はほとんどクラブ会長経験者なので一度はこの研修会を受講しておられる。マンネリにならぬように新しいことも加えて話さねばならない。先日の陣内大蔵牧師さんの本の逸話や熊本クラブの内〇さんや名古屋クラブのブリテンからも一部引用させていただいた。
懇親会では、非常に眠かった自分が生まれ変わったように各テーブルを回っていた。〇井直前会長がご近所さんだったことを知りびっくりした。21時過ぎになり、光〇さんや米〇さんに「先に休むから・・」と言って、部屋に戻り眠りについた。
こうなると朝が早い。一旦2時に目覚めたが5時過ぎにはベッドから抜け、淀川べりを走り出した。足首の装具を装着せずに走ってみた。舗装してある平地は平気だが、舗装のないところは足が痛んだ。まだ暗い中、1時間30分ほど走ったり写真を撮ったりした。
早天礼拝はチャプレンの江〇さんから「足跡をたどる」の話を拝聴することができた。ヨハネによる福音書13章1-15節から、この時代の「罪人」や「税金」についても解説され「互いに助け合い、上に立つこともなく、友のためには全力を尽くして助ける」ことや「いつも神様が寄り添ってくださる」というメッセージを受けた。吉〇さんの「役員の心得」はさすがに理事を二期務められた余裕?を感じた。光〇さんのYMCA理解はスライドがますます洗練されてきていたし、大〇さんの事業主任についてはポイントが押さえられ分かりやすかった。
今日の礼拝やいろいろな献金が9万円強集まり、東日本大震災後も継続して被害者支援をしているYMCAに送られた。予定通り閉講式は15時前には終了し、新幹線で東京に帰った。
手術室、ICUをのぞき当直医に「お疲れ様。」と声をかけた。これからU先生と夕食に出かける。
2012年1月9日月曜日
2010年8月9日月曜日
Y's Men's Club International 国際大会 in Yokohama



Y's Men's Club 第69回国際大会が横浜で8月5-8日にかけて開催された。7,8日の早朝は「炎の折り鶴ランナー」大野さんと一緒に川崎市役所前から日本橋まで約20kmを走った。
http://www.hi-net.zaq.ne.jp/genkidesu/orizururun.html の最終(おまけ)ランに一緒に走る自分の写真が写っている。
今大会のテーマは、「環境と平和」で、第1日目のキーノートスピーチ(基調講演)では枝廣さんの環境と平和に関して今私たちができることをテーマに“ From Our Hands, We Pass Nature’s Torch “英語での堂々のスピーチとなった。午前2時に起きれば何でもできる・・との言葉には(本も出版されているが)、自分に当てはめながら、では何時間寝れるのだろうと思った。終了後聖歌隊の練習。テナーに加わったが、口パク聖歌隊でないように必死に楽譜と歌詞(英語)を追った。夜は日本の夏祭りをテーマに懇親会があった。浴衣を着て参加したが、家人は外国からの参加者への浴衣の着付けで大忙しのようだった。
今大会のテーマは、「環境と平和」で、第1日目のキーノートスピーチ(基調講演)では枝廣さんの環境と平和に関して今私たちができることをテーマに“ From Our Hands, We Pass Nature’s Torch “英語での堂々のスピーチとなった。午前2時に起きれば何でもできる・・との言葉には(本も出版されているが)、自分に当てはめながら、では何時間寝れるのだろうと思った。終了後聖歌隊の練習。テナーに加わったが、口パク聖歌隊でないように必死に楽譜と歌詞(英語)を追った。夜は日本の夏祭りをテーマに懇親会があった。浴衣を着て参加したが、家人は外国からの参加者への浴衣の着付けで大忙しのようだった。
2日目の早朝は宿舎の前の山下公園を1時間ほどぐるぐる回った。朝は8時過ぎから平和を祈るプログラム、丁度広島の原爆記念日と重なった。海外からの参加者も数多く出席してくれた。朝の礼拝では賛美歌を2曲歌った。 午前中は「国際書記の現状報告や世界のワイズメンズクラブが地域奉仕活動として取り組んできたHIV/AIDS拡大防止への取り組みや、これから始まるRoll Back Malalia運動の発表があった。
Peace Hour(平和の時間)では、秋葉忠利広島市長からのメッセージがDVDで届いた。流暢な英語で原稿にまったく目を向けず話す市長の態度と、その内容に感激した。午後からのエクスカーションが東京見物に参加。ほとんどがバスからの見物で唯一浅草仲見世通りと雷門での散策が地上でのコースだった。東京スカイツリー(完成時634m)は丁度400mを超えた時点のようだった。晩さん会の食事があまりにも少なく、飢餓を思い食事を抜く運動を思い出した。ホテル側との打ち合わせミスのようだっやが。
3日目4時起きで4時30分に谷治、大野、富樫さんにピックアップしてもらい川崎市役所へ。5時過ぎからそこから品川駅まで約12㎞の早朝ランを楽しんだ。箱根駅伝の1,10区であり聞きなれた地名が出てくるとうれしい。7時半ごろには到着した。3日目の全体フォーラムでは枝廣さんの司会で4か国のパネリスト参加での話し合いだった。今自分たちにできることで、話をまとめていただいたが、各国各地域の実情がうまく引き出されていた。午後からの分科会にはMC(会員増強)に出席した。司会のアイザックは、自分がアジアのサービス主任の時の国際サービス主任だったので、懐かしく討議にも参加できてよかった。この日の晩さん会は、昨夜の反省?もあり見違えるような食事と量だった。同じテーブルには外国(インド、韓国から各1名)と日本人6名が配置されていたので、できるだけ話しかけた。
4日目は、4時起きで4時32分関内発の電車で品川駅へ、昨朝のメンバーに長谷川さんと益国さんが加わった。都心を走るのは2年半前の東京マラソン以来でウキウキする。ゴールの日本橋には東京のワイスメンズクラブのメンバー2名が迎えてくださった。記念写真では近くの派出所のお巡りさんが協力してくださった。日曜礼拝に間に合うように帰り、無事に聖歌隊の役割を済ませた。最終日なので、次回大会のアピールや国際書記の交代式などのセレモニーが主だった。
東京に転勤している佐藤さんと渋谷まで行き、そこから恵比寿を経由して桃ちゃんちに会いに行った。桃ちゃんに「寝返りできたら、お小遣いあげる」言ったら本当にできた。父親に口座を作るようにと言って少し渡した。5人で恵比寿ガーデンプレイスに行きビールを飲んだ。
熊本へは最終便で帰ったが、家のTVが映らず龍馬伝を観ることができなかった。
2010年7月11日日曜日
淀川の流れ
2008年9月16日火曜日
ヤナギバルイラソウ
家人がワイズメネット事業主任として中部部会(名古屋市)と京都部会(京都市)、阪和部会(和歌山市)に出席するので、荷物持ち兼専属カメラマンとして土日と名古屋と京都に行った。
京都では鴨川沿い約10kmの早朝ランを楽しんだが、今回も加茂川の上流端まで時間の関係で行けなかった。
3日間も病院を休めないので、和歌山訪問はせずに15日昼前に帰ってきた。早速明日の準備やYMCAの記念誌編纂委員会の仕事が待っていた。 編纂委員会の最中に病院から電話。入院患者さんが退院すると言って駄々をこねていると言う。早速行って入院が必要なことを説明して納得してもらった。
3日間も病院を休めないので、和歌山訪問はせずに15日昼前に帰ってきた。早速明日の準備やYMCAの記念誌編纂委員会の仕事が待っていた。 編纂委員会の最中に病院から電話。入院患者さんが退院すると言って駄々をこねていると言う。早速行って入院が必要なことを説明して納得してもらった。
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