17時から銀座ライオンであった鶴丸高等学校サッカー部のOB組織の世話人会に顔を出した。5月にラ・甲鶴戦が予定されておりその準備会だった。自分はその日は種子島の同級会で帰省するので申し訳なかったが、それでも関東地区一鶴蹴友会の田中会長に40数年ぶりにお会いできた。田中さんは高校サッカー部で一級同級生だ。後の世話人はずい分若くなるが、知り合えてよかった。来年はサッカーできるようにリハビリを頑張ろう。
2017年3月12日日曜日
2015年5月3日日曜日
帰省その2 先輩
3日、山鹿の後藤先生がお亡くなりになって50日祭が明日行われることを知った。奥様に連絡してご自宅にお参りに行った。にこやかなお顔の遺影のある祭壇に向かい頭を垂れた。後藤先生の思い出が脳裏を巡った。
お葬儀の弔辞を読ませていただき、その時に紹介された先生の写真集を見せていただいた。昨日の飛行機の中で追悼集の原稿を書き始めすぐに涙が溢れてきた。一つ一つのシーンが蘇ってきた。自分が種子島、鹿児島に帰らず熊本に済むことに決めたのは、後藤先生の一言「子どもたちにとって、故郷はどこかい?」だった。
先生のお里は大分県国東半島の後藤谷といわれる集落と言う。そこに後藤家のお墓があり今秋には納骨される予定だそうだ。6,7年前に国東半島100㎞ウルトラマラソンを走ったことを思い出した。先生はきっと、天国で先に逝かれたサッカー仲間たちと楽しく語られていることだろう。
自分のサッカー人生に最も大きな影響を与えて下さった先生の存在感の大きさを改めて感じた。
お葬儀の弔辞を読ませていただき、その時に紹介された先生の写真集を見せていただいた。昨日の飛行機の中で追悼集の原稿を書き始めすぐに涙が溢れてきた。一つ一つのシーンが蘇ってきた。自分が種子島、鹿児島に帰らず熊本に済むことに決めたのは、後藤先生の一言「子どもたちにとって、故郷はどこかい?」だった。
先生のお里は大分県国東半島の後藤谷といわれる集落と言う。そこに後藤家のお墓があり今秋には納骨される予定だそうだ。6,7年前に国東半島100㎞ウルトラマラソンを走ったことを思い出した。先生はきっと、天国で先に逝かれたサッカー仲間たちと楽しく語られていることだろう。
自分のサッカー人生に最も大きな影響を与えて下さった先生の存在感の大きさを改めて感じた。
2014年12月29日月曜日
お見舞い
29日、朝はK高を回って北バイパスを東バイパス入り口から飛田バイパス出口までを回る約12㎞コースに挑戦した。K高グラウンドでは、ラグビー、野球、ソフトボール部の生徒たちが練習をしていた。
大変喜んでくださった。「お前は何かしていないとおられんな・・・」と微笑む顔は、まさに好々爺。我々がサッカーにのぼせたのは、こういう先輩たちがおられたから。自分もその役を担うようになった。2月にまた熊本に来るので良い報告ができるように頑張ろう。写真は常勤のN川先生から提供。
山茶花の花が咲き、冬を感じる。晴れていたが遠くは霞んでいて、阿蘇の噴煙は見えなかった。
白川は澄んだ阿蘇の水を運んでいる。
昼過ぎに、大先輩のお見舞いに行った。今年の日韓医師サッカー交流や、来年に向けての準備などを報告することができた。
大変喜んでくださった。「お前は何かしていないとおられんな・・・」と微笑む顔は、まさに好々爺。我々がサッカーにのぼせたのは、こういう先輩たちがおられたから。自分もその役を担うようになった。2月にまた熊本に来るので良い報告ができるように頑張ろう。写真は常勤のN川先生から提供。
2014年3月22日土曜日
北バイパス朝ジョグと大先輩のお見舞い
22日、朝からよく晴れていた。K高に咲く桜は、まだ1,2分咲きのようだ。これから暖かい日が続けば来週には満開になるだろう。東バイパスの先まで走って約8㎞、いい汗かいた。
午後から、熊本市内の病院に入院されている大先輩のお見舞いに行った。今夜は熊大医学部サッカー部の卒業生追い出しコンパと先輩の還暦を祝う会(自分もお祝い対象)がある。先輩は出席できないのでと、ACミランの赤ワインを6本自分に託された。息子さんがチームドクターをしている川崎フロンターレの公式グッズ(タオルやマフラー)まで頂いてしまった。
先輩は熊大医学部サッカー部の卒業生を中心として作っている「熊本ドクターズ」の初代会長で現在名誉会長。これまで多くの人生の教えをいただいた。熊本ドクターズの組織としての充実ぶりを喜ぶとともに、34年も続く韓国大邱の医師サッカーチームとの交流やスペシャルオリンピックス日本・熊本への関わりをあげ、医師としてサッカーを愛する者として社会に貢献することは大切だねと言われた。奥様も会話の中に入ってくださった。
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