2009年9月21日月曜日

日韓YMCA医師蹴球親善交流30周年第21回大会

 日韓YMCA医師蹴球親善交流30周年第21回大会が大邱で開催された。1979年9月16日熊本ドクターズ(熊本医師蹴球団)を中心とした九州の医師混成チームが熊本YMCA/大邱YMCAの交流をきっかけとして、大邱YMCA医師蹴球団と試合をしたことに始まる。以来紆余曲折、10年間の中断の時期を含めて21回目を迎えることができたことに感慨を覚える。
9月19日9時発のビートルで博多港国際ターミナルをあとにした。対馬海峡はおそらく3mの大時化で高速艇ビートルは木の葉のように揺れながら釜山港に向かった。「大波を 被りてビートル 釜山港」
今回のメンバーはプレーヤー7名(サッカーは7名以上11名で試合できる)家族9名うち子ども5名。大邱チームから4名メンバーを借りることになっていた。釜山港から釜山駅まではシャトルバス900ウォンで10分で到着。めいめい昼食を買い込みKTX(韓国の新幹線)に乗り込んだ。車中で昼食を摂り、メガネをコンタクトレンズに変えた。「車中にて コンタクトを付け 気合入れ」
 東大邱駅には大邱YMCA医師蹴球団の張団長ご夫妻と、金さんが出迎えてくれた。バスで会場へ。大邱市内にある素晴らしい天然芝のグランドに到着した。1年ぶりに友人(大先輩を含む)たちと再会を喜び合った。「再会を 喜ぶ間もなく 試合かな」開会式ではこの一年菅に亡くなられた小〇先生と橋〇先生の黙祷が行われた。


 試合には急遽、12歳のK君をメンバーに加え、3名をお借りした。1名はGK,1名はトップ下、1名は守備にはいてもらった。前半早々、K君が大人の突っ込みにひるむとそのまま右サイドを破られセンターリング中央でシュートを決められた。やはり子どもは無理なのか・・・しかしK先生(K君のお父さん)が俄然張り切る。中盤で溜めを作りK君やS先生とキープ、右からI、T先生が切り崩し、左から私が切り崩す。そしてトップ下のA先生(韓国からの借用メンバー)のシュート決まり同点。その後も韓国借用メンバーの活躍で3対1で勝利した。日本人ゴールが無いのでなんだか勝たせてもらったような気がした。私もドフリーでのシュートチャンスがあったが決められず・・・試合後に両国チーム連合と韓国の若手チームの試合をしたが、その時はアシストをした。しかし良く走った・・・二試合目の後半には退き、韓国のお酒を皆さんとピッチの外で飲んでいた。
「秋晴れや 勝たせてもらった 日韓戦」

 優勝旗をいただいたのだが、帰りの荷物が増えた(余裕)優勝カップは近々開業するI先生のクリニックに飾ってもらうことにした。懇親会ではこの大会の生みの親である宋先生や育ての親である朴先生からのメッセージが印象に残った。
この交流が始った頃の状況から、世代交代の時、私と張先生に後を託したいとの話しもあった。毎年VICTORY DANCEをしてくれる朴(東)先生は相方の小〇先生がおられないので、少し淋しそうに見えた。日本留学中にうちでホストファミリーをしていたムンさんが大田からわざわざ来てくれて通訳をしてくれた。若手の先生たちと二次会、三次会へと繰り出した。何時に帰ったのか憶えていないが12時前でしっかりしていたようだ。
 翌20日、張先生ご夫妻、朴(東)先生の奥様金さん、金さんご夫妻に見送られてバスで大邱を出発。
金さんご夫妻とムンさんも釜山までお付き合いをしてくれた。釜山で国際市場やチャガルチ市場を見学して買い物、ブルコギ定食を食べて釜山港に向かった。15時15分発のビートルが欠航・・思わずひやりとしたが、15時発のコビーに席が確保されていた。帰りは凪、博多港国際ターミナルで解団式を行った。
 5人乗りの車は途中山鹿の後藤先生宅に立ち寄り表敬訪問をし、熊本へ。帰宅したのが22時だった。日韓YMCA医師蹴球親善交流30周年第21回大会の弾丸ツアーはこうして幕を閉じた。

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